第19話 妻の好きなところ、夫の好きなところ



 鬼たちは変わらず睨み合っている。二人の言い合いも何を言っているのか分からないほどに熱を上げていた。



凰牙おうが、冬士郎。何をやってるんだい」



 冬士郎と呼ばれた凰牙と言い争っている屈強な青鬼は紅緑こうろくを見て黙った。会いたくない人物に会ってしまったといったふうに。



「おい、紅緑だって人間を妻にしているぞ!」

「それは知っている!」



 冬士郎は「お前が散々言っていたからな」と返し、紅緑に向き直った。



「紅緑よ、何故お前まで人間を娶ったのだ」



 どうしてだと信じられないといったふうに問うていたので、興味のあったミズキは聞き耳を立てる。紅緑はそうですねぇと顎に手をやった。



「言葉にするのは難しいよ」



 見た目がそう好みだった、まずはそこから。人間に妻にしてくれと言われたのは初めてだった。そんなことを言うような人間になど会ったことはない。だから、妻にしてみようと思った。


 その答えに冬士郎はなんだそれはと反論する。



「見た目に騙されているだけだ! 人間の中身は欲だらけだぞ!」


「良いじゃないか、それでも」

「はぁ?」



 紅緑の返事に冬士郎は呆けた声を出す。彼はもう一度、「それも良いじゃないか」と言った。


 こんなにも愛らしい顔の内に秘めた欲が渦巻いているのならばそれはそれで人間らしくて良い。善い事だけでなく、悪い事もあればさらに良い。



「その欲をも飲み干してしまえばいい」



 それはそれは嬉しそうに愉快そうに笑む紅緑に冬士郎は思わず言葉を飲み込んだ。彼の人間の欲など些細な事だと言い切る圧に。


 それでも、冬士郎は納得がいかないようだ。うんうんと頷いている凰牙に何が良いものかと声を上げる。



「なら、妻の何処がいいというのだ!」

「そりゃあ、お前全部だろ!」



 冬士郎の問いに凰牙は即答した。


 見た目もそうだがやはり時折、見せる笑顔が良い。肝は据わっているし、優しい。人間らしい感情の表し方が最高だと凰牙は早口に大声で語る。そんな彼に杏子ははぁと溜息を吐いた、よく恥ずかしげもなく自信満々に言えるなと。



「自慢かっ!」

「自慢だっ!」



 胸を張る凰牙に冬士郎は舌打ちをした、それはそれははっきりと。お前はもういいと紅緑はどうなんだと彼にも問いかける。



「ワタシかい?」

「お前もだ」


「そうだねぇ……。ワタシのために食事を作ってくれるところとか良い」



 食事と鬼二人は意外そうに呟く。そんな反応になるのは分かっていたのか、いやねぇと紅緑は話す。


 食事を取らずとも生きていくことができるとミズキには話していた。けれど、彼女が初めて朝餉を作る時に問われたのだ、食べますかと。


 話したはずだよと返せば、一人だと寂しいなぁと照れを隠すように笑ったのだ。その愛らしさに興味をそそられたので試しに人の食事を食べてみた。



「久しくそのようなものを食べていなかったんだけどねぇ。ミズキの作った料理は美味しいと思ったのさ」



 美味しいよと伝えれば、ミズキは嬉しそうにするその顔が愛らしい。ワタシが気に入った料理を作ってくれたり、好きな味付けにしてくれるようになった。


 何も言わずとも彼女は自分の分も作ってくれる、それがなんだか心地好かった。



「ワタシのために作ってくれるっていうのは嬉しいもだと、そう思ったよ」



 ミズキは何だか恥ずかしくなった。彼が気に入ってくれたことが嬉しくて、好みの味付けや好きだと言った料理を出していたからだ。どうやら気づかれていたらしい。


 紅緑がまともなことを言うとは思っていなかったのか、凰牙と冬士郎は目を瞬かせていた。



「何だい、その意外といった顔は」

「まともな回答がくるとは思っていなかったんだ」

「あぁ……。つーか、手料理かぁぁぁああぁ」



 凰牙はそう叫びながら膝をついて、何と羨ましいことかと地面を叩いている。そんな様子にミズキは杏子を見て、彼女はあーっと目を逸らす。どうやらそういったことは一切、やっていないようだ。



「小間使いたちが全部やってくれるさかいに」



 そんなこと考えたこともなかったわと杏子は呟く。


 赤鬼の村の長である凰牙の屋敷に仕える鬼はいる。彼らが家事の全てをやってくれるのだから、料理を作るなどそんな考えすら浮かばなかったと杏子はあははと笑う。



「あぁ。あと、おかえりなさいと出迎えてくれるのも嬉しいねぇ」


「はーー、お出迎え!」



 だんだんと凰牙がさらに地面を叩く。



「ミズキ、貴女ほんとに妻らしいことやってるんやねぇ」



 すごいわぁと杏子は感心していた。そうだろうかとミズキは思うのだが、彼女からしたらそうのように見えるみたいだ。



「杏子さんは何かやっていないのです?」

「うち? うーん、側にいるわよ?」

「いや、その……出迎えぐらいはしたらどうでしょうか?」



 ミズキに「難しいことでもないですし」と言われ、「そうよね」と杏子は頷く。料理よりは簡単なことなので、明日からでもすぐに実行ができる。



「明日から出迎えてあげるけんねー」

「手料理は!」



 杏子の大声に立ち直った凰牙が起き上がり、言葉を返す。



「うち、自信ないわよ!」

「それでも構わん!」



 料理などもうかなり作っていないのだ、美味くできる自信はないというのがそれでもいいと凰牙が頼むので、杏子は仕方ないわねとそれを了承した。


 喜ぶ凰牙の姿を冬士郎は呆れたように見ている。ふと、ミズキと杏子を視界に入れた彼はにやりと口角を上げた。



「お前たち人間はどうなんだ。どうせ、夫のことなど何とも思っていないのだろう。欲しかない人間なのだから」


「欲があって何が悪いん? あんたさんたちだって欲あるやろ!」

「五月蝿い! なら、夫の何処が良い!」



 その問いに杏子はふむと考える。



「うちを愛してくれるところやね」



 彼は愛すると言った言葉を守るように大切にしてくれている。気にかけてくれるし、嫌なことはしないところが好きだという杏子の答えに冬士郎は眉を寄せて、その怖い顔のままミズキを見る。


(私も言うのかっ!)


 ミズキは焦った。いきなり言われるとすぐには答えられないものだ。ちらりと視線を移すと紅緑が興味ありげに見つめていた。そんな目で見られてもと思いながらミズキはえっとと答える。



「私の作った料理を美味しいと言ってくれる時に見せてくれる笑顔が好きです……」



 食事をする時、「お口に合いますか?」と問うと必ず美味しいと言って微笑んでくれるその笑顔が好きだった。



「紅緑様は私のことを大事にしてくれますし…あと、甘え方が子供らしくて可愛いなとか思ったり……」



 いざ言うと恥ずかしくてミズキは堪えかねて顔を手で覆った。そんな様子に何と可愛らしいと杏子はにやにやしている。


 二人の回答にますます分からんと冬士郎は眉を下げて腕を組んだ。そんな彼になど目もくれず紅緑はミズキの側までやってくる。その速さといったら一瞬だ。


 うぅと顔を隠しているミズキの手を無理矢理退ける。恥ずかしさのせいか頬が赤く染まっていた。



「ミズキは可愛らしいねぇ」

「そうやって騙されているだけだ!」

「何だい、羨ましいのかい」

「そ、そんなんじゃない!」

「羨ましいのよねぇ」



 動揺する冬士郎に杏子はくすくすと笑う。凰牙にも「嫁がいないからそんなふうに思うのだと」言われてしまった。妻を持たぬとわからないこともあるぞと言い足されて冬士郎はぐぬぬと唸る。



「やっと見つけた。此処にいたか、紅緑」

「あ、夜哉よるや様」



 朝顔池の水神、夜哉がやってきた。束ねられた銀髪が風に靡く姿は今日も男前だ。


 紅緑に用があったらしい彼はこの騒ぎを見て何があったんだいと首を傾げていた。杏子が実はと簡潔に説明すると、独り身には辛い話だなぁと苦笑した。



「夜哉、お前はどうなんだ!」


「僕かい? 人間が妻でも良いと思うよ。ミズキちゃんも杏子ちゃんも可愛らしいし。悪い娘じゃないから」



 誰が妻であろうとも、悪しき心に囚われていないのならばいいではないか。両者が夫婦の関係を築き、それを良しとしているのであれば口を出す必要はないと夜哉は答える。



「それに紅緑を変えたミズキちゃんはすごいと思うよ?」

「まぁ、今の会話で変わったのは分かったが……」


「こいつを怒らせて被害が最小になったのも、彼女が妻だったからだし」



 ひっついて離れない姿とか特に驚いたねと夜哉は思い出しながら笑っている。あれを見たら君もびっくりすると言うものだから、冬士郎はますます顔を渋くさせた。



「冬士郎、君もそう頭を硬くさせずに妻を娶ったらどうだい?」



 夜哉の言葉にうぐっと冬士郎は口を閉ざす。それに続くように凰牙は「お前は自分勝手すぎるのだ」と言った。


 やれ妻なのだから夫を立てろだの、尽くすのが普通だの、文句を言わせないなどやりすぎなのだ。それを聞き、杏子がうわぁと口元を手で覆う。



「あら、やだわぁそんな男」

「人間の世界でもそうだろうが!」

「限度ってものがあるんよ!」



 位の高い存在ならばその態度も仕方ないことだ。ただ、やりすぎというのはいけない。妻のことも考えなければ、その関係というのは長くは続かない。



「だいたい、偉そうにしてはるのが嫌やわ!」



 杏子は我慢の限界だと言わんばかりに口を開く。


 次の長だからと偉そうにして、そんな態度が良く見えると思っているのか。夫が一番だと思うのは妻であって、そう思わせてやるのはあんたでしょうと杏子は言う。


 ずばずばと放たれる矢のような言葉に冬士郎は口を挟む余裕すら与えられない。



「なにが、人間は欲深いよ。あんたさんだって同じやろ、人のこと棚に上げて。そんなこともわからん男の元になんて、嫁に行きたないわ!」



 ばっさりとそれはもう見事に切り捨てた杏子に冬士郎は何も言えなかった。いや、言わせないといった圧を彼女から感じた。



「お前、偉そうなところが足引っ張って女に逃げられるもんな」



 凰牙はそりゃ逃げるわと言ったので、彼女の言葉は的確だったようだ。



「偉そうなの嫌よねぇ?」

「え、えっとそうですね」



 同意を求められるように問われたミズキは答える。偉そうなのはちょっと嫌だなと思ったので素直に頷いた。


 冬士郎は言い返したくも、言えず。そんな彼の様子に夜哉は「そこを治せば大丈夫だろう」と励ますように肩を叩いた。



「染み付いた癖ってなかなか治らんもんよ」

「杏子、それぐらいにしといてやれ」



 追い討ちをかけようとする杏子を凰牙が止める。それが効いたのか、冬士郎は何故ここまで言われねばならないのだとぶつぶつ呟き始めてしまった。


 周囲にいた鬼たちはその様子にどうしたのだろうかと心配げだ。ざわざわと騒めき始めたので紅緑が大丈夫かいと問う。



「このままではおまえの醜態を晒すことになるよ?」

「醜態は言い過ぎだろう、紅緑」

「だってそうだろう」

「あー、じゃあ屋敷に戻ろうぜ、冬士郎」



 このままここで話していても疲れるだけだろう。話を聞くからと凰牙が言うと、冬士郎はこれ以上の姿を同族には見られたくないらしく頷いた。

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