第18話 緑薫舎におジャマします
「広っ!! これが一晩泊まる部屋かっ? パーティールームじゃなくてっ?」
俺は、目の前の光景に思わず声が上擦ってしまう。
小さなダンスホールかと思うほどに広いリビング、用途別に別れた部屋、ダイニングキッチン……俺たちは3LDKの部屋へと通されていた。
──さて、ここまでの経緯を話そう。
アドニスの町に夜の帳が下り、まったく泊まる場所など考えていなかった俺たちは『宿泊? それなら私どもにお任せください!』と胸を張って豪語した町長によってとある銀泉亭とは別の宿に案内されていた。
その名も【
なんでもこの町きっての高級宿の銀泉亭に負けずとも劣らない老舗旅館?らしい。ちなみにそちらに泊まれない理由については明白で、瀕死レベルのプラチナランク冒険者たちが3人寝かされているためである。
「す、すごいわね……! 見て見て、ジョウ君、広いお風呂まで備え付けてあるみたい!」
ミルファもまた隣で高待遇な部屋に絶句していた。なんでもこの世界では風呂付きの部屋というのもなかなか珍しいらしく、両手をきゅっと胸の前で握りしめてウキウキとしている。そんな様子のミルファもまた可愛い。
……のだけれど、でも、俺はそれ以上に何が起こったのかが気になるんだよな。銀泉亭に担架で運び込まれたあのミーシャとかいう冒険者、顔面を凹まされてエラい重傷だったけど。
「? どうかしたジョウ君?」
「えっ? あ、いや、なんでも」
もしかしたらミルファちゃん、怒らせるとかなり凶暴説……? あると思います。
「いやー、しかしウワサには聞いていたっスけど、さすがはアドニスの老舗高級宿の一角っスね!」
ちなみに、ニーナもいっしょである。他の部屋がしばらく使われていなかった都合上などで掃除が行き届いておらず、このひと晩は1つの部屋でもいいかととのことだった。もちろん贅沢を言うつもりもない俺たちはその提案をありがたく受けることにしたのだ。
「私、行商人として大成功を収めたらいろんな旅先の町の高級宿に泊まってみるのが夢だったんスよ。まさかこんなに早くその日が来るなんて!」
「しかもタダでね」
「タダほど安いものは無いっス! ありがたく貰うっス!!」
「それを言うならタダほど高いものは無い、じゃないの? 後が怖いな……」
「ふふふ、ジョウさん、甘いっスね。貰えるものはもらっておく、それがこれからサクセスストーリーを歩む人間の度量ってやつっスよ!」
ニーナはそう言うと、2つ並ぶキングサイズのベッドのひとつに向かって大きくダイヴした。ふっかふかのようだ。
俺たちはそれから食糧不足なハズの中、豪勢な夕食をありがたくも振る舞ってもらい、その後はゆっくりとお風呂に浸かることになった。俺にとっては実に2晩ぶりである。
「ミーさん、いっしょに入るっスよ!」
「い、いやよっ! ひとりひとり入ったらいいじゃない!」
「なんでっスか~広いお風呂がもったいないっスよぉ~! 後ろも前も私が流すっス!」
「恥ずかしいからイヤ……というか普通流すのは後ろだけ! 前なんて任せられるわけないでしょ!」
そんな女子たちのキャイキャイした声を聞きつつ、俺はソファのひじ置き部分を枕代わりにゆったりと寝そべっていた。
そうしている内に、俺はいつの間にか浅い眠りに落ちてしまっていたらしい。
「……んぁっ?」
「ジョウさん? ……アレ、眠ってたっスか?」
急な覚醒の後、視界の先にいたのはニーナだった。
「すみませんっス、目を瞑って休んでるだけかと」
「いや……大丈夫。いま寝すぎたら後で寝れなくなるし」
ニーナはツインテールの髪を下ろして、服も着替えていた。日本に居た頃の知識のままでいいのなら、それはバスローブというヤツだろう。白いタオル地のすき間から見える肌色が少し扇情的だった。
「先にお風呂はいただきましたっス。ミーさんの後でいいと言ったんスが、ミーさんにバスルームに先に押し込まれてしまったので……ここは天然温泉らしいっスね、いい湯でした」
本当に風呂から上がったばかりだったのだろう、ニーナは熱そうにバスローブをパタパタとさせる……いや、させるなよ。見えちゃいけないものが見えそうになってるぞ? 目のやり場に非常に困るんだが。
「そういえばミルファちゃんは?」
「私と入れ替わりでお風呂に入ってるっスよ」
「そっか」
「それにしてもミーさんはイケズっすね……結局別々で入ることになったっスよ」
「そりゃよかった。先を越されなくって」
「あ、そうだったんスかっ!? えー、それは出過ぎたマネをしてしまったっス、ならむしろ別々でよかったっスね」
ニーナはよかったよかったと笑いつつ、俺の隣へと腰かけた。
そして、
「ジョウさん、今日は本当にありがとうございました」
打って変わって真摯な面持ちで、俺に深く頭を下げる。
「え、なに、いきなりどうした……?」
「今日1日のことっス。ぜんぶぜんぶ含めて、ありがとうございました。ジョウさんに助けてもらえなかったら、私、今でもあの崖下で絶望したままだったかもしれないっス」
「それはもうお礼を言われたし……なんなら、ミルファちゃんをワゴンに乗せてもらうっていう条件もあったからさ」
「いえ、たとえもし事故にあっていなかったとしても、もし私ひとりだったらきっと、この町で積み荷を奪われて途方に暮れていたと思います。だから、今こうしていられるのはぜんぶ……ジョウさんのおかげなんス」
ニーナはそう言うと俺の手を握る。両手で、力強く。
「私、これから口だけではない立派な行商人になってみせるっスから! そしてこのご恩を一生をかけてお返ししていくっスよ。約束っス!」
「……大げさだよ。俺は自分にとって許せないことがあったから行動に移したまでだ」
「それでも、その行動で救われた人間がここに確かにいます。私にとってジョウさんは命の恩人なんス。もちろんミーさんも。だから、感謝させて欲しいんス……迷惑っスか?」
「いや、そんなこと……分かった。じゃあその感謝の気持ち、受け取らせてもらうよ」
「はいっス!」
ニーナはそう言ってとても明るい笑顔を咲かせた。
「……ところで、ぜんぜん関係ない話で、こんなことを訊くのもどうなのかなと思ったんスけど」
「ああ、なんだ? なんでも訊いてくれ」
「そうっスか?」
ニーナは朗らかな表情のまま、
「じゃあ訊くっスけどミーさんとはどれくらいの頻度で夜の営みをしてるんスか?」
俺はむせて咳き込んだ。
「唐突に何を訊いてくれてんのっ!?」
「あ、ちなみに営みというのはエッチのことっス」
「それを分かってるから何を訊いてくれちゃってんのかを訊いてるんだけどね、俺は……」
「だって何でも訊いてくれ、って言ったじゃないスか。ほら、今日【致す】のに私がお邪魔だったら今からでも部屋を変えてもらおうかなと」
……まあ確かに致すとなったら邪魔になるんだろうが、俺とミルファちゃんはまだそんな関係でもないしなぁ。
「実はミーさんにも同じこと訊いてみたっスよ」
「何してんのっ!?」
「いやー、ミーさんってばあまりに初々しい雰囲気をしてるものっスから、ついつい……というか訊いた後の反応もまたあまりに初々し過ぎたので、本当に気になっちゃって」
てへ、とニーナが可愛らしく舌を出す。いや、そんなおどけても下世話なことに変わりはないぞ?
「いっしょにお風呂も入ったこともないみたいっスし、本当にお2人はいったい……と思いましてっスね。で、どうなんスか?」
ニーナには恥じらいの概念が無いのだろうか、キョトンと首を傾げていた。そんなの、言えるわけない……というか、言えるだけの経験がまだ無い、と言った方がいいだろうか?
「もしかして……まだなんスか? 婚約関係なのにっ?」
「……」
「ま、まさかとは思いますが……キスもっ?」
「……っ」
「えぇっ!? ジョウさんってもしかして性欲がない系男子っスかっ!?」
「あ、あるわっ! でも仕方ないだろっ! 今日までずっと慌ただしかったし、キッカケというキッカケもなかったし……」
俺とミルファちゃんはなにせ、出会ってまだたったの2日。それも波乱万丈でラブシーンが混ざる余地のない波乱万丈の2日間だ。泥酔明け初日で追手の魔族たちから逃げるために野山を駆け、2日目でたどり着いた最初の町で大暴れ。
……いったいどれほど図太いヤツならこんな濃い2日間で出会ったばかりの婚約者と恋人らしい時間を過ごすことができるっていうんだ。いいや、できまい(反語)
「キッカケってねぇ……しかしまあ何にせよ、それは良くないっスね……」
眉をしかめていたニーナだったが、
「……ふふふ、これはさっそく恩のひとつを返すタイミングがやってきたようっス」
小さくそう言いつつ怪しげにほくそ笑んだ。何か余計なことをしでかしそうなその雰囲気がだいぶ不安だった。
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