第4話 なんちゃって絵


「絵描きって……じゃあこの展示品の?」


 最初に反応したのは、意外にも澤野だった。

 影塚は「はっはっは!」といつも通りの軽快な笑いをする。普段であれば気にしなかったが、美術館のような広々としたところで聞くと、少々響く。声色が若干高いせいもあるのだろう。


 杜若は自分の出番を待つため、再び煙草の箱を取り出して、先程より軽くトントンと叩く。

 さあ、ここからは影塚のターンだ。……見物だな。


「ここにある油絵や水彩画は、ワイの専門やないです。デジタルイラストレーターが専門ですね」


 その発言に、真辺がいち早く「デジタル?」と反応し、不機嫌顔が完全に憤怒ふんぬの顔へと変わった。


「今話題の、AIイラスト的な専門家? なんとまあ、お角が知れていますね。大事な絵程、アナログで残すものでしょう」

 真辺はもう皮肉なんてレベルではなく、影塚を自分の格下の存在的と見た発言を堂々とした。しかし、一方で影塚は全く気にしてない様子で普通に話す。

「はあ、そうですか。後半についてはまあ、理解できる所もあるんで否定しませんけど……。AIイラストに関しては、ワイは肥やしにされる側です」


 影塚の軽く聞こえてしまう関西弁も問題なのだろうが、真辺は心底疑った眼差ししか向けない。挙句、信頼しきれないからか「活動名を聞いても?」と言って、上着のポケットからグレー色カバーを付けたスマホを取り出す。


 しかし、影塚は「いやー」と言って結局名前は教えなかった。

 そういえば俺も知らないな、と今更ながら杜若も気付いた。


「申し訳あれへんけど、ワイ、盗人ぬすっとに教える名前は持ち合わせてないんですわ」


 トントントン。と、杜若が煙草の箱を叩く音だけが館内で聞こえた。まるで、息遣いの音さえ、吸収されたような空間が数秒だけ続いた。


「な、なにを……」

 その口を開いたのは、一ノ瀬刑事だった。警察としては事情聴取を済ませた相手が犯人だと言われれば、そりゃ動揺もするだろう。

 杜若は再び同情をし、煙草を叩く速度を気持ちばかり落とした。


「いやね? ワイはあの絵画見た時からずぅーっと思てたんです。偽物パチモンやなあって」

「何を根拠に!」

 真辺が我慢ならず、この冷え切った空間で声を大きく張り上げて反論した。この寒い中で熱を持った頬を真っ赤にさせている。


「あの絵は、ここに運搬されるまで大学で研究されていた、立派な美術品です! それを偽物ですって? 美術も美学も大して何も知らない、ど素人のあなたが、どの口を使って喋ってるんですか!」


 影塚は冗談めいて「この口ですわ」と、自身の口を指さす。

 自分がやられたらたまったもんじゃないな、と杜若は他人事のように思うことにした。これ以上の同情は、逆に失礼というものだろう。


「いや、確かに絵画研究うんたらはワイ本当に知らないし、事実ですわ。でも、研究うんたらの話、今関係あります? ワイは一応、ソッチの道も学んだことあるんで言いますけど……あの絵、ません?」


「弱い……?」

 警備員の大崎が静かに零す。

 影塚は警備員さんを指差して、「そう」と言い放つ。


「まあワイはこの両目で例の絵、実物見たわけやないんで、半分ほどは憶測で聞いてくれたら有難いですけど……」

 影塚は少々……いや、だいぶ大降りに演者染みて解説を始めた。

 こんな展開は車内での打ち合わせで行う余裕がなかったため、もう杜若はこの絵描きを赤の他人レベルだと思うことにし、先程までの影塚のように他の美術品に目を向けた。


「いやぁ、さっきまで他の絵画も見てたんですけどね? 他は見事なもんですわ。色使いも、その色の乗せ方や魅せ方。『名も知れぬ絵画展』に相応しすぎる絵画で」


 そう言いながら影塚は、海の風景画の前まで歩く。

「例えばコレ。海ですからね、色味はダークっぽくても流れが一定方向に感じるように描かれとるんですわ。ダークっぽいってワイさっき言いましたけど、意外と明るい黄色とか、そんなんもココらへん、波打ち際に入ってるん分かります?」


「もう結構です。貴方が私の事も、此処に居る人達の事も馬鹿にしている事は重々分かりましたので!」

 と、真辺が真っ先にキレた。まあ、だろうなとは思っていた。正直警備員や刑事たちは感心していたが、学芸員は本来その説明者なワケで……。


「貴方の知識自慢なんて、どうでもいいんです。それより、早く私への謝罪の言葉をくれます?」

「謝罪?」と影塚は片眉を上げて、その時初めて真正面から真辺の事を見据えた。


「わ、私は盗みなんてしてないんです! それに、そんなに詳しいのなら、逆にあなたが、この刑事さんに頼んで盗んだんじゃないですか?」

 真正面からの圧に一瞬負けたのか、最初少し躓いたが、後半は先程の勢いで語る。

 いや、無理矢理すぎるだろう。流石にこれには澤野刑事も一ノ瀬刑事も「まあまあ」と抑えた程であった。でなければ、きっと影塚に噛み付き続け、この捜査は一向に進まないだろう。


「一応確認ですが、お二人とも、盗まれたであろう十九時以前頃は何してたんですか?」

 これには杜若が「こいつと呑み語らってました」とだけ返答。無駄な事は何も語らない。


「何故その写真を撮ったんです? あ、あとその撮ったモノを見せて頂いても?」

「ああ」と言って、杜若はスマホを取り出そうと尻ポケットから取り出そうとした時だった。「ちょっと待て」と、影塚が止めたのだ。


「確認せんでも、絵画は此処から動いてへん、わざわざ出すな」

「はあ?」と、男の声が全員重なった。受付の吉野と、学芸員の真辺だけは驚きの表情をして口元を隠すばかり。


「隠し場所までは流石に知りませんけど、そもそもあれ、偽物パチモンなんで、飾る必要があらへんのですよ」


 この言葉に、もう真辺は怒りに震える事しか出来ていない。それを悟って一ノ瀬刑事が「どういうことです?」と、関西訛りのトーンで尋ねた。


「正直、盧作さんがそんなに写真お上手じゃなかったんで、確実性なかったんですけどね。まあでも、他の作品の並び見て、盧作さんが違和感持つのも当たり前ですわ」


 影塚は人差し指で周りの絵画たちを指し示しながら「ほら、他の絵画はカラーが際立つよう配置されてはるでしょ?」と説明をし始めた。

 確かに、杜若もあの時に感じた違和感は、あの絵が浮いて見えたことが原因なのかもしれない。


「けど、あの絵画はこの周りとのバランスの全てをド無視して、全部灰色の配色やったんです。おかしいでしょ? しかも唯一の際立つ色が真っ白で、しかもそれがマフラーだけって、そんなん寂しすぎるでしょ? この美術館の中で」


 影塚の解説を受け、澤野刑事も一ノ瀬刑事も周りを見渡し始める。配置をあらかじめ知っているであろう真辺は、先程までの勢いのあった口を閉ざした。


「あれは、完全に此処に並び立ってる絵画達とは確実に別モンです。どちらかというと、此処にある絵画達は印象派――所謂ボカした正しい輪郭を描かないような――絵画が多いんですわな。けど、盗まれたとか抜かしてる絵は、ボカしてもないし、なんなら人間はガッツリ描写されてもうてるんです」


 一歩、影塚は歩いて更に付け足す。

「それだけじゃあない。盧作さんの部下さん――ああ、そうだ澤野刑事さん? ――そっちの刑事さんには確認してもらっていいんですけど……。あの絵、キャンバスが二重になってたんです」


「二重……?」

 澤野も一ノ瀬刑事も、互いに顔を見合わせた。杜若はとうとう箱を叩きすぎて出てしまった煙草一本を取り出し、指先でくるくると回し始める。


「ワイは知らんかったんですけど、盧作さん曰くそれって麻薬とか違法な絵画の輸入時に施される手法やないらしいですか? それっぽい絵を描いて、キャンバス張って綺麗に誤魔化したかったつもりやったんでしょうけど……あの絵は駄目ですわ。しかも、それだけやないんですよね」


 影塚は初めて例の絵画の元まで歩き始め、ある部分を指差した。

 例の、絵画説明の銀プレートの部分である。


「ここ、タイトル名、作家名。ぱぁーっと見た感じ、恐らく唯一この項目書かれとらんのが、例のここにあった絵画やと思います。そんで、えーと……すんません、アナタ名前なんて言いましたっけ?」


 影塚はずっと小ぢんまりとしたまま黙っている、受付担当の吉野を見る。当の本人は名指しされると思っていなかったのか、向けられる男の視線に「えっ」と零して震えていた。

「わ、私は……よ、吉野……ちなの恵です……」


 やたらずっと震えている吉野を、真辺がそっと寄り添い、伏し目がちになった。

「……アナタでしょ? あれ描いたの」


 吉野はそれを聞いた途端、「あぁ」と膝から崩れて泣き始めてしまった。


 ゲームセット。ターンオーバーだ。

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