第7話 絵描き探偵の証明


「俺とタッグを組む日が来るとはな、杜若警部補」

「そちらこそ、景気良さそうですね、今野警部」


 そう言って、いがみ合う……わけではなく、両者ともに笑い合った。

 現在この状況が分かっていないのは、澤野刑事と影塚絵師だった。呆けてその二人が笑ってるのを見ている事しか出来ない。


「な、なんやねん……」

 と、流石のいつもの軽快な関西弁を披露する絵描きも、その言葉しか出て来なかった。


「そちらが、名探偵の美術家さん?」

「ああいや、自分は普通のイラストレーターで……って、普通てなんやねんって話ですよね……。ははは……あー、一応プロとして絵描きやらしてもろてます、盧作さんの友人で、影塚陽一かげづかよういちと申します」

 と、なんとかいつもの調子を取り戻そうと、ぎこちなく笑って右手を差し出した。


「いえ、こちらこそ。司法警察官の今野実盛こんのさねもりです。麻薬取締官で、まあ万引きGメンの麻薬バージョンって解釈して貰ったら」

「あ、ああいえいえ……こちらこそ……」

 影塚は丁寧な挨拶と共に渡された名刺を慌てて受け取り、返す名刺を持ってない事に「普段はあるんですけどね」と申し訳なく謝罪した。


 澤野は面識があるのか、「お疲れ様です」と四十五度の綺麗な礼をして終えた。

「思ったより早かったな」

「ああ、この美術館は元々こっちで追ってた黒の目星の一つだったからな。お前が県警に捜査係を設置依頼、挙句には俺に着歴とくれば、あとはもう明白だろ」


 後ろで影塚に思わず「ベテランだなぁ」と感嘆の声を上げ、小さな拍手を送っている。だが、これには杜若も大いに同意した。

 今野は、杜若や澤野と違って自衛隊上がりの警察官である。キャリアも歴も圧倒的な差があれば、その衰えない忍耐強さと体力には感服するばかりだ。本人はあまり称えられるのが苦手らしいが、犯罪への勘の鋭さは杜若が知っている中でも頭一つ抜けている。

 それこそ表彰物である検挙率は、部署そのものの士気上げにも貢献していた。


「しかし、美術品に混ぜ込むっていう手口はもう大分昔で廃れたもんだと思ってたが……。まあ、昔ならではだからこそ、近代の方法で収穫が無かったんだろうな。そもそも罰当たりな行為だしな」

 言われて見れば、確かに歴史ある絵に混ぜて犯罪というのは、その人への侮辱行為に近いのかもしれない。美術に疎い刑事は一人胸の内で納得する。


 その後は増援も鑑識も続々と到着し、関わった面子全員で何があったのか、現場の実証と説明を二時間近くかけて行った。

 警察関係者たちは慣れているが、そういった緊迫した状況に慣れていなかった影塚だけが疲弊し、「立ったまま寝れそうやわ」と譫言うわごとの様に呟いていた。


「文句言うなよ。今野さんと澤野のおかげで、これでも幾らか早い方だぜ」

 刑事は再び煙草を取り出し、駐車場でぷかりと煙を空中に浮かせた。「はあー」と影塚は大きく項垂れ、駐車場の自車の横にヤンキーの様な座り込みをして、溜息を零して言った。

「こないな職業に就いた人等を尊敬するわあ。俺には絶対無理やもん」

 杜若は「そうか?」と、もう朝日が昇っている空を見上げながら言った。


「お前の名推理が無かったら、あの姉妹も大崎の正体も分からずじまいだったと思うぜ」

 そう言うと探偵は「ほんまかあ?」と軽い口調で言うが、持ち上げた表情はどこか悲しげだ。


「そういやお前、あの絵の意味、言おうとしてまだ言ってないよな? なんだったんだ?」

「んあ?」と、影塚は小首を傾げて、こめかみを指差す。そのまま暫し考え込んで、「あー!」と思い出したのか、軽く両の手を合わせた。


「盧作さんが見たっちゅう絵が、あの妹さんが描いたパッケージなのは説明したよな? 正直、実物見ないと分からないと思てたんやけど……。人見ても、何を表現しようとしたのか、分かるもんなやなあ……と」

 絵描き探偵は何やら、もごもごと言う。確証がないのか、それとも言いにくいのか。

「なんだよ? いつもの勢いと、はきはきした物言いは何処へ行った?」


「吉野ちなの恵さんは、美術的に賞も取った事がある人やろ? それにしては、寂しくて、悲しい絵やと思わんか?」

 俺に美術センスを求めるな、と言いたかったが、あの絵に関しては頷くほかなかった。実際、探偵の様な推理をしていた時、他の絵画をよく見ればあの絵だけ、わざと質素に描いたように感じたからだ。


「もしかしたら盧作さんは、刑事の勘? みたいなので、あの絵に目を付けたんかもしれませんけど。普通に絵画として見た場合、色々おかしい。そもそも、更地と歩道橋、男。この三つしか描かれてない上に、タイトルが無い。絵画としてタイトルが無いのって、割と致命傷なんですわ」


 それは、流石の杜若でも思った不思議だった。

 タイトルも作者も不明なのに、なぜ説明だけしっかりあるのか。大学などで研究されていたと言っていたから、その筋か? とも思ったが、そうであればタイトルは真っ先に命名されたっておかしいのでは、という疑問は僅かにあった。


「あれはきっと、姉さんの……ええっと……」

「真辺莉々恵さん、な」

 名前を忘れたのであろう。杜若はあの不気味な笑みを零した彼女の名前を、丁寧に教えてやる。

「そうそう、真辺さん。彼女が意図的にやったんやなあって、今なら思うんですわ。妹は姉を思って描くけど、それは犯罪への道。それで選んだのは戦地と、そこを渡る歩道橋。男のマフラーが真っ白なのは、その犯罪へ染まった現れやないかと。実際あのマフラー部分がブツまんまやったんでしょ?」


 正直驚いた。ここまで的確に絵画の説明出来ることへも驚きだが、あの大崎への態度で怒声を上げていた時には、あの絵のどこに何があったのか、既にこの一般人は分かっていたわけだ。


「あれって、文豪って書かれてましたけど……文豪さんって、何気にそういう薬依存とかで亡くなったの、多いでしょ? いつか自分もそうしてこの世からいなくなってしまう。そんな、自嘲めいたもの、感じたんだよなあ……」

 その後すぐ「杞憂やといいんやけど」と言ってから、あまりの寒さにか、もう暖房が効いている美術館へ入って行った。


 入れ違いのように、今度は澤野と今野が軽く会釈をしながらやって来る。

 開口一番、澤野は「役に立てず、申し訳ありません」と、深々とした謝罪をこちらへ向けた。

「杜若先輩の筈がないと、最初は思ってました。けど……言い切れない自分が居たことが、本当に……悔しいです」

「いやいや、今回は色々と特殊なケース過ぎただろ。濡れ衣に濡れ衣、それも犯人は三人。そうそう巡り合う事件じゃない」

 落ち込む澤野を励ますように、今野警部は背中を叩きながら言う。

「そうだぞ、澤野。俺ですら、こんな事態は予想できなかった。ところで、今野さん。さっきの三人って……」

 この麻薬の橋渡しをしていたのは一ノ瀬時堂刑事と、大崎敏信警備員。その調達、加工係が吉野ちなの恵と真辺莉々恵の筈だ。合計四人となるはずだが……。

「亡くなった一ノ瀬刑事を省いて……と、言いたい所なんだがな。真辺という学芸員が、妹は無関係です、と容疑を否認しているんだ」

 これには、杜若は大層驚いた。一応濡れ衣と分かっていても、最初は容疑者扱いだった理由から、あの姉妹、警備員とは別々の場所で取り調べを受けていたので、互いに何を話していたのかは、杜若と影塚は知らないのだ。


 あの姉に、妹を庇うような精神は持ち合わせていないと思っていたのだが……。あまりにも驚いて煙草の火が指にほぼ近づいている事に気が付かなかった。

 今野に「おい、火ぃ危ないぞ」と指摘され、慌てて携帯灰皿で消した。


「お前達は知らないだろうが、元々こっちの調査で真辺莉々恵の方は、五年以上程前から名自体は挙がっていた。だからここで出会ったことは、流石に予想外だったよ」

「つまり、あの女はそれ以前から、その道で荒稼ぎしてたわけか……」


 ただ妹に勝ちたい。その欲求だけで、人生を棒に振る選択をしていたということ。その妹は純粋に姉を慕って絵の道へ進んだろうに。


「なんとも、報われないな……」

「そうでもない」

 今野は、自分の煙草――メビウスオリジナル――を取り出した。互いに古い人間なもので、電子タバコは使用していない。


「今回の件で、吉野さんは嫌でも自立しなくちゃならない。荒治療かもしれないが、あの姉妹にとっては、あの絵を境に決別する機会が必要だったのさ」

 今野はライターで火をつけ、寒空へとその息を吐き出す。


「歪な愛ゆえに生まれた絵画……って、確か事情聴取の時、あの影塚さんが仰ってましたね」

 澤野の言葉に、二人は黙って鑑識課が運んでいく絵画へと視線を注いだ。


 少し端が汚れ、剥がれかかったような様子がある絵画。そこには美しい白いドレスに身に纏った女が描かれており、その服からなのか体からなのか分からない二輪の百合が咲いていた。


「アレが、あの灰色の絵の下にあった本物の絵画らしい」

 そう言って今野は、再び現場へと赴いて手をヒラヒラとさせた。澤野も「失礼します」と言って去って行く。

 きっとこれから長い長い調書をまとめなければいけないんだろう。


 だが、杜若は鑑識課の車に乗せられるまで、絵画を見届け続けた。

 なぜならその絵はまるで、あの姉妹のようで、心底不気味だったから。泣きながら微笑み妹を見下して愉悦に浸る姉と、それを慕って思い描いたのが麻薬漬けとなった男の姿と昇華させた妹。


 まるで根っこは同じ、毒を携えた美しい百合の花……。


「おーい」

 遠くから影塚が駆けつけて来る。どうやら暖は取り終えたらしい。

「盧作さん、あんたまだ煙草を……」

 そう言う影塚も、思わずあの絵画に目を奪われていた。


「あれ……」

「ああ。本物の、『名も知られぬ絵画』様ってやつだ」

「……はぁ、絵のチョイス、サイッコーに悪ぃなあ……」

 杜若も「本当にな」と零して、これから本当の真っ当な学芸員や美術大学で研究されるであろう絵画が、この美術館を去って行く姿を見送った。


 どうか、今後の姉妹にとっては、その花の毒を抜いてくれる世界であらんことを。と、杜若と影塚は祈るばかりだった。


 *


 その後日、警察本部からこの事件に関与して大いに貢献したという名目で、影塚を世間に公表してもいいかという相談があったが、影塚は丁寧に遠慮した。

「不名誉な事件やったし、そんな関わりあるって、あんまし周りに知られたくないわあ」

 とのことだった。

 よって、杜若もその発表には登壇しないことにした。

 あくまで協力関与があった組織が存在した、という発表で納めてもらった。おかげでメディアへの発表はかなり面倒なものとなり、今野と澤野は、杜若と影塚を含めた四人で呑み語らうことで貸し無しでどうだ、と提案を受けた。


 勿論、これに断る理由なんてない。

 あの事件の事、更には美術探偵と勝手に名付けられた影塚は質問攻めに合ったが……まあ、それももういい思い出だ。


 さあ、また次の美術探偵が活躍するのは、いつだろう?


 Fin.

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歪な絵画の謎―それは絵じゃない― M.O&わらび餅 @yokaze8842

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