第5話 しっかり、はっきり、くっきりと


 吉野が崩れ落ちてから、様々な事が判明し、謎が解けていった。


 まず、受付の吉野ちなの恵だが、先程の癇癪持ちだったようなスタッフ――正しくは学芸員――の真辺莉々恵とは、腹違いの姉妹であった。

 雰囲気も外見もまるで似ていない為、この事実が判明した途端、一同は大層驚いた。


 真辺莉々恵の方が姉で、吉野ちなの恵が妹とのことだった。真辺は美大も卒業し、自分はその道のプロになることを志していた。

 吉野は、お姉ちゃんっ子で、真辺を憧れに同じ道を歩もうとすると、この姉妹の中で亀裂が入ってしまう。


 真辺は一度も賞を取った事が無いのに対し、吉野は美術部門で高校の頃から賞を総なめし、成績まで良かった。

 真辺はひがみと嫉妬、愛情と姉というプライドの中で葛藤し、自分の絵という物を愛せなくなってしまった。そしてその当て付けと言わんばかりに、金というマウントで妹を縛り始めたのだ。

「あんたより商売の才能が優れてる」「金儲けは私のが上なんだから」という具合だったそうだ。しかし、それが違法の金であることもそろそろ隠せなくなってきた年頃に、今回の悲劇が生まれた。

 とうとう愛したはずの美術品にまで手を出してしまったのだ。


 それも、妹の絵を使用して。

 吉野は自分の絵が利用された事よりも、あんなにも愛していた絵を蔑ろにしてまで、穢れたお金に手を掛けた事が悲しかった、と主張した。

 一方で真辺は、崩れ去る妹を見ながら己も泣き、そして微笑んだ。


「ほら……やっぱあんたは、お姉ちゃんが居ないと駄目な妹なんだから」


 盗んだ手口は安易で、吉野が崩れてからは、警備員の大崎敏信おおさきとしのぶが全て独白した。

 大崎警備員が自分の見回りの時にあらかじめ用意してあった映像を流し、その隙に盗む。ただそれだけのプランだったが、運良く――杜若からすれば運悪く――写真を撮る男が現れたので、プランを変更してその男に濡れ衣を着せれる時間の偽の監視カメラ映像と入館記録を残す。

 そうすれば、自分達は危ない橋を渡る必要もないと考えたのだ。そして不自然でない閉館前の見回り時に大崎が先に通報し、その間真辺が例の絵画を隠す。


 通報先は一ノ瀬刑事が受け持ちだったが、偶然四駆で帰路に向かっていた澤野刑事の元にも届いたので、共に現場へ向かったら監視カメラに自分の先輩の姿が確認されたという、完全巻き込まれの不憫な刑事なのだ。


 大崎の口が軽かったおかげで、容疑者から一旦容疑保留扱いへなった杜若は、ニコチンを求める事が許され、凍空の下で静かに煙をくゆらせる。一瞬自分の肺から漏れ出た体温の煙なのか、煙草の煙なのか分からない量の白煙が口から出て行くのを星空と共に眺めて。


「はぁーさぶさぶ」

 館内から十分ちょっと経った頃、影塚が両手を擦り合わせながら出て来た。中で何があったかなど何を語るでもなく、静かに美術館の柱にもたれ掛かった杜若の横に並ぶ。


 暫しの沈黙が流れ、煙草の火が半分くらいまで差し迫って来て、もう一度煙を吐いた時に「なんで彼女だと思ったんだ?」とだけ聞いた。影塚は暫く「うーん」と唸って両腕を組んで考え込む。


 実は、この事件のあらましは、既に車内で影塚は「実行犯と計画犯別々に居てるやろな」と、話していたのだ。それを駐車場に入ってから言ったもんだから、車を停めた時に杜若の要望で、急遽ながら打ち合わせをする羽目になったのだが。


「お前の中だけで解決するな。何故あの写真だけで犯人も目的も分かる?」

「記憶力が良くて、それを詳しく話してくれた盧作さんのおかげやな。そこに全部答えの情報があった」


 車内で、影塚は吸いもしない煙草を杜若から奪い、目の前で掲げて見せた。

「あの絵は、言ってしまえばパッケージやねん。まだ館内の絵を見てへんから、意図までは確実性がないんやけども……。多分わざと意味を深く持たせない絵を描いて、あのマフラーを巻いた男にだけ集中させるような描写になってるんよな」


 そうしてトン、と『セブンスター』と書かれた煙草の銘柄を指差し、箱の下の部分は隠す。

「こないな感じで、ロゴしか目がいかんように誘導してる、みたいな。そんで、見せてもろた写真の絵画のキャンバスも。あれも張り過ぎて突っ張てる印象やったんですわ。しかも、一九三〇年代のモノやろ? にしてはキャンバスの白が。 水彩なのか油絵なのか知らへんけど、どんな状態であっても少しはボヤけるはずやし……」

「成程な。だが、それでなんで目的まで分かる?」

 それは……と少し濁した後に耳後ろを少しだけ掻きながら説明した。


「正直、アレは美術センスがある人間がこの絵を描いたとは、ワイには思えん。人間の折れ曲がりかて、こんな不自然にならんし、そもそもマフラーが白すぎる。しかも、粉っぽくも見えたんよなあ」

「……粉、だって?」

 本当に一部、しかもかなり古い手法だが、美術品にわざと大麻や違法麻薬を画材に混ぜて運搬するという事例は、確かにある。杜若が警察学校の頃、確かその事件でとある美術館が閉鎖する事態にさせたほどの大事だったはずだ。


 だが、そうなると、それが出来る人間というのは……。


「まあ、手口的に考えても恐らく、美術館に作品運搬したスタッフか誰かで間違いあらへんかと。きっと警備員もグルやろなあ。盧作さんが写真撮ってるとこ、咎めてないのが良い証拠や。何割か、ぶっとく貰う予定なんちゃう? まあ、そういう解析? やらなんやらはそっちに任せるけども」

 そこまで解説した後、「部下さんは疑わんといてあげてーな」と、影塚は少し真面目な顔をして言って煙草を助手席へと放り投げた。


 ……これが、車内で行われた一通りの流れだった。

 そうして、杜若は煙草の箱を眺めながら、妹である吉野へ哀れみのような、恐怖のような感情を抱いていた。あの姉妹は共依存に近い、何かを抱えている。


 姉の真辺のあの恐ろしい微笑みは、暫く脳内から離れてくれそうにない。


「描いた人が分かった理由は事理明白じりめいはく、簡単や。あの人の服装がグレーだったってのと、指にかなり分厚めのペンだこが出来てたことやな。まあ、でも決定打は誤魔化すようにネイルをしてたけど、薄っすら黒インクが指に滲んでたことですわ」

 杜若が吹かしている煙を眺めながら淡々と説明しているが、明らかにその声量に覇気も何も無かった。虚無とまではいかないが、明らかに気力がない。

 それに、そんな些細なところで犯人に漕ぎ着けたというのは、中々に危ない橋を渡ってたんだな、と杜若は感心した。


 元気が無いことは分かるが、ここでどうした? と聞いても何故かまともな返答が来た事が無い。なのでここで杜若は相手から話してくれるのを待つ。

 まあ、こいつに限らず受け身であることが大事ってのは、長年この業界に住んでいる杜若の心構えであった。


「なあ、盧作さん。ワイ、ちょっと失礼なこと言ってしもーたなあ」

 そう言って影塚は珍しく少し落ち込んだような表情をして、両手で頬を温めている。

「失礼って……例の、偽物パチモン発言か?」

「まあ……」と、弱々しい発言を零す。


「あれは仕方ないだろ。実際には本物の絵画じゃなかったわけだしな」

「いや、でも描いた本人は……きっと、あれ、姉ちゃんの為に描いてたはずやねんな。それを、事実でも偽物パチモン呼ばわりは、辛かったんちゃうかなって」


 それを聞いて、杜若は「ふっ」と鼻で少し笑ってしまう。

「は? なんやねん」

「いいや? 絵自体の評価はキツめなのに、人情味が大分あるギャップが面白かっただけだぜ」

 少し笑いを堪えた声でそう言って、胸ポケットから携帯灰皿を取り出して煙草を押し込む。そして新たな一本を口に咥えて「だがな」と付け足した。


「あの絵は、どんな状況下であれ、褒め称えられるべき作品ではない。偽物だとか、あの姉妹に同情するから言うんじゃないぜ? あれは、犯罪の為に描かれてしまった絵なんだ。お前の申し訳ないと思う美徳も大事だが、それを否定できる誠実さも、間違ってない」

 ライターを探し、火をつける頃には絵描きは「おう」と、何とも言えない表情をしている。こういう褒められ方に慣れていないのかもしれないな、と勝手に思う。


「あ! か、杜若警部補!」

「ん?」と影塚も共に振り向くと、蒼ざめた表情の澤野刑事が出てきた。何やら慌てているが、一ノ瀬刑事が一緒に出て来ていない。

 杜若は嫌な予感がした。


「すいません、此方に一ノ瀬さんは……!」と、言った時にはパァン! という風船が弾けた様な音が、入り口から死角になっている駐車場の奥の方から聞こえてきた。


「おい、どういう状況なんだ? まだ取り調べをしてたはずじゃ?」

 冬だというのに冷や汗が出て、心臓を握りしめられているような感覚になる。煙草を急いで携帯灰皿で揉み消し、三人揃って先程の音が聞こえた方向へ小走りで向かう。

「そ、それが……吉野さんと真辺さんはほぼ会話が不可能状態なので、警備員の大崎さんに絵画の在処を聞いたら、一ノ瀬さんが居なくなっていて……」

「それで? 大崎はなんて言ったんだ?」


 その問いに答える前に、この美術館の裏側、恐らく倉庫へ続いているのだろう両開きの扉が開いているのが目に映った。

 影塚が察したのか、「うっ」と声を上げ、澤野もそれ以上進もうとはしなかった。誰がどう見ても、刑事部捜査第一課の刑事、一ノ瀬時堂のズボンと靴が見えている。


 それでも先程、大崎から聞いた情報を話そうと、澤野は「お……」と続けた。


「大崎さんが言うには……あの絵の染料には、THCという粉末状の大麻が練り込まれていたようです……。そしてその密売人相手が……」


「……一ノ瀬刑事だったってことか」

 躊躇いもなく杜若は一ノ瀬刑事の全貌が見えるところまで向かい、頭を拳銃で撃ち放って倒れた遺体を眺めて、握り拳を作り上げた。

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