閑話『ノア』


 私は、元は矮小なスライムだった。


 スライムは魔物の中でも底辺の存在。


 特筆する武器はなく、特徴と言えばどんな劣悪な環境でも生息できる生命力と雑食性くらいなものだろう。


 よって、他の魔物から見れば体のいい捕食対象。


 ヒトから見れば駆除対象でしかない。


 上位種ともなれば国1つ亡ぼせるような力を有してはいるが、それまでの間は生態系の最下部を這い回る弱者でしかない。


 その中でも、私は幸運な部類だったのだろう。


 他の個体よりも少しだけ逃げ足が速く、少しだけ頭が良く、そして何より悪運に恵まれていた。



 今よりも遙か昔。


 うっかりとヒトの町に入ってしまった私は、ヒトが振るう杖や箒から逃げていた。


 スライムは雑食だ。


 他の生物の腐肉や排泄物を食べる者もあり、病を撒き散らすこともある。


 よって、見つければ排除するのが妥当。


 私を能無しで悪食なスライムと混同されるのは非常に腹立たしいことだったが、そもそもヒトにスライムを見分けろと言う方が酷というもの。


 私は必死になって逃げた。


 だが、森ならいざ知らず、そこはヒトの町。


 隠れる場所は少なく、あっという間に袋小路に追い詰められる。


 私は死を覚悟した。


――その時だった。


 突如として出現したダンジョンに、私は飲み込まれることとなる。


 それからは、あの時に死んでいた方がマシに思えるような毎日だった。


 多くの魔物が湧くダンジョンの中を逃げ回り、死骸漁りをして生きる日々。


 魔物に見つかれば全力で逃げ、小さな隙間で身を震わせる。


 明日をも知れぬ命だった。


 ダンジョンで野垂れ死んだ冒険者や、他の魔物との縄張り争いに敗れて食われた魔物の残骸を食らい、飢えを凌ぐ。


 スライムは雑食なので食うに困る事はないが、私はグルメなのだ。


 新鮮で柔らかな草木の芽や葉、そして甘い果実が好みなのだ!


 それなのに、このダンジョンときたら、暗い洞窟なので光は無いに等しく、植物に近しいものと言えばコケやカビくらい。


 魔物の骨や腐肉が主食となるのは必然だった。


 そんな毎日が何十年と続く。


 だが、その地獄を生き延びた私は、ダンジョンから溢れる豊富な魔力と食べた魔物の魔力を糧に、遥かに強い存在へと変化していた。


 今では他の魔物に後れを取ることは、まずもってない。


 それほどまでに強くなった。



――しかし、それは驕りだった


 どれだけ強くなろうが所詮はスライム。


 いつものように迷宮を散策していた私は、運悪く巣穴から出ていた階層間を守護するアースドラゴンに遭遇してしまった。


 結果、無様にも叩きのめされた私は、敗走を余儀なくされる。


 上には上がいる。


 弱気は挫かれ、強者のみが栄華を貪る。


 世界の摂理を久しぶりに思い知らされた。


 傷が癒えぬ私は、ダンジョンの通路で這い蹲るしかなかった。


 その時だ――


「ッ‼」

『――』


――ヒトが現れた


 忌々しい。


 よりにもよって、こんな時に。


 悪運には自信のあった私だが、この時ばかりは死を覚悟した。


 アースドラゴンによって消耗した私は、動くことすらままならない。


 万全の状態ならば、こんな貧弱なヒトなど、一思いに捻り潰してやるものを。


 最も忌み嫌うヒトなどに終わらされる。


 己の運命を呪っていた私だが、そのヒトは私に水をかけはじめた。


 どういうつもりだ?


 ヒトの行動の意図が読めなかった私だが、続く行動でようやく理解した。


 食料らしきものを私に差し出すヒト。


 こいつは私を助けようとしている。


 だが、動く気力も無い私は、人の差し出す食料を受け取ることも億劫だった。


 それを食料が気に入らないと考えたヒトは、別の食料を私に差し出す。


 これは!


 自分が弱っていることも忘れ、ヒトの差し出す食料に飛び掛かった。


 懐かしい。


 草の実の味だ。


 遠い昔に好んで食べた味。


 久しぶりの草の実は、とても美味かった。



***



 食料を食べたからか、すこぶる調子がいい。


 アースドラゴンに消耗させられた体力も、僅かではあるが回復した。


 気付けば、ヒトは私の前から立ち去っていた。


 感覚を研ぎ澄ませると、まだ近くをうろついていることが判った。


 借りを作るのも癪なので、私はヒトの後を付けることにした。



――のだが


 おい、馬鹿!


 そこはトラップがあるだろ‼


 なぜ自ら岩蜥蜴ロック・リザードに近づく⁉


 ……まったく!


 このヒトは、些か警戒心が薄いのではないか?


 よくこれで、弱肉強食のダンジョンの中を生き抜けたものだ。


 ヒトがトラップに引っ掛かりそうになったり、魔物に遭遇しそうになるたびに、私は陰からアイツを助ける。


 そんなことはいざ知らず、ヒトはダンジョンを先へ、先へと進んでいった。



 すると、ヒトが見覚えのある部屋に到着した。


 まさか!


 間違いない、そこは地竜アースドラゴンの住処。


 お前が敵う相手じゃない!


 引き返せ‼


 その念が通じるはずもなく、あまつさえヒトはアースドラゴンに石を投げ始める。


 音で誘導しようとしているのは私にも理解できた。


 だが――


「グオオオォ‼」


 アイツは愚図なロックリザードと違い、鼻も利く木偶の坊だ。


 まったく。


 世話の焼けるヒトだ。


 アースドラゴンに潰される寸前、私はヒトの前に割って入った。


 何をやっているんだ、私は。


 この暗がりに適応した結果、アースドラゴンは著しく視力が退化している。


 しかし、そんなことは関係ないとばかりに、アースドラゴンの的確な攻撃が私を追い詰める。


 くっ!


 攻撃を全力で回避するも、尾の一撃を貰ってしまった。


 ……そろそろヒトは逃げたか?


 それなら私も、アースドラゴンの隙を突いて……おい、何をしている?


 気が付くと、あの軟弱なヒトがアースドラゴンに向かって石を投げていた。


 アースドラゴンの注意が、私から逸れる。


 クソッ‼


 今から追撃しても間に合わない!


 蹂躙されるヒトの姿を幻視した私だが、ヤツの目は諦めていなかった。


――ジリリリリリリリ‼


 けたたましい音がヒトの投げたアイテムから鳴り響く。


「今だ!」

『……‼』


 音に驚いたアースドラゴンが動きを止めた。


 アイツ、まさかこれを狙って?


 その隙を私が見逃す私ではない。


 ありったけの力を込めて、ヤツの首を叩き斬ってやった。


 血溜に伏すアースドラゴン。


 その忌々しい頭を踏みつけてやる。


 ざまぁ見ろ。


 私を侮るからこうなるのだ!


 おっと。


 ヒト、お前もヒトの癖になかなかやるじゃないか。


「ありがとうな、スライム」

『……!』


 ヒトが食料を差し出してきたので、それを受け取る。


 まあ、何だ。


 ヒトは嫌いだが、コイツとなら一緒に居てもいいかもしれない。




 地獄の中を彷徨う日々。


 この出会いが私のクソみたいな運命を変える始まりであることを、この時の私はまだ知らない。

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