第三章:彼の恐ろしさを垣間見る

第9話 朝顔池の水神



 さんさんと輝く日差しが眩しい天気の良い日、ミズキは今の生活にだいぶ慣れてきたように鼻歌ながらに昼餉の準備をしていた。


 紅緑こうろくは用事があるからと外に出ている。もう勝手に外に出ようとは思っていないので、食事を取ったら書物庫の本でも読もうと予定を立てた。


 昼に帰るのは無理そうだと彼は言っていたため、自分だけの昼餉を用意する。お膳に並べて囲炉裏へと持っていこうとした時だ。



「紅緑、いるかい?」



 呼ぶ声がした。誰だろうかとミズキは土間から玄関へと向かうとそこには一人の男がいた。少し長めの銀髪を束ね、薄い黄色の眼は切長だ。鈍藍色の狩衣は上等品に見え、頭に生える龍ような角が特徴的だった。


 男前という言葉が似合うその男はミズキを見て目を瞬かせている。



「……君は人間だよね?」

「あ、はい。えっと、怪しいものじゃないです! 紅緑様に嫁いだものでして!」



 ミズキは慌てて手の甲の刻印を見せる。それは間違いなく紅緑のもので、男は彼がと驚きながらも納得してくれようで悪かったねと謝られた。



「彼が人間の娘を娶るとは思ってもいなかったから驚いたんだ」

「そ、そうなのですか」

「まぁ、彼は色々とやらかしているから……」



 男は気まずげに目を逸らす。きっと紅緑が言っていた対価に差し出された人間の処遇についてのことを言っているのだろう。逃したまま放置していたのだ無理はない。


 ミズキも「みたいですねぇ」と笑うしかなかった。それで彼女もある程度は知っていることを男は察したようだ。



「大変だろうけど頑張って」

「はい……。えっと、貴方様は……」

「あぁ、僕かい? 夜哉よるや、朝顔池の水神と呼ばれている妖神だよ」



 ここ抜けて赤鬼の村と反対の道を下った先に朝顔とい小さな村があって、そこを守護している妖神あやしがみだと彼は教えてくれた。紅緑以外の妖神を見たのは初めてなので、意外と近くにもいるものなのだなと驚く。



「紅緑に用事があったのだがいるかい?」

「紅緑様、今出ていて……」



 昼には帰れないと言っていたことを伝えれば、夜哉は入れ違ったかと困ったように頭を掻いた。急ぎの用だったのだろうかと聞いてみると、「そこまでではないけれどね」と返される。


 早めに対処したいことではあったらしく、彼がいないのなら仕方ないと夜哉は息を吐く。



「ならまた明日、来よう。紅緑に伝えといてもらえるだろうか?」

「わかりました!」



 元気良く返事をすれば、夜哉は「頼んだよ」笑みを浮かべて帰っていく。男前な妖かしだったなとミズキの背を見送った。

 


          ***



 ぼんやり日が沈み黄昏が覆う外はもう少しすれば暗くなり、月が出るだろう。屋敷の行燈が勝手に灯る。


 台所の竃ではことことと鍋が火にかけられ蓋が揺れている。温かい湯気が上がり、仄かに味噌の匂いが漂っていた。


 炊けたご飯を確認して、鍋の蓋を開ける。ぶわりと湯気が溢れ、味噌で味付けされた野菜汁が美味しそうに煮えていた。味見をして大丈夫だろうと頷き、囲炉裏へと持っていく。



「集落からの礼だよ」



 夕餉の支度をしていたミズキに紅緑はそう言って食材を置いた。



「おかえりなさい、紅緑様」

「随分とお遅くなってすまないねぇ」



 紅緑は謝りながらミズキに抱きついて、ぎゅっと力を籠めて首根に顔を埋める。少しでも帰りが遅くなると彼は決まってこうする。



「あの、夕餉の準備ができません」

「もう少しだけいいだろう?」



 顔を上げた紅緑は眉根を下げてもの寂しげな顔をするものだからミズキは断れない。そんな表情されたら無下にはできなかった。


 そうやってまたぎゅっと抱きしめて少し、満足した紅緑はミズキの額に口付けを落とす。これもいつものことだ。


 開放されたミズキはお盆に料理の盛られた皿を置き、囲炉裏へと運ぶ。彼は用意するとちゃんと食べてくれるのだ。最初は向かい合って食事をしていたのだが、今では紅緑がミズキから離れたがらないので隣で食べている。



「何もなかったかい?」

「えっと、夜哉様がいらっしゃいました!」



 それに紅緑は夜哉がと眉を寄せる。早めに対処したい用事があったから訪ねてきたと伝えるとそれはそれは面倒くさげな顔をした。


 紅緑は「あれが持ってくる用事など面倒なものしかない」と嫌そうに呟いている。「明日また来ると言ってました」とミズキが伝えれば溜息が吐かれた。


 余程、面倒なんだろうなとミズキは汁を啜る。ちょっと濃かったかもしれないとか、そんなことを思いながら何となしに口にした。



「男前な方が訪ねてきたのでちょっと驚きました」

「はぁ?」



 低い声にびくりと肩を震わせる。紅緑の眉間に皺が寄るのが見えて、「他意はないです!」と慌てて言い足した。



「えっと、紅緑様も綺麗な顔立ちをしているので、他にもこんな方はいるのだろうなと思ってはいたのですよ?」



 そう、他意はない。あ、男前な方がいらっしゃったなといった感想だったのだ。紅緑も綺麗な顔立ちをしているが、夜哉はそれとはまた違った男前だった。だから、素直にそう思っただけだと。



「他意はないと?」

「ないです! ただの感想です!」

「そうか」



 まだ眉が寄っているが納得はしてくれたようで、びっくりたとミズキは息をつく。


(うーん、嫉妬?)


 自分の妻が他の男を男前だと褒めたらいい気はしないか、気をつけようとミズキ反省する。


 箸をすすめる紅緑に「お味大丈夫でしたか」と問えば、「問題ないよ」と返される。



「おまえの料理はいつも美味しいよ」



 朗らかに微笑みながら言ってくれるのでミズキはそれが嬉しかった。味付けはこれぐらいがいいのか、次はそうしようとミズキは覚えるように汁を啜る。



「それならよかったです。何か気に入ったのとかってありますか?」

「どれも良いけれど、あれがいいね。黄色いやつ」



 くるりと箸を回して紅緑は答える。黄色いやつでくるりと巻いていると考えて、玉子焼きのことかなとミズキは「卵のやつですね」と言えば、「それだね」と返された。


(あれ、気に入ってくれたんだ)


 初めて出した時からたまに朝餉で作っていたがどうやら紅緑は気に入っていたようだ。



「なら、明日作りますね! あ、でも明日は大変ですよね?」

「あれが持ってくる用事によるかねぇ。あぁ、面倒くさい」



 ご飯を口に運びながら紅緑は言う。少しばかり疲れた様子に働けばそれだけ疲れも出るよなとミズキは心配になる。



「大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫だよ。おまえは気にしなくていい」


「そうですか……。その、私にできることがあれば言ってくださいね?」



 そう言うと紅緑は目を丸くして、そしてふむと考える素振りをみせる。できることには限りがあるのですがと、言いかけたところで彼はミズキの腰に触れる。



「抱きしめてもいいかい?」

「えっと、食事が終わった後ならいつでも……」

「今日はうんと堪能しようかねぇ」



 嬉しそうに言う紅緑にミズキはそれだけでいいのかと少し拍子抜けてしまった。


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