第33話 教育

緑薫舎の最高級部屋、そのソファに真っ昼間から1人の豚が寝っ転がっていた。


「はぁぁぁ腰がなぁぁぁ」


ベキベキベキッ。猫のように背中を伸ばして腰骨を鳴らすと、その豚は再びダランと寝っ転がって本を読む。


「ハム、生ハム……」


豚は本から目を離さずに手を伸ばし、手探りでサイドテーブルに置いてある薄切り生ハムを掴んで口に運ぶ。クッチャクッチャクッチャ……げふっ。


「ふわぁぁぁ~」


豚、大あくび。本を床に投げ出して、グゥ。スヤスヤスヤ……


「──せぇぇぇいッ!!!」


「フギャッッッ!?!?!?」


我慢ならず、俺は悠々自適に眠るその豚──シャロンの顔面めがけて、生ハムをベッチーンと投げつけ貼り付けさせていた。


「優雅にぐうたらと共食いしやがって! いい加減にしろッ!」


「私はハムではないのだわっ!? 竜なのだけどっ!?」


シャロンが抗議するような目を向けてくる。


「何なのっ!? 縛りに従って、私は人間に危害を加えてないはずなのだわっ!」


「確かに危害は加えていない。加えていないが……気分は損ねている」


俺は体に装着していた装備を取り外しつつ非難の目を向けてやる。俺は今日は朝から冒険者としての仕事をこなしてきたところだ。こっちが汗水流して仕事をしているというのに、こんな風に出迎えられてはさすがにイラっとくる。


「お前さ、ヒマじゃないの?」


「この調子で100年はさすがにヒマね。もうずっと寝てたいのだけど、でも人間のご飯は美味しいから1日3食は欠かしたくない……ジレンマなのだわ」


「うるせぇ」


ものすごいワガママなジレンマだ。聞いているだけで脱力しそうなほどに。


「シャロン、ずっとこんな調子だと困るぞ。お小遣いも無限にはやれない。少なくとも自分で食う分は自分で稼いでもらわないとな」


「稼ぐって……仕事?」


「それしかないだろうな。何かやりたいこととか考えておけよ。そしたら俺も探してくるから」


「えぇ……メンドクサイのだわ……」


シャロンはデカいため息を吐いた。ため息なんて俺の方が尽きたいよ。ニートの子供を持つのってこんな気持ちだろうか。


「ところでミルファちゃんは? 外か?」


「あー、なんか作った薬? かなんかを売ってくるとかなんとか言ってた気がするのだわ」


「そっか、サンキュ。じゃああそこの通りの薬屋かな……じゃあ俺も出るから、シャロン留守番よろしく」


「分かったのだわ──ハッ! そうだわ! 私の仕事、留守番を1時間ごとに10銀貨っていうのは、」


「フンッ!」


ビタンッ! と、妄言を吐くシャロンの顔面へと追加で生ハムを投げ貼り付けると俺は外へと出た。




* * *




案の定、薬屋にミルファちゃんは居た。魔法で精製した薬を売ってそのまま、陳列されている他の薬を見て回っていたのだろう。しかし店に入った俺のことが見えるやいなや、表情をパーッと明るく変えて駆け寄ってきてくれる。超カワイイ。


「ジョウ君、実は結構良い値段になったのよ。私の作ったポーション」


「そうなんだ、すごいね」


「うん。だからね、ちょっと薬の備蓄を増やそうかなと思って見てたの」


「備蓄を?」


「うん。いざってときに必要だし、日常的に使っていた方がいいものもあるから」


俺はそういうのはほとんど分からないが、ミルファが言うならそうなのだろう。やっぱり頼りになるフィアンセだ。


「いいんじゃないかな。たとえばどんなのを買うの?」


「そうね、たとえば……」


陳列棚から薬の入ったビンのいくつかを手に取ってミルファが言う。


「これは胃薬ね。胃痛なんかのときに服用すれば効果を得られるわ。ホラ、たとえばシャロンってたまに夜中にお腹が痛いっていうじゃない? 食べ過ぎだと思うのよ」


「え? ああまあ、確かに……」


「夜に『お腹撫でて』って起こしてくるんだもの……手がかかって大変よね」


「そんなことしてるの? アイツ、子供みたいなことして……」


「ホントにね」


ミルファは困ったように笑った。


「あとあと、あの子、歯が痛いとも言うじゃない? これも甘いものの食べ過ぎだと思うんだけど、この歯掃除できる薬を噛めば多少は緩和されるかなって」


「えぇっ! 虫歯か? 何をやってるんだか」


「言ってるんだけどめんどくさがるのよね。寝る前は洗面台に連れてかないと」


「あ、うん。そだね……」


「あとこっちが日焼け止め。あの子、たまに日向ぼっこしながら寝てるから。注意してるんだけど『気持ちがいいから』って。いちおう女の子なんだし、お肌は大切にしないと」


「……」


「あとあと、こっちが化粧水と乳液ね。あの子お風呂あがりにお肌そのままにしちゃってて。カサつかせちゃってるんだから。年頃の体だしこれくらいは……」


「お母さんかッ!」


「へっ?」


「それもう! お母さんが娘を心配するムーヴじゃんッッッ!!!」


俺は思わず、大きな声を出してしまっていた。だっていったいどういうことだよ、さっきから聞いていればシャロンのやつ、ミルファちゃんに実の母親のように何もかもお世話してもらっててさぁ……そんなの許されるのかっ? 邪竜だろ、アイツ。


「ズルいじゃん、そんな手のかかる子ほど可愛いみたいな風潮さぁ……俺、真面目に頑張ってるのにさぁ……」


そんなんで甘えられるなら俺だって甘えたいぞ? ミルファちゃんにヨシヨシされてみてぇ……!


「っ? ジョウ君、まさか……ヤキモチ?」


「そういうわけじゃ……いや、そうとも言えるかもしれない……」


「……えへ」


情けない表情をしているだろう俺の顔を覗き込んでミルファが笑う。


「なんだかちょっと嬉しい。ジョウ君、そんな風に嫉妬してくれるんだ……」


「……まあ、俺あまり懐が広くはないからね」


「そんなことないと思うけど。それに、確かに最近私もシャロンの相手をしてばっかりだった気もするから。慣れない人間の社会ってことで甘やかしてた部分もあったけど……そろそろ自立できるようにしないとダメよね、今後のことも考えると」


ミルファは納得げに頷いた。


「よし、シャロンを働かせてみましょうか」



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