29話 生きていてほしいだけ
「魔王になる、なんて……。無理だよ、お前には」
ネグロの言葉に絞り出すような声で、首を横に揺らす。
彼がどれほど高潔な男なのか知っている。
派閥争いが活発化し、皇国の腐敗が進みはじめながらもなお高潔な意志で民を守ろうとしていたと。
彼だけは決してその思いを歪めず、たとえ立場を譲ろうと意思だけは譲らなかったと。
青い鳥も謳っていたのに。
「なぜ無理だとお思いなのですか。……私は本来
食器の扱いもろくに知らず、与えられる肉を獣のように貪っていた。力を封じる首輪をあたえられ、砕石や伐採の術以外は教わらず。世界というものに何の
昏い瞳だ。
この子のこうした顔を見なくなったのはいつからだっただろうか。
気がつけばすぐに思い出せないほどに、彼は自分の近くで尽くしてくれた。
それほどに今回の事実が、この子を思い詰めさせてしまったのか。
後悔はすれど時間は巻き戻せない。
せめてその考えを止めさせようと、乾ききった口を開く。
「……やめなさい、ネグロ。それこそ本当に取り返しがつかない。お前がそのようなことをするなどしたら、どう足掻いても物語という枠組みが、」
《カキンの実を獲得しました。ルート考察機能をアンロックします。
ネグロ騎士団長闇落ちルートは「敬愛するヴァイス皇子を奪ったこの世界を呪う」という設定のifとしてプレイヤーから受け入れられる可能性が高いため、十二分にありえます》
「バラッド!?!?」
二重どころか、三重の意味で驚いた。
物語の枠組みとして崩壊しないのかとか。
どうして自然にカキンの実を食べているんだとか。
ルート考察機能などと、あまりに都合が良すぎないかとか。
青い鳥はぱたぱたと宙で羽ばたいて静止する。
ネグロの燃え盛る瞳はそちらに向けられているが、今は剣を握るつもりはないようだ。
バラッドと自ら名乗った、出会った頃は完全に無機質だった声は、それまでとは温度の異なる響きを発する。
《……また、カキンの実が二つ以上提供されたことからバラッドの好感度システムがアンロックされます。
本来は五つ以上の提供が必要ですが、すでにバラッド側の好感度が一定値を超えていることからの特例事項になります》
「……どういうことだ?」
話を聞くに一つの実だけで二つの機能を備えるようになったと言うことか? そうだとして何故そんな特例を?
愛嬌のある顔立ちは普段よりも心なしか淋しそうに見える。うつむいているから、あるいはそう感じるのかもしれない。
《私は、NPCです。あなた方とも一線を画すシステム側の存在。……それでも、好感度というシステムは存在している。それはつまり他者の行動に喜びを、怒りを、愛おしみを覚えるということ》
そこにいるのは、初めて会ったときのぜんまい式のような繰り返しを歌うものではなく。
感情を込めて言葉を謳う一羽だった。
《ヴァイス皇太子殿下。私の声があなたに聴こえたのは、本来あなたがゲーム開始時点には存在しないものだから。
それでも、惜しいと思うのです。あなたが生きたその先を見たいと、ここにいる私は想うのです》
「バラッド……」
《言えども私はNPC、出来る権能は限られています。あなたがたが選ぼうとしている道の先の考察》
獣の唸り声にも似た響きが割ってはいる。
「……つまりだ、愚鳥。ヴァイスさまが死なずに、世界も崩壊しない可能性についての予測を貴様がすると?」
《肯定します。その場合も最終的なルート確定はプレイヤーの手に委ねられますが、ルートの一つとして据えられないか検討するのでしたら、お役に立てるでしょう》
バラッドが胸をはれば、胸のふかふかとした毛が強調される。
面白くなさそうに鼻を鳴らしたネグロは、けれども一瞥すら青い鳥に向けることはなくまっすぐとこちらを見る。
「
「ネグロ」
「ですから、お願いです。」
「世界を救うために死を選ぶというのならば、世界を私が滅ぼさないために生きてください」
無茶苦茶だ、と口の中で呻き声を噛みしめる。
生き延びたら世界は終わるし死んでも世界を彼が滅ぼすなんて。
「……そうするな、と命令したら?」
「貴方さまが生きていらっしゃる限りは無論したがいます」
「死んだ私に従う価値はない、と?」
「まさか。……ですが、死者は言葉を語れない。私はあなたほど高潔でも慈愛あふれる存在でもありません。
そして世界があなたを奪うのならば、世界にあなたほどの価値はなくなる。でしたらあなたに世界を捧げることで、私は私の忠誠を示すまでです」
…………。
「怖っ」
話を聞いていたブランが腕をさすって身震いした。
うん、ごめん。ちょっとさすがに否定出来なかった。
「っていうかそれ、僕やビアンや母さまたちまで死ぬんだけど!?あったり前のようにとんでもないこと言い出さないでくんない!?」
「…………?ヴァイスさまが身罷れたならば、その御許にいけるほど幸せなことはないのでは?」
「兄さまこれ早く諦めて首縦にふった方がいいですよこいつ本気です」
構図が変わった。
いや、一見すればネグロとブランが相対しているが、結局のところ言っていることは変わらない。
「……ネグロ。」
「はっ」
「私がここで『分かった。適うかは分からないが自らの命も救えるように尽力しよう』といえばその考えを改めるか?」
「いいえ。」
即答した男に、これみよがしにため息を吐いてみせる。
今更この程度が堪えるとは思っていないが。
「口ではなんとでも申せるでしょうし、事実あなた様ならばそう御言葉を口にしたのでしたら違えることなく尽力されるでしょう。けれども私は知ってしまった。そうなればもう同じことです」
「頑固者め……」
「兄さまが育てたんですよ、あれ。なんとかして責任とってください」
「育てた覚えはないが……」
いや、今のブランと年端のかわらないころに拾いあげて居場所を作ったのだから責任という点ではあるが。
今日だけで何度めになるかも分からない嘆息をこぼしてから、向けられていた目に真正面から返す。
「ネグロ。」
「はい。」
「約束しろ。お前がそのような畜生道に落ちたとして、弟妹たちには手を出すな。
たとえ世界を滅ぼすとして、彼らに手を出すのは最後にしろ。」
「……。」
「ちょっと、兄さま!?」
後ろから弟の慌てる声が聞こえたが、そちらに目を向ける余裕はない。
眉間にしわをよせるネグロの姿はけれども怒っているわけではなく、ただ反射的に頷きそうになっているのを食い止めようとしているのだということを自分はよく知っていた。
まったく。よくもまあこれで世界を滅ぼすだの言い切れたものだ。
《ネグロ騎士団長の忠誠心の篤さは民衆やファンに広く知れ渡っています。ヴァイス皇太子殿下その人を損なうようなものでなければ、どのような命令だろうと即座に頷く男だとゲーム本編でもいくどとなく語られています》
青い鳥がぱたぱたと羽ばたきながら
短刀の柄に話題の本人は手をかけるが、抜きはしない。私から視線をそらさない。
「約束しなさい。そうするのなら、私も約束しよう。世界を滅ぼさない形で、私自身も生き延びる道を探してみせる」
「……!!」
「私がそう望んで、不可能なことはない。のだろう?」
そうやって微笑みを浮かべれば、目の前の瞳がゆがむ。
乱暴に涙を拭った赤が、彼の髪を一際際立たせる役割を果たしていた。
「…………はい!」
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