「思い出」

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「思い出」

 携帯のアラームで目を覚ます。

 布団から手を伸ばし、暖かな温もりを名残惜しく手放しながらアラームを止める。

 日付を見て、今日という一日の始まりを噛みしめる。


 2月14日


 世間はバレンタインの眩しい温かな盛り上がりを見せる。

 もちろん私にとっても大切な日だ。

 だが私にとって今日という日は、それだけで済ませられない。

 ああ、今日でちょうど2年になる。

 2年前のあの日、彼の言葉に泣いたあの日。

 今でも鮮明に浮かぶあの日の光景に2年経った今でも心が動く。


 ……ああ、まただ。


 布団から出て、顔を洗う。

 冬の早朝に流れる水は異常なほど冷たい。

 私にとって追い打ちですらある水に微笑み、心の扉をそっと閉じる。


 ……よし。


 部屋の照明をつけ、冷蔵庫を開ける。

 朝食の準備だ。

 昨日の夜に炊いておいたご飯に残った味噌汁、近所の方にいただいたひじきの炒り煮を食卓に並べ、キッチンに向かいフライパンに油をひき、卵を一つ落とす。


 朝食の完成だ。


 テレビをつけ、朝のニュースを確認する。

 初めに目に入る「バレンタイン」という大きな見出しを横目に黙々と朝食を食べ進める。

 テレビではリポーターが街の人にバレンタインの予定を聞いている。


 ふと、目の前においてる紙袋に目が行く。

 今日のために準備したバレンタインのチョコだ。

 中には5つのチョコが入っている。

 会社の同僚に配る友チョコだ。

 まさかこの歳になって友チョコをするとは思ってもみなかった。


 高校時代の思い出が浮かぶ。

 あの頃はよかった。

 時間を忘れ、体力を忘れ、将来を忘れ、ただひたすらに「今」という時間を仲間たちと共に遊びつくす。



 今となってはあそこにいた全員が私のように過去を惜しんで生きている。



 はあ、行きますか



 朝食を済ませ、身支度を整えた私は自分が数分前まで世話しなく動いていた部屋に目を向ける。


 今日、たった24時間を乗り越えるだけでいい。


 いつものように笑顔で会社に入ればいい。

 いつものように上司の愚痴を言いながら同僚と昼食を食べればいい。

 いつものように疲れたと独り言を呟いて会社を出ればいい。


 そうすれば今年を乗り越えたことにできる。



 そうすれば彼を…………



 その瞬間、目の前の紙袋の存在に気付く。

 あぶないあぶない、すっかり忘れるところだった。


 手に取り、家を出る。

 時刻は7時20分。

 家から会社は歩いて行ける距離だ。

 この時間、この道は私のようなサラリーマンや学生が通勤通学に使っている。

 皆が寒そうにコートやダウンを着込んで足早に歩いている。

 私もその波に隠れて流れ、寒さを恨みながら歩く。



 おはようございます。



 会社についた。

 暖房が効いている。

 自分の机に座り、パソコンを起動させる。


 ああしまった。

 朝コンビニでホットコーヒーを買うのを忘れていた。


 仕方なくオフィスに置かれているコーヒーメーカーを使ってコーヒーを入れる。

 私は普段、ほかの人よりも早く会社に入り仕事を始める。

 自分がまだ会社に入りたてというのもあるが、心配性な私にとっては早いほうが落ち着く。


 時刻は8時30分。

 続々とオフィスに人が入ってくる。

 その中から同僚を見つけ、ひと段落したのを確認したのち友チョコを渡しに行く。


 何気ない朝の会話。

 冬は乾燥するだの化粧水が高いだの、こんな会話がなぜか心地よく落ち着いてしまう。


 5人の同僚に一通り配り終わった。

 だが、なぜかまだ重さを感じる。

 袋の底をのぞくとまだ一つ見覚えのある包みが残っていた。


 ああ、無意識で6つ目を作っていたようだ。


 特に渡す人もいないためぺちゃんこにならない紙袋に面倒くささを覚えながらバッグにしまった。


 なんの変化もない一日だった。

 いつも通りの仕事を済ませ、いつも通りの人たちと昼食をとった。

 少し違うことがあるとすれば、オフィスの男連中がそわそわしているくらいだ。高校生じゃあるまいしと昼食の時に話題になった。



 おつかれさまでした。



 時刻は6時。

 すっかり暗くなった外の世界に出る。

 月が眩しく輝いている。雲一つないということだ。

 朝の寒さを再び感じる冷たい夜だ。

 行きと同じ道で帰る。

 朝とは打って変わって、私と同じ方向に進む人、反対方向に進む人、男女のペアばかりが歩いている。

 手をつなぎ、腕を組み、仲睦まじく歩くその姿に勝手な疎外感を覚える。



 はあ……



 疲れたという一言も出ず、寒いということすら忘れてしまうほど今の私は心が疲れているようだ。


 ふと、横にのびる別の道に目が行く。

 遠回りにはなるが家に帰ることのできる道だ。



 このまままっすぐ行けば、早く家に着く。

 このまままっすぐ行けば、何もなく今日が終わる。

 このまままっすぐ行けば…………

 このまま…………


                          …………たまにはいいか。



 体の方向を変え、暗い横の道に足を進める。

 さっきまでの道は車道に沿う道のため比較的明るく、人通りも多い。だがこの道はその正反対。薄暗く、木々が生える地球本来の道。

 朝ならハトやカラスがいるのであろうが、この時間ではもう姿は見えない。


 歩いて3分ほどが経った。

 道が二手に分かれ、片方の道の先には小さな公園がある。

 滑り台と雲梯、ブランコに砂場のある小さな公園。近所の小さい子が遊びに来ているのだろうか。赤い小さなシャベルとバケツが置いてあった。


 ブランコに懐かしさを覚え、座ってみる。

 さすがに小さい。

 だが、あの頃を思い出す。



 はー



 白い息が出る。

 静まり返った公園に小さな光がさしている。

 月の光だ。


 バッグを足の上に乗せ、少しブランコを漕いでみる。

 冬の風は冷たく痛い。だが、どことなく心地よい。

 十数年ぶりのブランコは少し怖かった。

 硬いものが足に当たる。

 バッグを漁る。

 出てきたのは友チョコを入れていた紙袋だ。


 ああそうだ。一つ残っていた。

 包みを取り出し、視線を落とす。


 まただ。また思い出してしまう。



 ……っ、



 もう限界のようだ。

 一つ、また一つと包みにしずくが落ちる。



 なんで、なんでよ。もう2年も経ったのに……



 2年前の雪の降る今日。

 私はこの場所、この公園で彼から別れを告げられた。


 高校1年生のバレンタインに私から告白し、彼は首を縦に振った。

 私にとって大人への階段はすべて彼が初めてだった。

 恋をしたのも、異性と二人で出かけたのも、夜を共に過ごしたのだってすべてが大切な思い出だった。

 そんな私は彼と結婚までを考えていた。彼がどう考えているのか知りたいと思い、結婚について話そうと思っていたその矢先、彼は私の前から去っていった。

 私の思い出を乱暴に奪い取り、身勝手に姿を消した。



 ああ、まだ私は彼を好きでいるんだ。



 大切な人、愛していた人、忘れたくない人、忘れちゃダメな人。



「未練たらしい。」



「私」は私にそう言い聞かせる。



 そんなのわかってる、理解してる。

 でも認めたくない。


 きっとまだあるんじゃないかって、


 いつか連絡が来るんじゃないかって、


 ふらりと私の前にまた現れて、もう一度名前を呼んでくれるんじゃないかって、


 もう一度抱きしめてくれるんじゃないかって、



 心のどこかで期待してしまっている私がいる。



「そんなのは幻想だ。

 漫画のように、小説のように都合よく世界は動いていない。

 私自身が一番よくわかっているはず」



 はずなのに……



 幻想だと思えば思うほど、私の心は締め付けられ、この涙を流してしまう。



 いつの間にか月の光は消えていた。



 はあー止まらないなあー、困るなあー



 震えた声で空に話す。

 なんの返事もない。当たり前だ。


 だが、変化はあった。

 手に持つ包みに白いものが落ちる。それは触ると一瞬にして姿を消し、私の涙と同じ跡を残す。



 雪……



 ああ、また私を苦しめる。



 こんなのあの日と一緒じゃん……




 そう一言つぶやき、私は再び涙を流した。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 青く儚い思い出が、黒く辛い苦しみの思い出となる。

 しかし、白く優しく包み、守るがあるならば、小さな花はきっとその苦しみを耐え、新たな思い出を静かに待つのでしょう。


 そのがきっと「思い出」なのだと信じて。

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