幸せのありか編

26話 その手は伸ばされない


「……話は聞きました、兄さま。」

「ブラン……」


 ペンを滑らせる音だけが響いていた部屋をノックした向こう側にいた弟。



 ──そういえば、朝食の時間が過ぎてしまっていたか。


「すまないな。仕事をしていたら遅くなった。もう母上とビアンは食べ終わってしまったか?」

「ええ。それよりも兄さま」



 語気強くこちらへと歩み寄る表情は、険しい。


 そうだろうなと思う。

 扉を開けてまず先にあいさつではなく、話を聞いたといったのだから。


「ネグロから聞いたんだろう。あいつはまだ怒っていそうか?」


「あれは怒っているとは違いますよ、呪っているんだと思います。」

「呪う?私をか?」


「世界がひっくり返ろうとあれが兄さまを呪うわけがないでしょう。その前に世界を呪いますよ」



 鼻で笑う調子に、そうだろうかと首をかしげる。



「たとえ呪ったとしても、その先でより最善をつかみ取ろうとできる男だよ。彼は」


「…………はぁぁぁぁああああ」

「おや、どうしたんだい。そんな盛大なため息をついて」



 入り口近くでしゃがみ込みそうになっていた弟に手招きをする。

 立ったままではブランも疲れてしまう。座ってゆっくり話をした方がいいだろう。



 促しに最初は無反応だった彼も、やがて再び口を開く前にはソファに辿り着いた。



「…‥薄々予想はついていましたが。兄さま、あなたはネグロについては何の手も施さないつもりでしたか?」


 聞かれて思惑を整理する。



 ネグロ……あの子への手ならこれまでだって贔屓だといわれて仕方がないくらいには差し出している。


 手をとってあの場所から連れ出し、魔月の民とそしられる彼をしきたりを無視して騎士団に入れて、陽の当たる道で生きていけるようにした。


 その結果はゲームと呼ばれる空想遊戯の中で示されている。騎士団長として皆を率いる存在となり、民に、多くの者たちに愛されている。




 けれどもブランが言いたいのはそう言ったことではないのだろう。手にしていたペンを机に置く。



「そうだね。あの子が未来で地位を失脚する可能性は薄い。政権争いの立場から脱却しても国を追われることも死ぬこともない。

 むしろ国を良くしようと尽力してくれているんだ。その未来を閉ざすようなことをする方が野暮だろう」


「……。僕、兄さまのことは嫌いじゃありませんけど、兄さまのそういうところが嫌いです」

「そうか。ごめんね」


 嫌いじゃないけれど嫌い。

 その言葉に傷つかないわけではないけれど。弟たちに大事なことを伝えずにいた罰だと思えば甘んじて受け入れるしかないだろう。



「分かってないくせに謝らないでください。……いいですか、僕も大概諦めが悪い自信がありますし、それはネグロもです。

 兄さまが諦めているからって、僕らがそう簡単に諦めると思わないでください!」


「ブラン……」


「…………用件はそれだけです、失礼します!……あっ、あと女中にあとで軽食を持ってくるように言ったので、ちゃんと食べてくださいね!」


 最後にこちらを。

 いや、ひょっとしたら今も私の肩に止まっている鳥かもしれない方向を睨みつけて去っていく。


 今はあの子もこの青い鳥、バラッドが見えているから。


『ぴぃ……』


 どことなく元気がない鳥の頭をそっと撫でた。



 ◇



 叔父上の騒動が落着しかけたところでバラッドの姿と言葉が視認できるようになった。


 そこから連鎖して知られてしまった、この世界の基盤について。……ヴァイス皇太子という存在が、死なねばならないという事実。



 予想できていた通りネグロの怒りたるや凄まじいものだった。


 青い小鳥が両断されなかったのは単に、私があの時バラッドをにぎりしめることに成功したからに他ならない。

 まさか私の指を切り落とすわけにもいかなかったのだろう。



「ネグロ、その剣を下ろしなさい。」


「ヴァイスさま……!何故ですか!何故、その愚鳥を守ろうとされるのですか!?」

「決まっている。今のお前が平静とは程遠いからだ。」


「…………ッ!!これが平静でいられますかっ!あなたの生を、その正しきをそれは否定している!そんな馬鹿なことがあるわけがないというのに!!」



 本当に良い子だ。

 その情を、悲嘆を、怒りを心からありがたく思う。



 それでももう。自分は選んでしまったのだ。何を優先すべきか。

 だからこそ道化のように酷薄な笑みを浮かべよう。



「おかしな話だな。世界と私をもっともくらべているのはお前だろうに。お前曰く私は偉大で、偉大になりすぎた。だから世界が排除しようとしている。自然な流れだろう?」



「そんな……そんな馬鹿な話がありますか……!!」

「あるからこうなっているんだよ。お前やブランが私を慈しみ、崇拝してくれた結果がそれだ。」


「……そんな世界、間違っている!あなたを受け入れない世界だなんて……っ、」



 歯軋りする彼が、ノック音に殺気を向ける。

 扉の向こうで女中の小さな悲鳴があげるのを聞いて、潮時だと理解した。




「…………。どうやらお前は自分の立場を忘れているようだな。これ以上その件について口を挟むことは認めない。

 皇国騎士団遊撃隊三十四番ネグロよ、これより遊撃隊としての任を解く」



 凍りついた表情で息を吸う赤髪の男を睥睨へいげいする。

 事実上の私付きを解くという命令だ。



「悪魔のカイナが目論んでいるとされる来たる召喚の儀での暴動疑惑。その件について動いている本隊の調査隊と合流せよ。


 母上への脅威の可能性を排除するまでは、遊撃隊への復隊を禁ずる。

 遊撃隊の連絡調整はその間、次席のカサンドラに任せる。詳しいことは追って文書で通達しよう。……以上だ、下がりなさい。」



「……っ、……」



 言葉らしい言葉を出さずに、形ばかりの一礼をして部屋を退室するネグロ。

 その外で様子を伺っていた女中が、大きな音と共に開け放たれた扉の外から、出ていった彼と私を交互に見ていた。



 ◇



「……バラッド。今のゲーム……空想遊戯とこの先訪れるであろう未来の一致率はどれほどだ?」


《現時点ではおよそ71%の一致率となっております。主に政権確定後の多数のPC・NPCの生存率が上昇しています》


「……具体的に誰の生存率が上がるかは分かるのか?」

《そちらの情報は該当のカキンの実使用後にアンロックされます》

「そうか……」


『…………ぴぃ、ぴぃ』


 無機質な説明音とは異なる、小鳥の鳴き声。

 あの一件以来どことなく覇気がなく、申し訳なさそうにも聞こえるその鳴き声に苦笑して頭を撫でてやる。



「お前のせいじゃない。……お前のせいじゃないさ。」

『……ちゅん……』

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