第29話 気づいた想い


 夕刻、夕飯の支度を済ませたミズキはぼんやりと外を眺めていた。このざわざわしている感情はなんだろうと考えながら。笹の葉が風に靡くような感覚にミズキは胸に手を当てた。


 花菊はなぎく紅緑こうろくが共にいるというのが何だか嫌だった。どうして嫌なのかは分からないけれど、とにかく二人の距離が近いのを見たくはなかった。


 見れば見るほど胸が苦しく騒めくのだ。こんなことは初めてのことなのでどうしたらいいのか分からない。このまま放っておいてもいいものなのか、はっきりとさせるべきなのか。


 考えても思い至らず。それでもざわざわとする胸にミズキは眉を寄せて竹林の方へと目を向けた。



「ねぇ、いいじゃぁない?」



 そうしていると会話が耳を掠めた。聞き覚えのある声が誘うように問いかけている、何だろうかと竹林の奥へと入っていく。


 そんなことをしなければよかったとミズキは後悔した。


 竹林の奥では紅緑と花菊が何やら話している。どうやら帰ってきたようでミズキは早かったなと思いながら二人の様子を眺めていた、そんな時だった。


 花菊が紅緑に抱きつくように近寄る。彼の頬に触れてそして口付けしようとした瞬間——彼は彼女の胸倉を掴み止めた。


 押し出すように花菊から離れると心底嫌そうに紅緑が言う。



「やめてくれ」



 眉を寄せて嫌悪を示す紅緑に花菊が何故だと言いたげに目尻を下げた。


 がさりと地面を踏みしめる音がした。二人がそちらに目を向けられてミズキは立っていたけれど気づかれたと同時に駆け出していた。



「ミズキっ!」



 呼ぶ声がするけれどミズキは立ち止まらなかった。何故だか涙が溜まっていくのを感じながら訳がわからなかった。


 走って走って竹林を抜けて、さらに走る。赤鬼の村へと辿り着く頃には日が暮れていた。とぼとぼと歩きながらあふれる涙を拭うけれど止まることはない。



「ミズキさん?」



 そんなふうに歩いていれば声をかけられた。振り向けば提灯を持った小雪と冬士郎が驚いたふうに目を向けている。


 小雪と会うのは見世物小屋の一件以来だなとそんなことをぼんやり思っていれば、彼女が「大丈夫ですか」と慌てた様子で声をかけながら駆け寄ってきた。



「どうしたんですか、ミズキさん!」

「二人はどうして此処に?」

「俺らは凰牙おうがに酒飲みに誘われたんだ」



 冬士郎は凰牙に酒を飲もうと誘われて小雪は杏子とお茶をするためについてきただけだと。それを聞いてなるほどと納得していれば、小雪は「あたしたちはいいとしてと」ミズキの目元を指さした。



「目が真っ赤ですよ! 何かあったんですか!」



 そう指摘されて思い出したのか、ミズキの瞳からぶわりとまた涙が溢れた。声を上げることはしなかったものの、うぐぐと目元を押さえて泣く様子に小雪は何かあったのだと察して、肩を優しく抱きながら冬士郎の方を見遣る。



「一先ず、凰牙のところに連れてけ。あそこならあいつの嫁が何とかしてくれるだろ」



 冬士郎の言葉に小雪もそう思ったらしい。ミズキに行きましょうと声をかけて手を引いた。


          * 

 

 凰牙の屋敷に辿り着いた冬士郎が声をかければ、待ってましたと言ったように杏子が走ってやってくるも、泣き崩れるミズキの様子に目を瞬かせる。


 二人とミズキを交互に見遣ってから何となくだが察したようだ。



「ミズキちゃん、うちの部屋いこか!」



 そう言ってミズキの肩を抱きながら杏子は自室へと向かっていく。



「小雪も行ってこい」

「はい!」



 不安げにミズキを見る小雪の心情に気づいたのか、冬士郎がそう言った。小雪は頷くと小走りに二人を追いかけて行く。


 途中で凰牙が出て来たがミズキの様子に困惑した様子を見せていた。そんな旦那に杏子は鋭い瞳を向けながら「誰も入れたらあかんで!」ときつく言って自室の戸を閉めた。


 しんと静まる室内にミズキの鼻を啜る音が響く。へなへなと座り込んだミズキに杏子は傍に腰をおろして優しく彼女の背をさすった。小雪が「大丈夫ですよ」と安心させるように声をかける。



「ミズキちゃん、どないしたん?」



 ミズキに肩を抱きながら杏子はゆっくりと問う。それは無理して聞こうとするようなものではなくて、ミズキに合わせるようだった。



「さっき……」



 声やわらかな問いにミズキは先程あったことを話した。それを聞き、杏子の顔が変わる。



「あの女……」



 杏子はきつく目を細めた。



「あの女、質が悪いわ! ミズキちゃんっていう妻がいはるっていうのに!」



 前々から性悪だとは思っていたが、これほどか。杏子は怒りを露わにしながらわなわなと手を震わせた。


 泣くミズキに「ミズキちゃんは悪くないからね」と頭を撫でてやる。悪いのは全部、あの女だと。



「あの女も悪い。でも、紅緑様も悪いわ!」



 あの女をちゃんと追い払えなかった紅緑も悪いと杏子はますます怒る。小雪は話を聞きながらミズキの頬を伝う涙を拭ってやった。


 二人になだめられてミズキはゆっくりと落ち着きを取り戻す。着物の裾で目元を押さえていれば小雪に問われた。



「ミズキさんは紅緑様が好きなんですね」



 えっと理解できていないミズキに小雪は言う。



「好きだからそんな光景を見て嫌で悲しくて涙が溢れたんですよ」



 好きだから、愛しているから。そんな存在が他の女と一緒にいて、言い寄られているのを見て嫌で悲しくて泣いているのだ。小雪の言葉にミズキはハッとした。


 そこで気づいた、自身は紅緑を愛している好きなのだと。気づいて、また泣いた。



「おい、紅緑がきた」



 戸越に冬士郎が伝えると杏子はそれを聞いて立ち上がる。



「ミズキちゃんは暫く此処にいなさい」



 そう言って出て行った杏子の後ろ姿をミズキは見送ることしかできなかった。



 杏子は玄関まで向かうと紅緑の前に立つ。彼は此処にミズキがいることを分かっている様子だった。だから、説明など省いて言うことにする。



「ミズキちゃんは暫くうちで預かるわ」

「それはどういう……」

「ミズキちゃん、泣いてはるのよ」



 杏子は言う、貴方が泣かしたのだと。紅緑は困惑したように目を見開いていた。



「どうして、ミズキちゃんが泣いてはるのか、悲しんではるのかをよく考えてください」



 今の貴方にはミズキを会わせられません。強い、強い口調だった。紅緑を恐れることなく、睨みつけるような鋭い瞳を向けている。


 凰牙は紅緑に「今は何を言っても無駄だ」と言った、杏子はお前に殺されても譲らないと。そうだろうなと紅緑も理解したようだ。彼女なら死んでも意見を変えることはないだろうと、そんな熱を感じて紅緑は目を細め息を吐いた。



「……わかったよ」


「どうして泣いているのか、しっかりと考えてください。理解して、解決できるまではうちはミズキちゃんをあんたさんに渡しません」



 今の状態でミズキを返してもまた悲しませるだけですと杏子の厳しい言葉に紅緑は頷くしかなかった。


 泣かせた原因に心当たりがないわけでないのを紅緑も察してる。だから、その重たい言葉を受け止めるしかなかった。



「ミズキを暫く、よろしくお願いするよ」

「任せといて」



 後ろ髪をひかれながらも紅緑は屋敷を出て行った。その背を見送って杏子ははぁと深い息を吐く。凰牙にお前と言う奴はと呆れたような表情を向けられたけれど、そんなものを気にしてはいられない。


 杏子は花菊だけでなく、紅緑にも怒っていた。あの女としっかり縁を切らなかったことを。だから、ミズキを返したくはなかったのだ。また、悲しませてしまうから。



「あ、あの……」



 廊下の角からミズキが顔を覗かせて、その傍には小雪が彼女の肩を抱いていた。紅緑が帰ったのを感じ取ったのか、ミズキは不安げに杏子を見つめていた。



「私は帰ったほうが……」

「あきまへん」



 ミズキの言葉をきっぱりと杏子は言い切る。今は帰るべきではないのだと強く主張した。




「紅緑様がちゃんと理解せんと意味があらへんの」



 あの女の扱いと貴女に対する想いをはっきりしないことにはまたこうなると。だから暫く此処にいなさいという杏子の言葉に小雪も頷いた。


 そんな二人にミズキは頷いた。杏子の意見にそうかもしれないと思ったのもあるが、自分も今は会いたくないなと思ったから。


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