運命のふたり《来世編》(短編)

藻ノかたり

運命のふたり《来世編》

俺は彼女を運命の人だと思った。彼女もそう言ってくれた。俺たちは”運命のふたり”なのだと確信した。


俺たちは当然の如く結ばれて、一生を支え合って生きていく事を誓ったし、またそうなるだろうと思っていた。


だが運命とは、上手くいかないものだ。


俺は些細な事から職を失い、その後も安定した仕事には就けなかった。努力しなかったわけではないが、いつしか諦めに近い感情が芽生え始めたのを否定する事は出来ない。


彼女はそんな俺を献身的に支え、励ましてくれた。だがそんな日々は、長くは続かなかった。


実のところ、彼女はそれなりに裕福な家の出で、その両親は俺との交際を反対していた。何が気に入らなかったのかはわからないが、事あるごとに娘に俺と別れるように吹き込み、特に俺が職を失ってからは、彼女の弟も加わって、家に戻るよう執拗に説得をし続けた。


彼女は頑として受け入れなかったが、俺は日々の生活に段々と疲れ、彼女が重荷にさえ思えるようになってくる。


俺はそこで諦めた。


俺は仕事が安定するまでと言い聞かせて、彼女へ実家に帰るよう促した。彼女は反対したが、最後は俺の考えに従った。彼女が実家に戻る朝、もし万が一、このまま別れるような事があったとしても、来世では必ず一緒になろうと誓い合った。


それから二年が過ぎ、俺はようやく安定した仕事に就き、生活環境は順調に回復していった。そこで彼女へ連絡を取ろうとしたが、前の住所に彼女はおらず、それどころか彼女の実家そのものがなくなっていた。


漏れ聞くところによると、彼女は俺の事を待ち続け、精神を病む一歩手前までいったらしい。それを心配した両親が俺を諦めさせる為、遠方へ引っ越したという話だった。


俺は必死になって彼女を探したが、一向にその行方は分からなかった。向こうの両親としても、そう簡単に見つけられるような所へは引っ越すまい。当然、外国という可能性すらあった。


仕事の合間を縫って懸命に探し続けたものの、彼女はどうしても見つからない。そんな時、専務令嬢との縁談が持ち上がった。最初は断わり続けたが、実際に会ってみると金持ちを鼻にかけない非常に誠実な女であり、俺はどんどん彼女に魅かれていった。


というより、運命の彼女を探す事に疲れ始めていた言い訳に、縁談相手の女に逃げ込んでいったのかも知れない。


俺は再び諦めた。


結婚後、俺は課長に抜擢され、後ろめたさを誤魔化す為に必死になって働いた。最後は社長にまで上り詰め、家庭も安泰、人もうらやむ人生を送る事になる。そして引退し暫くたったころ、ひょんな所から運命の彼女の消息を知った。


やはり彼女は外国に連れていかれ、つい数年前に同地で息を引き取ったという。両親の必死の説得にもかかわらず、生涯、結婚する事はなく、軟禁状態さながらの生活を強いられていたらしい。最後は弟が看取ったそうだ。そして死の間際まで、俺の名を呟いていたという。


俺は彼女の墓へ赴き、謝罪しようと考えた。引退したとはいえ、今の俺にはその力がある。だが俺を疑わぬ献身的な妻、親孝行な息子や娘、そして目に入れても痛くない孫たち、彼らの事を考えると、どうにも踏ん切りがつかなかった。そして、いつしか自らの卑しさを忘れていった。


俺は、三たび諦めたのだ。


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……あぁ、ここはどこだろうか?


混濁した意識の中で、俺は自問する。生きているような死んでいるような。とても不思議な気分だ。全く新しい世界へ来たような、そうでないような……。俺は少しずつ記憶の整理を試み始める。


最後の記憶。それは病院のベッドの上、家族が悲しそうな目をして俺を見つめる情景だった。そうか、思い出した。俺は死んだのだ。平均寿命を大きく超え、さしたる病気もせずに天寿を全うした。いわゆる大往生だった。


では、今ここにいる俺はなんだろう。死後の世界にでもいるのだろうか。


だんだんと辺りの風景が見えてくる。それは一般家庭のリビングのようだった。一体どういう事なのだろうか、俺は死んではいないのだろうか……。だが体は全く動かない。ただ横たわっているだけの様に思える。


ドアの方からパタパタと音がして、人の気配が近づいてきた。そうか、俺は生まれ変わったんだ。動けないという事は多分、赤ん坊なのだろう。俺はこれからまた、新たに人生を歩み始めるのだ。


突然、頭の片隅に遠い記憶が甦る。


”来世で一緒になろう”


そうだ、俺には前世で運命の人がいた。結ばれる事はなかったが、思いが消えたわけではない。神様がチャンスを下さったのだ。今度の人生でこそ、彼女と添い遂げられるようにと――。


俺の目の前に若い女性が現れる。多分、この女が母親なのだろう。色白で細面、ぱっちりとした瞳に流れるような美しい髪。中々の器量よしである。……だが、何か変だ。違和感がある。何が変なのだろうか?


しばらくは頭の中にモヤモヤとした霧がかかっていたが、やがて一筋の光が差しこんできた。


……そうか! 彼女だ。前世で運命の女と定めたその人と、瓜二つの顔をしているではないか。いま目の前にいる女は、彼女の生まれ変わりに違いない。


俺の心は小躍りした。早くも再会できたのだ。俺は神様に感謝したが、すぐにそれは失望に変わった。


つまり親子じゃないか、俺たちは。


これでは二人、結ばれる事はない。神様もなんて残酷な仕打ちをするのだろう。俺はそう思ったが、すぐに考えを改めた。


いや、別に男女として結ばれなくてもいいじゃないか。俺が前世で犯した不義理を償うべく、精一杯の親孝行をしよう。彼女に最高の人生を送らせよう。俺はすぐさま心に誓った。


決意も新たに人生の再出発を誓った俺に、運命の彼女が近づいてくる。ミルクの時間か、それともオムツの時間か、はたまた抱き上げてくれるのか……。


だが、そうではなかった。


彼女はおもむろに、俺の顔へと手を伸ばしてきた。そして俺をぎゅっと掴んだのだ。何が何やらわからぬまま、俺は何処かへ運ばれる。どうやら風呂場のようだ。そして突然、冷たい水へと放り込まれた。体中に水が染み込む感覚が不愉快極まりない。


何だ? どういうことだ。俺を殺そうというのか? まさか育児ノイローゼで……。


しかし彼女はすぐに俺を引揚げ、両手で思い切り”しぼり”はじめる。体中に激痛が走った。


その時、風呂場の鏡に俺の姿が映る。


俺は彼女の手に握られた、薄汚い「雑巾」だった。


そうか、俺は雑巾に生まれ変わったのだ。なるほど、前世であれほど不義理を尽くした俺が、最後まで俺を想い続けてくれた彼女と、同格で生まれ変われるはずもない。


そう考えると、こんな仕打ちをした神様に対してもそれほど腹は立たず、むしろ納得のいく処置とさえ思えた。


俺はこれから何度も水につけられ、硬くしぼられ続けるのだろう。そして埃や、ゴミ、汚物をなめまわして生きていくのだろう。


その後は……、その後は文字通りボロ雑巾として、誰に惜しまれる事もなく燃えるゴミとなり焼却場へ行くに違いない。


だけど、それで良いと俺は思った。


短い時間であろうとも、俺たちは”運命の二人”として再会し、密接に触れ合い生きていけるのだから――。あの時の誓いを守る事が出来るのだから――。


俺は喜んで、雑巾としての一生を全うしよう。


俺は、もう諦めない。


彼女の手が、俺を再び持ち上げる。その柔らかなぬくもりは、とても懐かしく、そして限りなく愛おしい。


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運命のふたり《来世編》(短編) 藻ノかたり @monokatari

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