7「秘められた魔力」


 旧王都を徘徊している最強の魔物。その名も剣王の亡霊。

 それが結界を抜けて外に出てくるなんて話は聞いたことがない。

 僕は反射的にエルナに覆いかぶさった。


「エルナ、危険だけど街道の向こうへ逃げよう。結界は役に立たないだろうけど、少しでもあれから離れなきゃ――」

「ラック……わたし、なんかおかしいよ……」

「え? ――!? エルナ、それ……」 


 剣王の亡霊に気を取られ、今度はエルナの変化に気付けなかった。

 いつのまにか彼女の身体から、紫色のオーラが漏れ出ている――。


(これ、魔力なのか? それにしては――!)


 ズオオオォォォ――……!

 今度はまた背後だ。迫る魔力の圧がより重くなった。空気が乾き、肌が焼けるような感覚。耳鳴りと頭痛が止まない。

 旧王都から出てきた剣王の亡霊は、ゆっくりとした動きにもかかわらず急速に近付いて来ていた。

 そしてそれに呼応するかのように、エルナから漏れ出す紫色の魔力がどんどん増えていた。身体を抱え込むようにして蹲ってしまい苦しそうだ。

 ――だめだ、動けない! いったいエルナの身になにが起きているんだ?!


「……微かに禍々しき魔力を感じ、見に来てみれば……おかしなものを見付けたな」

「――――!!」


 まだ離れているが、剣王の亡霊が言葉を発した。

 これまで、この魔物が喋ったという記録は無い。声を出さず、遭遇した冒険者に無言で襲いかかる姿が亡霊のようだと言われてきたのだから。

 旧王都から出てきたことも、喋ったことも、すべてが異常事態。


 そして、見なくてもわかる。亡霊の視線はエルナに向けられている。


「その魔力、人のモノではあるまい。いかようにして手に入れた」

「…………っ」


 人のモノではない魔力――やはり、そうなのか?

 僕も感じていた。人間の魔力にしては、エルナから漏れ出す魔力は禍々しい。これはまるで魔物が持つ魔力だ。


「答えられぬか。まぁよい。では――消すか。あるいは連れ帰るか……」

「なっ――!」


 消すか、連れ帰る? エルナを?

 僕は剣王の亡霊に向き直り、エルナを後ろに庇ってしゃがんだまま剣を抜く。


(……マズイな。これ、死ぬだろ)


 今の僕で倒せる相手ではない。転生前だって怪しい。無策じゃどうしたって勝てない。目の前の結界も役に立たない。ヤツはすでに旧王都の結界を抜けて来ている。

 なんとか食い止めてエルナだけでも逃がしたいが、エルナが一人で動ける状態ではない。


 もう終わりなのか? この世界の僕は、こんなにも早く死ぬのか――?


(――嫌だ! 僕はまだこの世界で生きたい!)


 こんなところで死にたくない。エルナを守れず死ぬことはできない。

 まだまだこれからなんだ。もっとこの世界を生きたいのに――。


 そう強く願うのに、巨大な絶望が目の前に立ちはだかっている。


 ――やるしかない。


 鉄塊のような剣を肩に担いだまま、空いた手を伸ばし――バチィと激しい音がして結界に大量のヒビが入った。

 同時に僕は飛び出していた。その腕目がけて、剣を振り下ろし――。


 ガキン!!


 ――僕の剣は、その真紅の手にあっさり掴まれてしまった。


「邪魔をするな」


 バキィィ!

 そのまま剣を砕かれ、そして虫でもはたくかのように振り払い、僕の身体は吹っ飛ばされた。


「ぐっ……!」


 地面に叩き付けられ、転がるのを受け身で堪える。あちこちを地面に擦り、全身に痛みが走るが無視して身体を起こす。前を向くと、亡霊はエルナに手を伸ばしていた。


「させるかっ――スカーレット・ファイア!」


 バシッ!

 魔法は剣王の亡霊の腕に当たったが――見向きもしない。そのままエルナの腕を掴み、彼女をつり上げた。


「やめろ……! エルナを離せ!」


 僕は必死に駆け寄り、亡霊に掴みかかる。しかし一蹴され地面に転がされた。


「しつこいぞ。お前に用はない」

「僕は、あるんだよ……!」


 エルナだけは、なにがあっても守る。助ける。絶対に、諦めない。


「そうか。ならば、先に消すとしよう」

「……!!」


 ずっと肩に担いでいた巨大な剣を、片手で軽々と振り上げる。

 僕はまだ立ち上がれてもいない。剣も無い。避けなければ死ぬ。

 方法を考える。威力のある単純な魔法で剣の勢いを削ぐ。そして自分の身体も魔法で吹き飛ばすんだ。それで無理矢理避ける。


 ――できるのか? できたところで……いや、そもそもこいつの剣は、それすら許さない――。


「やめ……て。ラックを……これ以上……!」

「……む?」


 亡霊につり上げられていたエルナの髪が、ふわっと浮かび上がった。

 そして彼女の胸元で、なにかが弾け飛ぶ。


 パキン!


「エルナ!?」


 弾けたのは、彼女が首にかけていたお守り代わりのペンダントだ。

 珠が壊れて木片が吹き飛び、中から緑色の光を放つ石が飛び出して僕の前に転がってきた。


「これは……!」


 僕は咄嗟に掴み取る。緑色に光る、球状の石。それは完璧な球で、光がその表面をなめらかになぞる。奥深くに秘められたより濃い緑色は激しくうねり、やがてゆっくりと光を失っていった。

 その冷たく滑らかな表面の感触。僕はよく知っていた。覚えている。


 この石は――は――。


(どうして、ここにある!!)


「ラックを傷付けないで!!」

「っ――――エルナ!」


 エルナの叫び声に我に返った。石を握りしめ顔を上げる。


 エルナが放つ紫色の魔力は、彼女の全身を包み膨張を続けていた。彼女の透き通るような水色の髪がいつの間にか濃い紫色に染め上がっている。

 さっきまでは漏れ出ているだけだった。それがまるで栓を開けたかのように、桁外れの魔力が噴き出している。掴んでいた亡霊の腕を弾き飛ばし、彼女の身体はその膨大な魔力で浮かんでいた。


 まるで、あの時の、彼女のように――。


 エルナの額に膨大な魔力が集まり、渦を巻く。大気がビリビリと震え、亡霊以上の魔力の重圧が僕にのし掛かかった。上手く息ができなくなる。


「クククッ……やはり、あり得ぬ魔力だ。そこの剣士よ、貴様が守ろうとしているのは、本当に人間か?」

「なっ……」


 ――ズドンッ!!


 僕が答える前に、エルナの魔力が剣王の亡霊に向かって放たれた。

 それは魔法とは呼べない。ただ魔力をぶつけるだけの、荒々しい破壊の力。


 ズオオオォォォォォォ!!


 暴力的な魔力の塊は、血のような赤い閃光となり一直線に旧王都まで伸びていく。地面は抉れ、草原は蒸発するかのように煙となって消える。空気を焼き、光を闇に変え、一瞬の暗闇、轟音が響き渡った。

 激しい魔力の余波が荒れ狂い、容赦なく皮膚を裂く。僕は蹲りながらも、エルナから目を離さなかった。


 ――やがて、バシッという激しい音を立てて魔力の塊が消えた。赤い火花を撒き散らし、風が吹き荒れ、魔力の闇が晴れていく。


 エルナの前には、なにも無かった。

 直線上のすべてを消し飛ばしたのだ。立ちはだかっていた、剣王の亡霊さえも。


 ドサッ。

 浮かんでいたエルナが、力を失い地面に倒れる。


「――エルナ!!」


 僕は慌てて彼女に駆け寄り、その頭を抱き上げた。


「ラック……よか……た……」

「エルナ!? エルナ!!」


 彼女は僕の名を呟いて、安心した顔で目を閉じてしまう。

 ……大丈夫、呼吸はある。安定もしている。意識を失ってしまっただけだ。溢れ出ていた紫色の魔力は完全に消え、髪の色も元の水色に戻っていた。



「……いったい、今のは……」


 難を逃れることはできたが、終わりじゃない。

 とんでもないことが起こり始めたのだ。


「剣王の亡霊、初めて見たけど……あれは」


 旧王都には何体も徘徊しているという、凶悪な魔物。あんなに強い魔力を持った魔物だとは思わなかった。

 しかも、どこかに本体がいるという噂だ。

 もしそれが本当なら。あれほどの強さの分身を複数生み出せるというのなら。


 それはもう――魔王と呼ぶべき存在だろう。


 なんであんなのがこの世界にいる? 魔王はいないんじゃないのか? 休息の世界じゃなかったのか? それに……。


 剣王の亡霊、魔王のような魔物を一撃で吹き飛ばす、秘められたエルナの魔力。


 僕は握っていた石を見る。エルナのペンダントから飛び出した、緑色に光っていた石を。

 ――間違いない。これは。魔力を制御するための宝珠だ。どうしてこれが、この世界にある?


「転生の女神よ、これは、どういうことなんだよ……」


 天を仰ぎ、呟くが――その声は虚しく、女神は答えてくれなかった。


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