第九話 軍人としての道、或いは 1

 日の落ちた森に鳥の鳴き声が響く。

 湿気を含んだ生温い風が頬を撫でる。


 ここはルメルシュ郊外の森林地帯。詠太えいたたちは街を離れ、この森を潜伏場所としていた。

 いっそ一時的にでもセレニア領内に避難できればよかったのだが、現在は厳戒態勢下。国境周辺は蟻の一匹も通さないほど厳重な警備が敷かれており、それをかい潜っての越境は困難であった。


 今日の寝床は森の中に存在する天然の横穴。しかし、ここを文字通り『寝床』として使用するためにはなかなかに骨の折れる作業が必要であった。

 穴の内部は染み出した地下水をたっぷりと含んだコケに覆われている。まずはこれを除去し、次に湧き水を集めて排出するための溝を掘る。点在する動物のフンを片付け、這い回る虫を駆除し、集めてきた枝葉を内部に敷き詰める。

 と、ここまでやってもまだ快適と言うにはほど遠いのだが、何せ急ごしらえの仮宿である。ひとまず細かいところは我慢して、交代で見張りを立てながら睡眠をとろうということになった。


 しかし、寝るにはまだ早いし、すべきこともある。

 現状、詠太えいたたちはとりあえず逃げてきただけに過ぎず、ここで今後の方針を立てておかなければならない。

 捕らわれた仲間を救出するためには何らかの方法で王城内に潜入する必要があるのだが……。


「もう一度王城にったって、一体どうやって……」

「目指す王城はルメルシュの中心地。どうアプローチしても市街地を抜ける必要があります。私か、詠太えいたさんのワイバーンなら空からというルートもありますが……」

「空からなんて目立ちすぎじゃない? アタシたちが救出に現れるのなんて当然想定してるだろうから、警戒だってハンパないわよ?」

 脱出時こそ力押しでの強引な突破が通用したが、潜入となると途端に難度が跳ね上がる。


「猫の姿だったらバレないんじゃないかな?」

 そう言って身を乗り出したのはシャパリュだ。

「いくら猫でも城内をうろついてたら怪しいだろ。それに一人だけが潜入できたところで……」

 ただでさえ戦力を大幅に欠いた状態である。なるべく多人数、できれば全員で王城への潜入を果たしたい。


「方法は……なくもないですが」

 口を開いたのはレイチェルである。

「わたくしたちがで準備を進めていたもの――それは大規模な空間移動の術式なのです」


 ルメルシュから西、ラットウッズ近くの洋館。

 レイチェルたちを捕虜として捕らえるきっかけとなった、あの事件である。

 セレニア軍は対リドヘイムの方策として件の館に転移ゲートを展開し、セレニアからの尖兵を送り込む前線基地としようとしていた。

 人の気配が全くなかったはずの洋館で一瞬にして詠太えいたたちを取り囲んだセレニア兵は、そのゲートを通って現れたものであったのだ。

 この術式を使用して王城内に通じるゲートを設置すれば比較的安全に城内に侵入することができるはずだ、というのがレイチェルの提案内容である。


「ただ、ちょっと問題が……」

 色めき立つ詠太えいたたちとは対照的に、どうにもレイチェルの歯切れがよくない。

「――このゲートを設置するためには術者自身が現地へ赴く必要がありますの」


「術者、ってことは……」

「この術式は魔法国であるセレニアならではの技術が使用されております。リドヘイムでは実現不可能なものであり、またセレニアにおいても扱える者は限られているのです」

 この場にいるセレニア人はただ一人。つまりゲートを開くにはレイチェルが現地に行く必要がある、ということのようだ。


「シャパリュさん、わたくしを猫にはできませんこと?」

「うーん、ごめんねぇ~。ボクが変化させられるのは自分の姿だけなんだ」

「王城に入る馬車かなんかに、あらかじめゲートを仕込んでおくってのはどう?」

「ゲートはあくまで空間座標を基準として設置を行うもの。馬車が移動したところでゲートの位置は変わりません」


 しばしの沈黙の後、リリアナがため息をつく。

「振り出し、かしらね……」


「いえ、そんなの」

 諦めムードの漂う中、レイチェルが勢いよく立ち上がった。

「――わたくしがまた捕まれば良いのですわ!!」

「ダメダメダメダメ!!!!」

 レイチェル以外の全員が、一斉に突っ込みを入れる。


「また捕まったりしたら、最悪殺されかねないぞ」

 秘密裏に処刑する――詠太えいたは大臣の言葉を思い出していた。

「何を今更……。わたくしはセレニア軍将校、レイチェル・フロイデンベルクです。民と共に戦う道を選んで以降、その程度の覚悟は常に――」

「――レイチェル!」

 詠太えいたの一喝に、当のレイチェルはおろかその場にいる全員が静まり返る。


「……お前は軍人であると同時に、セレニアの姫なんだ。民の希望とならなきゃいけない存在だろ。お前は生きて、生き延びて、最後まで国民を導くのが務め――そうじゃないのか」

「それは……」

 詠太えいたの発言にレイチェルが言葉を詰まらせる。


「――俺に考えがある。少し、時間をくれないか」

 突然の提案に、リリアナが不安な表情を見せた。

「……何をする気なの?」

「ノーザンライツ……ハインツたちに協力要請してみようと思う」

「ちょっと! あの人たちはゴールドランクの討伐隊よ!? いわばリドヘイム側の立場。理解してる?」

「理解してるさ。でも、ハインツなら解ってくれる気がするんだ」


 再び訪れる沈黙。

 皆、これ以上議論を続けても有用な案が出ないであろうことは察していた。結果、現状においてはこの案に乗るしかないのだが、だからといって無条件で賛同することもできない。

 それがこの場にいる全員の共通見解であり、沈黙の正体であった。


「わかったわ。じゃあ、詠太えいたとアタシで――」

「いや俺一人で行くよ。そのまま拘束される可能性だってゼロじゃないからな」

「でも――」

「夜明けまでにはここへ戻ってくる。もし戻ってこない場合は……ごめん。その時は移動を開始してくれ。いつまでも同じところに留まるのは危険だ」

 詠太えいたはそう言い残し、横穴を出る。

 遠ざかっていく足音を追うようにして、穴の外に視線を向けるリリアナ。足音は小さくなり、やがて聞こえなくなる。

 静寂に包まれた森の横穴の中で、リリアナはいつまでも外の闇を見つめ続けていた。



「――この辺でいいか」

 森の中を歩くこと三十分ほど。潜伏場所からは十分離れただろう。

 詠太えいたはワイバーンを呼び出すとルメルシュ市街地へ向けて飛行を開始した。上位種 《ハイクラス》のワイバーンだからこそ成し得る高高度飛行。武力国家であるリドヘイムの哨戒網に引っかかる可能性は限りなく低い。


 ほどなくして、街外れにそびえる世界樹がシルエットとなって見えてきた。あの騒動以来誰も寄り付かなくなった避難区域だ。人目を避けて街へ入るのには都合がいい。

 街から離れたところでワイバーンを降り、再び三十分ほど歩いて市街地に入る。

 そろそろ深夜にかかる時間帯ではあるが、まだ屋外にはちらほらと人の姿がある。夜の闇と目深に被ったフードが詠太えいたの生命線だ。


 緊張でこわばる足を必死に動かし、やがて詠太えいたはある建物の前に到着した。

 ルメルシュ中心部、王城にほど近い場所に位置する立派な建物。ノーザンライツの本拠地だ。

 詠太えいたは周囲を確認すると、深呼吸をしてドアを叩いた。


「……はい。どちら様でしょうか」

 この声はキリエだ。

 よかった。知っている者が応対してくれればありがたい。


「キリエか。秋月あきづきだ。暁ノ銀翼の秋月詠太あきづきえいただ」

 名乗った途端、ドアの向こうで派手な物音がする。

 続いて、そろそろと開かれたドアの隙間から覗き込むようにしてキリエが顔を出した。

「あ、秋月あきづき、さん――!?」

 何とも言えない目で詠太えいたの顔をまじまじと見るキリエ。


 やはり、というべきか。

 ノーザンライツはランクゴールドの討伐隊であり街の治安維持も担当している。当然、今回の事は彼らの耳にも入っているであろう。あとは詠太えいたの交渉力次第、といったところか。


「あの、さ、キリエ――」

 詠太えいたが口を開きかけたその時。


「何だキリエ。こんな時間に誰――――うわっ!!」

 奥から現れたハインツが詠太えいたの姿を見て絶句する。

 この反応も想定内。しかし……ハインツならここで問答無用に詠太えいたを拘束するようなことはしない。無下に追い返すようなこともしない。そう信じていたからこそ、ここへ来たのだ。詠太えいたは真っ直ぐにハインツの目を見つめ返す。


 数秒の後、詠太えいたの想いに応えるようにハインツが口を開いた。

「まあ……入れ」



 通された先は応接室だった。部屋の中央に設置されたソファに腰を下ろす。

 詠太えいたの正面に座っているのがリーダーのハインツ、そしてその隣にキリエ。さらに詠太えいたの両脇と背後もメンバーによって固められ、その中にはかつて共に作戦行動にあたったアルバートの顔も見える。


 皆一様に何とも言えない表情で、誰も言葉を発しない。重苦しい沈黙が流れる。

「お前……」

「聞いてくれハインツ」


 ハインツが口を開くのに合わせ、詠太えいたが機先を制した。

 詠太えいたは王城で起こったこと、そしてその後暁ノ銀翼に起こったことを、順を追って説明する。

 詠太えいたの話に一定の理解を示しつつも、ハインツの表情はどうにも渋い。

 伝わっている情報だと、どうやら暁ノ銀翼はリドヘイム城で捕虜を逃がすために騒ぎを起こし、城を破壊して捕虜と共に逃げた、ということであるらしい。


 ――まあ、それは事実なんだけど……。


 セレニアと共謀してリドヘイム転覆を狙う反乱分子として、すぐさま暁ノ銀翼メンバーとレイチェルについての手配書が発行された。詠太えいたとリリアナを除くメンバーは既に身柄を確保され、現在は残る詠太えいたたちについて軍を挙げての捜索中なのだという。


「俺は……お前を、そしてお前たちのチームを信用している」

 苦悩の表情から絞り出されるように発せられた言葉は、まごうことなきハインツの本心。そしてそれは、この場にいるノーザンライツメンバー全員の想いでもあった。

 しかしノーザンライツにはゴールドランクの討伐隊という立場がある。さらにハインツにはそのリーダーとしての立場と責任がある。

 自国の王が幽閉されており、裏で大臣が暗躍しているなどという荒唐無稽な話をすんなり信用して動くことはできないというのが現実であり、またそれがこの場で下されるべき妥当な判断であるということを、ハインツは言葉を詰まらせながら説明する。


詠太えいた。俺たちはお前を拘束しなければならない立場だ。でも俺たちは今回……何も見なかったことにしよう」

「ハインツ……」

「裏口から出ていくんだ。次に会った時は――わかるな」


 ハインツはそう言ったきり、下を向いて頭を抱え込んだ。これ以上はハインツに、そしてノーザンライツに迷惑を掛けてしまうことになる。

 詠太えいたは無言で席を立った。キリエの誘導に従い、足を踏み出そうとしたその時――


「おーおー、すっかり丸くなりおって」


 思わぬ方向から突如聞こえた声。見ると部屋の隅に一人の老人が立っていた。


 ――ノーザンライツのメンバー……じゃないよな。てかこんなじいさん始めからいたっけ……?


 呆気にとられる詠太えいたとは対照的に、むしろその姿に顕著な反応を見せたのはハインツだった。


「――王!?」

「……久しいの、北の狼ノースウルフ。人狼 《ワーウルフ》村の悪ガキが、立派なことを言うようになったものじゃ。わしゃ嬉しいぞい」

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