第31話 夢と現実

──ぼんやりと俺はその景色を眺めていた。


そこはとても暗い山の中だった。辺り一面に生い茂る木々。しかし俺が有するその視界の先はそれらが全て吹き飛ばされて更地になった後だった。


視界の中心には、更地の中心で膝を着く少女。視界の隅にはまるでヤクザ者かという風貌の男が、その鋭い眼光で俺のことをにらみつけながら灰のように散っていくところだった。


視点が上下に揺れる。少女が近づく。どうやら俺が少女に対して歩いて行っているようだった。近づくことで少女の姿がハッキリと見えてくる。黒く長い髪、その前髪の奥の額には蛇が自らの尾を飲み込む絵柄のタトゥーが入っていた。脈打つように、そのタトゥーは青く明滅を繰り返していた。


少女が俺を見上げる。


「──────っ!」


水の中で響く音のように少女の言葉はくぐもってしまっていて、俺には何を言っているのか聞こえなかった。ただ分かるのは、その少女がケガをしていたこと、そして泣いていたこと。それと同時に何かに憤怒しているような、憎悪しているような、絶望しているような……そんな表情で俺に対して何かを訴えかけているということだ。


「──っ、────っ!」


なんだって? 何を言っているのかさっぱり分からない。もっと、もっと聞くことに集中しなければ。


「──うして、──助────のっ!? ──べき──のにっ!」


分からない。何も分からない。


……俺はどうしてあげたらいいのだろう。どうすればこの少女を救えるのだろう。


俺はその景色をただ他人事のように眺めることしかできなかった。




* * *




「──んあっ!?」


目が覚める。視界の先には暗い天井。一瞬、自分がどこに居るのか分からない。俺、さっきまで山の中で立っていたような……?


「……」


……夢、か。


10秒もすれば落ち着いてきて、それで状況が飲み込めてくる。

そうだ。今は確か宴の最中。

俺はその中でミルファちゃんを探していて……

ダメだ、アルコールの飲み過ぎで記憶があいまいになっている。


「まあでも、泥酔していつの間にか部屋に戻ってきてたってワケか」


「そういうこと」


「うわっ!」


独り言に対する返事がすぐ隣から聞こえる。


「ミルファちゃん……」


「ちゃんと酔いが覚めたみたいね」


声の主はミルファ。

ミルファは腕を組んで、頬を膨らませていた。


「まったく、ジョウ君ったら。宴のあいさつが終わってもなかなか帰ってこないと思って探しに出かけてみたら、裏路地で酔い潰れてるんだもの。毒消しの魔法でアルコールを中和できてよかったわ」


「ご、ご迷惑をおかけしました……俺、どれくらい寝てた?」


「1時間とちょっとくらいかな」


どうやらそれほど時間は経過していなかったらしい。通りで外からまだ宴の騒がしさがあるわけだ。しかし、普段は泥酔していたならば翌日の昼までは決して起きなかっただろうに……さすが魔法。体内のアルコールまで消すことができるとは。


「ごめんね、ミルファちゃん。俺さ、町の方でずっとミルファちゃんを探してて。その途中で色んな人に酒を勧められてさ……」


「うん、知ってる」


ミルファは微笑んだ。


「宿から出た後、ジョウ君を探している途中でニーナとも会ってね。ジョウ君も私のことを探してくれてるって聞いたから。後は町の人もジョウ君と乾杯したとかウワサしてたし」


「そ、そうだったんだ。それにしても、ミルファちゃんは俺と町役場で別れた後からずっと宿に居たの? 俺はてっきり宴の中のどこかにいるかと」


「……え?」


つかの間、俺の問いにミルファは首を傾げた。


「宴は人混みがあって危ないでしょ?」


「……? そっか」


さも当然のように答えたミルファに、今度は俺が首を傾げそうになった。人混みが危ない?


まあ確かに危ないとは言えなくもない。ついこの間も冒険者組合の中で痴漢に遭遇したばかりだし。ミルファは可愛いからそういった危険もあるだろう。


どことなく違和感はあったものの、俺は納得することにした。


「それに、ホラ。宴の最中ならジョウ君とふたりきりになれるチャンスでもあったし」


「え?」


「シャロンも屋台が気になると言っていたから、いくらかお金を渡して外に出しておいたの。邪魔されたくなかったし……」


ミルファはそう言って俺のベッドへと登り、にじり寄ってきた。


「その、ジョウ君とはずっと、ふたりきりでこういうことはできなかったと思うから……」


正面から迫るミルファの顔は赤い。きっとこういう状況が不慣れなのだろうことがありありと分かる。だから俺から抱きしめた。


「あっ……ジョウ君……」


「ミルファちゃん……」


俺はガラス細工を扱うような優しさを心がけながら、ミルファの体をベッドへと仰向けに寝かせる。ミルファは恥ずかしそうに両手で顔を抑えていた。いじらしい。


「可愛いよ。ミルファちゃん」


「やっ、やめて、言わないで……恥ずかしいから……」


「ちょっとそれは無理かも……」


俺はミルファの両手をどけて、隠されていた顔、頬に手を添えた。


「……っ」


ミルファは照れながらも、熱っぽい瞳で俺の視線を少しの間受け止めて……目をつむった。いつまでも鑑賞していたいくらい、綺麗な顔だった。でも、あまりじっくりと見るのは失礼だから。


「大好きだよ、ミルファちゃん」


俺は目を瞑るミルファの唇へと口づけした。


「……フっ」


最初の一度目はジックリと。そして2回3回と、何度も何度も。


……もう我慢できない。


「ん……ジョウ君……っ」


俺はキスをしながら、ミルファのシャツ、その胸のボタンへと手をかけた。片方の指でパツパツと開けていく。ミルファの抵抗はない。俺のことをずっと受け容れ続けてくれていた。


「……っ」


ボタンを全て開け終わる。


……とうとう、この日がやってきた。自分の心臓の鼓動がうるさい。


昂揚にわずかに震える手で、俺はミルファの上着を脱がそうとして──




「──ねぇミルファ、お肉を買うお金がなくなっちゃったのだわ。もうちょっとお金ちょうだい?」




音もなく、部屋にシャロンが帰還した。


「……ん? ジョウとミルファ? 2人して寝室で何をしているのだわ?」


「「……」」


「ああ、まぐわっていたの?」


「「……!!!」」


「あ、別に邪魔しないから続けてていいのだわ。ところで干し肉って塩っ気があって美味しいのね。銀貨2枚じゃぜんぜん足らなかったから、今度は10枚もっていくのだわ。どこにあるの? 荷物漁っていいのだわ?」


「……」


俺はすぐさま自身の手荷物から銀貨を20枚出してシャロンへと握らせた。そしてその背中を押す。サッサと出ていってほしくて。


「ありがとうなのだわ。それじゃあ私もう行くから──」


「待ちなさい」


ガシッと。ミルファがシャロンの手を掴んだ。


「シャロン、あなた干し肉をいったいどれだけ……何皿分食べたの?」


「えっと……10とか20とか?」


「……そう。ちなみに町の人にジョウ君がどこにいるかとか、誰と居るかとか聞かれたらなんて答える?」


「当然、宿でミルファとまぐわってるって答えるのだわ」


シャロンはそれが何か? とでも言いたげに首を傾げた。ミルファはそれを見て大きな大きなため息を吐く。


「ダメよジョウ君、シャロンをこのまま行かせたら……この子、人の常識をまだ全然理解してない……」


「え……えぇっ!?」


ミルファはシャロンを部屋に留まらせた。


え、そしたらじゃあ……俺の中で滾るこのエクスタシーな想いリビドーはいったいどうなるのか。しかし、もはやそれに答えてくれる者はどこにも居なかった。


ミルファは宴に行きたがっているシャロンをソファに座らせて、人間の食欲や性の話題へのオブラートの包み方、コミュニケーションについてコンコンと教え始めてしまった。


……いや、それは正しいことだけど。正しいことなんですけどっ!


部屋の中のムードは完全に立ち消えてしまい、そうこうしている間に外から宴の騒々しさも鳴りを潜めていった。

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