17話 流布


 耳の近くで聞こえてきた声に息を呑む。


 目の前にいる公爵には悟られないよう細心の注意をはらいながら、続く音声へと耳を傾けた。


《クニン=メルトキオ・ヘズ=ビーンズはビーンズ領メルトキオ家の次男で、柔らかな物腰と女性ファーストな姿勢、そして甘い口説き言葉から多くのファンを集めています。》


 ……初対面の年若い相手に情報量が多い。

 下手に偏見につながらぬよう、気を配らねばなるまい。


 目の前の公に鳥の言葉が聞こえていないことを心底感謝しながら、極力客観的になるように努めながらふたつの声を聞く。


「親ゆえの盲目と思われるかもしれませんが、クニンはこれで優秀な子です。先日六つになったばかりではありますが、古代呪文学へ関心を寄せているようで……」

「古代呪文?大人でも解読が難しいとされるあの学問を学ばれるとは」


《クニン卿は王権強固派の派閥に属してはいますが、直接的な干渉は避けています。遊民めいた立場で主人公の前にあらわれ、古代呪文にまつわる神話の知識やこの国の裏側についてをつたえる攻略対象の一人です》


 バラッドの補足からも、メルトキオ公爵の言葉がただの身内びいきではないことが見受けられる。

 それは優秀なことだ。



「ええ。ちょうど皇女殿下とも歳が近しい頃合いです。……もし皇太子殿下がよろしければ、御父上にも是非御目通り願いたいものです」


《クニン卿はビアン令嬢の婚約者でもあります。母親が皇帝陛下の摂政となってまもなく結ばれた婚約は、しかし形ばかりのものでした。

 互いに愛などない状態で結ばれた婚約に反発するクニン卿は、多くの女性と不特定の関係をもちます。》



 ……。



《ビアン令嬢はそれを黙認しますが、歓迎できる話ではありません。聖女として現れた主人公へも同じようにクニン卿が近づいた時、耐えきれなくなった彼女は主人公へと粘質的な嫌がらせをはじめます。

 クニン卿ルートは他のルートと比べてわかりやすくビアン令嬢と主人公が対立するルートとなっており、賛否が分かれています!》



 ………………。



「御父上はあの通りお忙しい方ですから……。それに、妹もクニン殿もまだお若い。理解ある友人としてあの子と仲良くしてもらえればさいわいです。」



 ──内心反省にみちる。

 偏見につながらないように気を配らねばと思った瞬間に、これだ。



 とはいえ兄として、今の話を聞いて喜んでと首を縦に振れるかといえば……まだ年若いクニン殿には大変申し訳ないが難しいのもたしかで。



「そうですか……。承知いたしました。今回を皮切りにビアン皇女殿下と長らく交流を交わせましたら、それに尽きる幸いはありません。」

「ええ、それはもちろん。まだこの子も古代呪文までは手をつけてないもので。良い影響を受けさせていただければ何よりです」


「ねぇ、兄さま。古代呪文ってなーに?」



 後ろから服を引かれる。

 見ればビアンがこちらを見上げていた。



「古代呪文というのは、女神がおわした時代に使われていたとされる文字や、それを使った呪文についての学問だよ」

「そうなの?じゃあさっきの女神さまが使ってたカッコいい呪文もあったりするの!?」


 好奇に満ちた視線で、こちらとメルトキオ親子を交互に見る少女の姿に少年も緊張を解いたようだ。



「さっきのは知らないけど、女神さまが使ってたっていう呪文は見たことある。……おれ、ノートにそういうのまとめてるんだけど、みる?」

「!うん、見てみたい!……!兄さま、いーい?」


「ああ、勿論。後でどんな話を聞かせてもらえたか、私にも聞かせておくれ」



 うなずきを返せば、二人足早にかけていく。

 聖堂の端のほうに休憩スペースもあるから、あちらでノートを見せてもらうのだろう。



「子どもというのはすぐに仲良くなれるのですから、素晴らしいものですね。」

「ええ、本当に。こちらであれこれと気を揉むよりも、信じて見守ってやる方が良いのかもしれません」



 遠目から見守っていれば、二人の様子に関心を覚えたらしい別の子どもも近寄ったり離れたり。


 明らかに親がけしかけて近づけさせようとしている子も中にはいた。だが、大半は未知の存在へと純粋な疑問をもっているようだった。



 しばし並んで様子をみていれば、気がつけば視線を隣から感じる。


「………メルトキオ公。何か?」

「いえ、皇太子殿下の御耳に入れるようなことは何も」


 歯切れの悪い言葉だ。

「今は無礼講ですよ」と微笑みを浮かべても彼は言葉に迷ったようすで、たくわえている口ひげを撫でて茶目っけを交えて片目をとじた。



「いくら無礼講だからといって、真に無礼なことまでは申せぬものですよ」

「おや、そう仰られるとますます何事か気になりますね。私個人のことでしたら如何様なことでも、驚かぬ確約はできませんが、貴卿に不利益はもたらしませんよ」


 そう言いながら舞台袖の方へと歩き出す。

 おおよそ荷物だけがおかれている場所は、他に比べて明らかに人の気配が薄かった。



「そうですね……、今は貴方に忠実なくだんの番犬もおらぬようですし」

「……もしや、ネグロのことですか?」



 忠実な番犬。

 今はいない。


 二つの単語に該当しそうな相手が……他に見当たらない。

 こちらの困惑を味わうように公の口元があがった。



「ええ、……実のところを申しますとね、ヴァイス皇太子殿下。貴殿が先ほどの提案をかわした件、私は少々傷ついたのですよ?」

「それは申し訳ない。」


「いえ、愛らしい姫君の想いを尊重したい兄君の優しさは理解しております。ですが同時に外野としては胸がつまる思いとなるのです。

 もしや可愛い妹のために、兄心を働かせるつもりかと。」



 まばたきをひとつ。それから動揺を見せずに微笑みをかえす。

 なるほど、それを量らんがための提案か。明確な名前は出さぬまま言葉を続ける。


「二人は歳の差も大きいです。私も無理に結びつけるつもりは御座いませんよ。」



「殿下はそうでしょうね。しかし、騎士団の中で皇家に擦り寄ろうとするものは後をたたない。

 何よりも姫君の愛らしいロマンスについてはひそやかに噂されているのですよ」


《王権強固派や社会変革派の面々と親しくなると聞ける噂イベントでは、ネグロ騎士団長とビアン令嬢の幼い時のやり取りを聞くことができます》



 そこまで噂になるものだったのか……。



「大きくなったら結婚してほしい」と願うビアンに対して、ネグロが「姫君が大きくなってもその想いを抱いていらっしゃるのでしたら、その時にお返事しましょう」と返したという話は双方から聞いていた。



 たしかに護衛もそばに控えていただろうし、人の噂を失くすことはできぬだろうが、そこまで……?




「そちらについても、私は先ほど同様のお返事となります。まだ二人とも若く、未来ある子たちだ。己が添い遂げる相手は己で決めるべきだと。」


 一度言葉を止め、意識的に瞳を細めてみせた。

 多少の意趣返しはしたところでゆるされるだろう。



「それとも、私があの二人を結びつけることで自らの趨勢すうせいを強めようと考えると?」

「はは!まさかそんな。家という結びつきがなかろうと姫君も騎士殿もあなたへの尊敬を、崇拝を揺らがせることなどないでしょう!」



「ならば、ネグロの立ち位置のほうか。」



 ひとりごちるような言葉に、一瞬。メルトキオ公の表情から笑みがぬけ落ちた。



「……誤解はなさらないでください。私は決して、彼を魔月の民とそしるつもりはありません」

「ええ、存じております。」


 ビーンズ領は宗教観念が元々薄い土地柄だ。魔法を扱う者に対する忌避も他の地の出身者より低いはずだ。



「それでも、彼が皇家としてその席に入るとなれば話は別です。しきたりを重視する貴族や教会は特に、それを受け入れはしないでしょう。もし殿下がその為にかの噂を消さず潰さずというのなら……。」



 ……どうやら、誤解が生まれているらしい。

 ため息をつけばそれをどう受け取ったのか。公爵が肩を揺らす。


 いまだ硬い顔をまっすぐ見据え、口元をゆるめた。



「いくつか、訂正が必要なようだね?」

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