34.「話をしよう」
雑貨店はリジンの家があるライラン通りの西隣・ヒューエ通りにあった。小さな商店だが商品は充実していて、周辺住民の生活を支えている店という印象だ。
リジンはズボンのポケットから、ロエルから受け取った書付を取り出した。
「えっと、縫い針が必要なんだって。十本束になって売ってるのを買ってほしいみたい。あとマッチ二箱と、砥石」
「まずは裁縫道具ってことだね。どこだろう。リジンわかる?」
「この前は入って左にあったんだけど……。半年前とずいぶん変わってるかも」
「あっ、あそこに糸が見えるぞ」
天井スレスレを飛んでいたフフランが、店の左奥を羽根の先で指さした。フフランのおかげで縫い針はすぐに見つかり、マッチもレジカウンターの端に並んでいるのをリジンが気づいた。あとは砥石だ。包丁や匙など他の調理器具は簡単に見つかったが、肝心の砥石が見当たらない。店長の男性はおしゃべりの常連客に捕まってしまったせいで、結局十分以上も探すことになってしまった。
「――いやあ、すみませんでしたね、お客様。まさか棚に仕舞ってあったなんて」
「いえ。買えて良かったです」
店主は「お詫びです」と言って、二人分のキャンディを袋に入れてくれた。
「ごめんね、ロティア。お使いで時間かかっちゃって。母さんが『ゆっくり行ってきて良い』って言ってたから、この後は、時間は気にせずに買い物しよう」
「リジンのせいじゃないじゃない。むしろ飴もらっちゃって、得した気分っ」
ロティアはリジンから飴を受け取り、口の中に放り投げた。甘いハチミツの味が口いっぱいに広がり、ロティアはにっこりした。隣のリジンも、クスッと笑ってからコロンと飴を口に含んだ。
「それにあの雑貨屋さん、いろんなところに小さな小人のオブジェが置いてあったでしょう。探してる間も楽しかったし、手作りっぽくて味がある人形ばかりで、すごくかわいかったね」
「陳列台の上の方にもいたぞ。おもしろい工夫だな」
「フォラドの人は何でも楽しくしちゃうんだ。これから行くフェアリーボックスっていうギフト店も、ふたりが気に入ってくれると良いな」
フェアリーボックスは、フォラドの目抜き通りにある。そこでふたりと一羽は路面電車に乗って中央区へ移動した。座席が空いていなかったため、ふたりは一本の手すりに一緒に掴まり、フフランはロティアの肩の上に座った。
「そういえば、フォラドって箒には乗れないの?」
「うん。町を再興する時に、空中は鳥類、虫、妖精、魔獣の領域だから、不可侵にすべきだって動きがあって。箒での移動は禁止になったんだ」
「おおっ、鳥にも優しいなんて良い町だな! じゃあ、オイラはビュンビュン飛んでも良いのか」
「ふふ、そうそう。俺は箒に乗るの下手だから、路面電車が発達してくれてて助かるけどね」
「リジンは箒が苦手?」
リジンは空いている方の手で頬をポリポリと掻いた。
「……うん。高いところが苦手だから、箒も怖くて」
「そうだったんだ。わたしは結構好きだよ。フフランに出会ったのも、箒に乗れたおかげなの」
「ひょっとして空で出会ったの?」
「ううん。遠くに逃げ出したくて、飛んで行った先でフフランに出会ったの。わたしが空を飛べなかったら、あそこまで行けなかったし、そしたらフフランにも出会えなかったんだ」
「なんだか物語みたいな出会いだね。その話、詳しく教えてよ。ふたりの話、聞いてみたい」
ロティアは「もちろん!」と答え、フフランとの出会いをまくしたてるように話した。フフランも時々口をはさんだ。リジンはヴォーナ顔負けの反応を見せてくれた。放心した顔で、リジンが「すごいね」とつぶやいたところで、電車が停まった。
白色の細長い街灯が列柱のように立ち並ぶ目抜き通りは、きらびやかな店であふれていた。その中でもひときわ目立っているのは、ギフト店の「フェアリーボックス」だ。
全面ガラス張りの店のドアの取っ手は、リボンをイメージして作られている。そのドアを開けると、クラッとするほどの甘い香りが押し寄せてきた。フェアリーライトで飾られた店内には、ビンや缶に入ったお菓子を始め、ぬいぐるみやオルゴールなどの商品が所狭しと並んでいる。その多くは妖精がデザインされていた。
ロティアとフフランはポカンと口を開けたままぐるりと首を回し、店の中をじっくりと見た。
「本当に素敵なお店だねえ。宝箱の中みたい」
「その通りっ。お店のコンセプトが宝箱なんだって。子どもにも大人気だよ」
リジンは一番のおすすめはフェアリーチョコレートだと教えてくれた。
赤色、青色、黄色の妖精が描かれた箱の中に、同じ色のキラキラしたチョコレートが入っているそうだ。
「フォラドのチョコレート職人さんが作ってるから、フォラドならではのお土産として人気なんだ」
「面白いこと考えるなあ。味もうまそうだ」
「でも、フォラドの名物となると、リジンのご家族は食べ慣れてるかな?」
「意外とそうでもないよ。人に贈ることはあっても、自分には買おうと思わないものってあるでしょう」
「確かにそうだけど、これは家族へのお土産にしようかな」
ロティアが箱を持ち上げると、その手にフフランが止まった。
「ロヤン父さんは甘いの苦手だろ。いいのか?」
「ワインと一緒なら時々食べてくれるんだ」と答えながら、ロティアは金色のカゴにチョコレートを二箱入れた。一つは自分の分だ。
「お店をぐるっと回ってみても良い、リジン?」
「もちろん。ゆっくり見よう」
洋ナシ型の花瓶や、猫の置物、金細工の栞、高そうな腕時計など、趣向も値段も様々な商品が、バランスよく陳列されている。金色の手すりがついた螺旋階段のある広大な店内を三十分かけて歩き回った結果、マレイたちにインク瓶を贈ることに決めた。
星型に、クマ型、カップ型、蝶型、さらには妖精型など、様々な形が売っている。
中身になるインクの種類も豊富だ。
「ロティアらしい選択だね」というリジンの声も気づかずに、ロティアは目を輝かせて、インク瓶を一つひとつじっくりと見て行った。
「――よしっ。じゃあ、マレイさんにはピアノ型、ソペットさんには三日月型、ロエルさんにはバラ型にしよう。リジン、フフラン、お待たせっ」
インク瓶をカゴに入れて顔を上げると、少し離れたところでリジンがインクを見ていた。肩にとまっているフフランも、珍しく何も話さずにリジンの手元を見つめている。
ジッと動かないふたりの背中を照らす陽光が赤く燃えている。ずいぶん長く悩んでしまったようだ。
ロティアはカゴをしっかりと持って、ふたりに駆け寄った。
「ごめん、待たせちゃって! 何見てるの?」
ロティアはギクリとして足を止めた。
リジンが持っているインク瓶のラベルには、「鉱物インク」と書かれている。鉱物インクを作っているのは、オーケだけだ。ロティアの心臓が大きな音で鳴りだす。
インクを戻したリジンは、ロティアの方を見てニコッと笑った。作り笑いだと、すぐにわかった。
「決まって良かった」
「……うん。……ありがとう、リジン」
ふたりと一羽は向かい合ったまま黙りこむ。
甘ったるい香りも、まぶしいほどの灯りも、愉快な音楽も消え失せたように感じられる。
ドッドッという鼓動だけが、やかましいほど鳴り響く。
「……本当は、何か話をしに、会いに来てくれたんだよね」
乾いたリジンの声に、ロティアはギュッと目をつぶってうなずく。
「……うん。リジンと、話したいことがある」
ふたりの目は合わないままだ。
「それなら、場所を移して話をしよう」
そう言ったリジンの声は、微かに震えているが、とても優しかった。その声に、ロティアは泣きたくなった。
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