第四話 詠太、オトコの矜持 2

 後日。暁ノ銀翼は新たな任務に赴いていた。

 リドヘイム領内、ヴィムル湖周辺の山林を根城とする野盗の討伐である。

 暁ノ銀翼はじめ多数の討伐隊により編成された軍勢が、各方面に散らばって包囲網を形成していた。


「くっ、みんなどこ行って……」


 ガチャ、ガチャッ――


 新たに買った鎧が重い。

 プレートを固定するためのバンドが、肩に腕にと容赦なく食い込む。

 関節の動作も制限され、この山中でこれを装備して行動するのは相当なハンデと言わざるを得ない。

 暁ノ銀翼は湖西岸周辺を持ち場として任されていたのだが、そこへ向かう途中、詠太えいたは動作の鈍さが仇となってメンバーとはぐれてしまっていた。


「まずいぞ。確か各チーム行動開始の時間がきっちりと決められていたような……」

 鬱蒼と茂った木々の間を、詠太えいたはもがくように進む。


「……それにしてもこれ、視界が悪すぎる!!」


 鎧とセットになった兜部分は頭部をすっぽりと覆い、わずかに開いた隙間から見える範囲は非常に狭い。さらに大仰な肩当てが壁となり、左右の視界はほぼゼロという状況。ただでさえ見通しの悪いこの山中において、これではメンバーを探すのも一苦労である。


「あ、でも……!」

 ここで詠太えいたに閃きが走る。

「俺たちには召喚契約があるし、みんなの気配を感じ取れば……」


 目を閉じて意識を集中させるとすぐに気のようなものが感じられた。その方向や距離も大まかにわかる。

「これは――マリアの気配? こっちか!」

 詠太えいたが気配のする方向へ足を踏み出したその時。


 カラカラカラカラ……!!!!


「!?」

 突然のけたたましい音に、詠太えいたの動きが止まる。

「なんだ、これ!?」

 足元の茂みの中を這うように、鳴子なるこが張り巡らされていた。こんな所にこんな物を設置するのは――


 マズい、この場から離れないと――!


 既に遠方の茂みの中を、何者かが移動してくるのが枝葉の動きで見て取れる。


 ――マズいマズいマズい!!


 咄嗟に反対側の茂みに飛び込む詠太えいた。しかしその先には――地面が無かった。

 詠太えいたは勢いよく斜面を転がり落ち、そのまま派手な音をたてて落水する。


 ガボガボガボ……


 詠太えいたは決して泳げない訳ではない。しかし、意に反して体はどこまでも沈んでいく。


 クソッ、このプレートが――


 鎧が重しとなり、まともに動くこともできない。兜、胸当て、籠手……外せるものは外して何とか浮かび上がろうとするが、もがくうちに意識が薄れていく。


 あ……もう……


 水面からの光が遠くなり、霞みゆく視界が漆黒に塗りつぶされた、その次の瞬間――

「ぶはっ!」

 詠太えいたの身体は何者かにより水面へと引き上げられた。


 飲み込んだ水を吐き出し、不足した酸素を必死に補給する。

「あそこだ!!」

 見上げた崖の上では野盗の一味が、こちらに向けて弓を引き絞っている。

「潜ります!!」

「……え? がぶぉっ!!」

 謎の人物により再び水中へと引き込まれる詠太えいた。人物は詠太えいたを抱えたまま、猛スピードで水中を移動し始めた。

「あばばばばばば…………!!」



 ――どれくらいの距離を移動しただろうか。詠太えいたが再び意識を失う程であったから、それなりに長い距離だったのだろう。

 詠太えいたが目を覚ますと、そこはどこかの入り江の奥だった。


「あ、大丈夫ですか!?」

「んあ……?」


 詠太えいたの視界に、優しそうな女性の顔が映り込む。どうやら詠太えいたの頭部はこの女性の大腿部に乗っているようだった。つまり、膝枕である。


「君は――」

 特徴のある、この長い前髪……見覚えがある。あの時、街で屈強な男に怒鳴られていた女性。

 そうか、同じ任務に就いてたんだな――


「――はっ!! すみませんっ!!」

「?」

 突然謝罪を始める女性に戸惑う詠太えいた

「あのっ、私っ……! 生臭いですよねすみませんすみませんっ!!」

「……??」

 目覚めたばかりの詠太えいたの思考は未だはっきりとはしていないのだが――今、何か引っ掛かる表現があったような気がする。


「ん……」

 詠太えいたがゆっくりと体を起こすと、女性の全身像が詠太えいたの瞳に映り込んだ。

「君は……」

 女性は上半身こそ普通の人間であったが、その見た目は腰のあたりで変容し、下半身は完全に魚のそれであった。詠太えいたが頭部を乗せていたのは、大腿部とはいえ人間で言うところの太ももではなく、鱗の付いた魚の尻尾だったのだ。


 ――これは……人魚? ってやつか? 確か街で見かけた時には二本の足で立ってたはずだけど……


「私、人魚という種族で、その……」

「そうか……人魚なら知ってるよ」

「そっ、そうなんですか! すみません!」

「その足は……」

「そのあのっ、これは水に入るとこのように変化して……すみませんすみませんっ!」


 女性は地面に頭をぶつけてしまいそうなほどの勢いで何度も頭を下げる。

「なんで謝るんだよさっきから!」

「いえ、癖なんです! すみません!」

「いいから、ほら。……頭を下げなきゃいけないのは、助けてもらったこっちだろ」


 詠太えいたは平伏している女性の体を引き起こし、正面に回る。ありがとう、と頭を下げる詠太えいたに、女性は俯いて目を逸らしたまま、居住まいが悪そうにおずおずと返答した。


「いえ……当たり前のことをしただけ、です」

 お互いに向かい合って座った姿勢のまま、会話は進む。


「本当に助かったよ」

「人魚、ご存じなんですね」

「……? そんなにみんな知らないもんか?」

「近年では人魚の数もかなり減っているので……」

「そうなのか!? 結構メジャーな種だと思ってたよ」


 これは詠太えいたの元いた世界での話である。人魚は想像上の生き物とされてはいるが、実に数々の物語に登場し、誰もが知っている存在だ。

 かつては種として繁栄していたようなのですが、と話したところで女性の表情が曇る。


「物珍しさから、興行目的などで悪いお方に捕らえられる仲間も多く……」


 見世物小屋の人魚。そういう話は元の世界でも聞いたことがあるな。もっともあっちのは本物かどうか怪しいけど……


「私たち人魚は、どこへ行っても好奇の目に晒されます。それで私も姉と二人、ネイルース地方の広大な湿地帯でひっそりと暮らしていました。そこなら他の誰かと会う事はまずありませんので……」

 ネイルース……確かリドヘイム領内ではあるけど北の外れの方だったか。荒野と湿地帯ばかりが延々と続く土地だと聞いている。


「ですが……一年ほど前に姉が行方不明になってしまったんです」

 女性は悲し気に目を閉じる。

「ある日私が家に戻ると姉の姿はなく、そのまま数日経っても姉が帰ってくることはありませんでした」


 女性は涙を拭い、さらに言葉を続けた。


「来る日も来る日も、私は姉を探し回りました。姉の失踪から半月ほどが過ぎた頃、あの方たち――今のチームの皆さんが私の家を訪れました。これまで誰かが訪ねてくるなんて一度もなかったものですから、私はこれを天のお導きと思い事情をお話ししたんです。すると皆さん姉を探すのに協力してくれると、そしてそのために召喚契約を結び、討伐隊のメンバーになるようにとおっしゃって……」

「なんで契約を?」

「討伐隊として活動していた方が都市部への出入りもしやすくなるとか……」

「いや、だとしても召喚契約の必要はないだろ?」

「……あら? そうですね、なんででしょうね……」


 人探しをするのなら召喚契約など結んでいない方が動きやすい。契約の相手がよほど熱心に協力してくれるなら話は別だろうが、果たしてあの男がそんなことをするだろうか。

 『人と出会わないため』に暮らしている土地に、そんなタイミングで都合よく誰かが来ることも何か引っかかる。


「ともあれ、それ以降、私はチームの皆さんと行動を共にしていますが、姉は依然見つからず……」

「具体的に、あいつらに何か手伝ってもらえてるのか?」

「いえ、皆さんお忙しいのでなかなか……でも討伐隊の方のお仕事が忙しいのでは仕方ありませんものね」


 そう言って何気なく視線を逸らす女性。詠太えいたはその頬に、一部分だけ赤黒く変色した箇所があることに気が付いた。いや、頬だけではない。額、肩、腕……よく見ると彼女の体のあちこちにあざや擦り傷が存在している。

「おい、それ……!」

「あ……!」

 彼女は慌てて傷を手で隠すような素振りをするが、隠しきれないのを悟ってか、諦めたように呟く。

「……仕方ないんです。だって私、チームのお役に立てていませんから……」


 詠太えいたが先程から感じていた違和感、疑念がここへきて明確に形をなす。

 彼女は――騙されている。姉が失踪し、その捜索にも窮して頼った男たちに、彼女はおそらく騙されている。騙された上に、それに気付いていない。

 しかし、しかしだ。ここで突然、助けたいなどと申し出たところで彼女は戸惑うかもしれない。先日のような余計なトラブルを生むかもしれない。


 どうする――?


 一瞬は躊躇したものの――どうもこうもない。

 彼女は今しがた俺を助けてくれた。ならば今度は俺が彼女を助ける番じゃないか。いや、そもそもそんな屁理屈じみた理由付けなんて必要ない。何よりもまず人として、男として――!


「あの、すみません、こんな辛気臭い話を……! すみませんすみません!!」

 それきり黙ってしまった女性に、詠太えいたは意を決して話を切り出した。

「あの、さ……」


 どぉ……ん


 詠太えいたの言葉にかぶさるように、遠くで鳴り響く音。作戦開始の合図だ。


「あ……! あのっ私っ! もう戻らないと!!」

「ちょっ……」


 間に合わなかった。詠太えいたが引き止めるよりも早く女性は水中へ消えてしまい、後には波紋と静寂だけが残った。


「名前、聞いてなかったな……」


 複雑な想いを胸に、詠太えいたは彼女の消えた水面をしばし見つめ続けるのだった。



 その後、詠太えいたは無事メンバーと合流できたのだが、それは作戦終了後の話。

 与えられた役目をきっちりとこなし、詠太えいたの回収にも成功した暁ノ銀翼は、街へ戻り無事報酬を受け取ることができたのであった。


「ったくもう……アンタはしばらくタダ働きだからね!!」

「そんなぁ~」

 ルメルシュの中心部。武器防具を扱う店が立ち並ぶ、武具街区。

 つい先日、件のプレートアーマーを入手した詠太えいたが浮かれて歩いたのと同じ道である。

 今回新たに身の丈に合った装備を買い揃えてはもらったものの、買ったばかりの装備を失くし、任務もまともにこなせなかった隊員に対して隊長様の態度は厳しい。


 リリアナの後ろをとぼとぼとついて歩く詠太えいたがぽつりと呟く。


「……なあ、リリアナ」

「なによ」


「召喚契約ってさあ、エンティティがサマナーの願いを叶えたら満了、だったよな?」

「うん、そうだけど……」

「途中で解除もできるのか?」

「……召喚に使ったグリモワールで解約の儀式も行えるわよ。でもねぇ……アンタの場合はグリモワール自体がないじゃない? 残念なんだけど――」

「いや、それだけ聞ければ十分だ」

「……?」


 不思議そうな顔をして立ち止まるリリアナを追い越し、詠太えいたは歩く。その顔は実に晴れやかで、決意に満ちたものだった。

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