第15話 チャタレー家の秘密

 深夜、レッドサイクロンのアジトを出て行こうとすると、


「どこ行くの~?」


 エルが眠そうな声で訊いてきた。


「起きていたのか」


「ううん、あなたの足音で起こされた。エッチな店に行くつもり? だったらボコす」


 エッチな店に行くとかはスルーしておいて、なにボコすって? 


 女神ってこんなに好戦的なの? 


 俺のなかでの女神像がパリンパリンと割れていくんだけど。


「で、どこ行くの? エッチな店?」


「行くわけないだろ。……眠れないから、ちょっと外の空気を吸いに」


 ダグラスさんと会うことは伝えない。


 エルは口が軽いうえにポンコツだ。


 ダグラスさんと会うことを伝えたら、きっと何かの拍子でぽろっと暴露するに決まっている。


「そう。帰ってくるとき、足音1つ立てるんじゃないわよ。立てたらボコする」


 鋭い目つきで俺を脅したあと、寝室へ去って行った。


 怪しまれずに済んだかな。


 忍び足でドアに近づき、そっとドアノブに手をかけたその時、


「あ、そうそう。アンタもあのカスどもと同様、半径10㎞以内なら察知できるから。妙な真似はしないでね」


「っっ!」


「なにビックリしてんのよ。もしかして本当に行くわけ?」


「違うわ。急に話しかけてくるからビックリしただけだわ!」


「うるさいわねぇ。静かに出て行ってよ」


 エルがダルそうな声で言ってきた。


「お前が話しかけなかったら静かに出て行ったよ」


 言い捨てて、俺はアジトを後にした。


 ♢♢♢


「悪いね、こんな時間に呼び出してしまって」


「いえいえ」


 さすがの深夜ともなると、町は虫の音と夜行性の鳥の泣き声しか聞こえない。もしかしたら魔物の鳴き声かも。


「ちょっと長話になる。お茶でも出そう」


 ダグラスさんは椅子を引いた。俺はその椅子に腰を掛けた。


 ダグラスさんが2人分のコップをテーブルに置き、俺の前に座る。


 コップに口をつけ、ダグラスさんは大きく息を吐いた。


「単刀直入に言わせてもらう」


 俺は黙って聞く。


「私はね。本当はあの子の父ではないんだよ」


 やはりか。


 髪の色が違うからもしや、と思っていた。


「驚かないところを見るに、予想はしていたんだな」


「そうであってもおかしくはない、と思っていました」


「そうか」


 精神的な重荷を少し下ろせたようで、ダグラスさんは背もたれに身を預けた。


「9年前になる」


 ダグラスさんは、ポツポツと話し始めた。


 ★★★


 カノン・チャタレーは、5歳の時についた名前である。


 ダグラス・チャタレーがつけた。


 大事につけた名前ではない。重い意味が込められているわけでもない。


 ただ、音符のように色々な感情を込められるように。


 笑いたい時には笑って、泣きたい時に泣ける、どんなときにも素直に生きる。


 そんな子に育って欲しいと思ったから。


 この世界には、涙を枯らして泣きたくても泣けない人がたくさんいる。


 ダグラス・チャタレーも、その1人。


 彼が涙を流せなくなったのは、彼の最愛の妻と娘が魔帝軍の襲撃によって亡くなってから10年が過ぎたあたりから。


 家族が死んだ時、まず怒りが噴き出した。


『殺してやる。俺以上の苦しみを味合わせてやる』


 王国軍に入り、魔帝軍と対峙した。


 しかし戦場に入った途端、ダグラスは思い知った。


 魔帝軍幹部の圧倒的な強さを。


『もはや戦争ではない。…………天災だ』


 ダグラスの魂は壊れ、軍を除隊し、戦場から最も遠い田舎街レピアに移住した。


 魂が砕けた後に残っているものは、7歳で時を止めてしまった娘が褒めてくれた料理の腕だけ。


 ―――この子墓前に、いつも美味しい食事を届けよう。


 酒場チャタレーを開業した。


 店はすぐに軌道に乗った。


 たくさんの常連客も出来た。


 しかし、戦乱の世である。


 常連客がぱたりと来なくなることもあった。なかには、酒場“チャタレー”で葬式を行うこともあった。


 その時には、すでに泣けなかった。妻と娘のことがフラッシュバックしたが、涙一滴たりとも流れなかった。


 すべてが色褪せていた。


 本能に操られて生きている。ただそれだけ。


 夢も希望も抱かない。


 ♢♢♢


 ある時、離れた町に行かなければならない用事が出来た。その町に着いた時、辺りは空から黒ペンキを被せたかのように焼け焦げていた。


 その時も、胸がほんのちょっと痛んだとだけだった。


 ―――魔帝軍に小さな町が滅ぼされる。よくあること。むしろ幸運だった。早く着いていたら、巻き添えを食らっていた。


 そんなこと思っていた。消え入りそうな声が聞こえるまでは。


「あ………あ……」


 掠れた声が聞こえる。


 なんとくなく声が聞こえる方へ歩みを進める。


 そこにいたのは、煤けた7歳くらいの少女だった。


 自分の娘の赤髪とは似ても似つかない金髪、真っ白な肌。どれも似ていない。


 でも、目を背けることは出来なかった。


 凄惨な場所にいるのに、あまりに無反応だから。


 ダグラスは、興味本位でその子に手を指し伸ばした。その子は手に焦点を合わせなかった。


 不意に少女のお腹から、グゥ~と音が鳴る。


 魔帝軍の襲撃後から、何も食べていないのだろう。


 ダグラスはパンを手に渡す。


 しかし少女は受け取らない。それどころか、パンに目を合わせない。


 試しに唇にパンをあてる。


 最初は口を開けようとしなかったが、ほどなくしてゆっくり口を開けて、虚空を見つめながら食べ始めた。


 食欲は、あるようだな。


 パンを食べ終わると、再び人形のようにぼーっと立つ。


 このままでは死んでしまう。連れて帰ろう。


 ダグラスは子どもの手を取り、歩き始める。


 抜け殻のようにとぼとぼと歩く。


 この子も、私と似たようなもんか。


 この子が現実を受け止められるまで、一緒に過ごそう。


 店につき、風呂に入らせ、飯も食べさせた。


 そのどれも自分でやることはなく、ダグラスにやってもらった。


 何もしなかった。


 なんとか情報を聞き出そうとしたが、魔帝軍の話や拾った町の名前を出すと激しく拒否反応を示し、酷い時は過呼吸になる。


 だからなるべく過去の話をせず、現在や未来の話をすることにした。


 もちろん無反応なので、人形に話しかけているみたいになったが。


『おい』とか『なぁ』とかで呼ぶことに負い目を感じてきたので、カノンと名付けた。


 普段は店にカノンを座らせた。


 部屋に置いておくよりも、店にいた方が刺激が多そうだから。


 カノンのために、魔帝軍の話をしないよう店に注意書きを貼った。


 客は、荒くれ者を除いて貼り紙を忠実に守ってくれた。


 中には、カノンに熱心に話しかけてくれる常連さんも現れた。


 カノンと呼びはじめてから数か月が経ったある日、


「お父……さん」


 初めて言葉を発した。


「お父さん、お父さん」


「カノン……」


 言葉を発してくれることがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。


 話してくれれば何でもよかったので、他人を父と呼ぶカノンを正さず、父として接していった。


「お父さん。お店……手伝う」


 お店を手伝い始めた。


 そこからどんどん明るくなってき、お客さんとも積極的にコミュニケーションを取るようになっていった。


 客と話していくなかで、カノンは嘘の経歴を言うようになった。


「お母さんの顔は見たことがない」


「お母さんは最前線で魔帝軍と戦って死んだ」


「お母さんは医者で、魔帝軍との争いに巻き込まれて亡くなった」



 虚偽の記憶を作り、自己防衛を図ったのだ。


 よくあることではあった。


 酷い経験をした人間は精神が崩壊し、二度と普通に生活することができなくなる人がいる今、カノンが会話できる状態まで戻った。


 それだけで十分だった。


 ★★★

 

「そろそろ大丈夫だろうと思って、少し離れた場所に買い物に行かせたら、特級モンスターに襲われてしまった。話を聞くと、胸が苦しくなったってカノンが言っていてな。まだ、外に出るのは難しそうだ」


 確かに。逃げる時に動けなくなると、真っ先に獲物にされるからな。


「きっと、今は昔のことを心の奥底に封印しているだけで、忘れているわけじゃない。いずれ思い出す時がくるだろう。その時、きっとカノンは大きな苦境に立たされる。自分を保てるか、憎しみに支配されないか、それ以外か。そのことを知っておいてほしくて、君に来てもらった」


 話し終わった後、ダグラスさんはふぅーと息を吐いた。ぶっ続けで話したから疲れたのだろう。


「すみません」


「なぜ謝るんだ?」


「その、カノンさんのトラウマを刺激するようなことを頼んで……」


「いや、遅かれ早かれいずれは向き合わなければならない過去だ。向き合うべき時に、君のようなカノンを違う道に導いてくれる人が現れて助かったよ」


 違う道とは、ダグラスさんの肯定した道以外、という意味だろうな。


「導くなんてそんな大層なもんじゃ……」


「三波くん。1つだけお願いがある」


 ダグラスさんが真剣な表情を俺に向ける。


「カノンを守れるのは、君しかいない」


「…………」


「カノンを、守ってやってくれ」


 ダグラスさんは頭を下げた。


 ダグラスさんとカノンは血が繋がっていない。


 親戚とか、親友の娘とかではない。


 元々は赤の他人だ。


 でも、下げているこの頭は、親の頭であった。


 重い……。


 ちゃんと背負う。


 俺はプロデューサーとして、それに応える義務があり、責任がある。


「絶対に守ります」


「ありがとう」


 ダグラスの言葉を、俺は絶対に忘れない。

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