王子様と魔法のクリームソーダ

@nazutozu

王子様と魔法のクリームソーダ

 俺のクラスには、王子がいる。


 もちろん本物の王子、なわけはなくて。それはあるクラスメイトのあだ名だ。女子は彼を王子と呼んでいたし、男子は貴族と呼んでいた。前者は黄色い悲鳴と共に、後者はやっかみの視線と共に。


 王子は月雪冬華という、そりゃもう美しい名前だ。高校1年生にして高身長。切れ長で静かな眼差しは憂いを帯びて儚げだ、とは女子の言い分だ。さらりとした少し長めのストレートヘアは真っ黒ではなく薄い茶色で外国人を思わせる。教師によれば地毛らしいから、きっとその整った顔立ちも含めてハーフなのだろうと噂が流れていた。


 いつもキラキラと輝いて見えそうなほどのオーラに、お金持ちだとか、どこぞの御曹司かもとか色々噂は流れていたけれど、私生活は全く謎のまま。女子も遠目にヒソヒソするばかり、男子は当然、一緒にいたら比べられるわけで。彼はいつも一人、窓辺の席で外の景色を見たり、カバーのかかった本を読んでいたりした。そんな姿もまた実に耽美で、それはもうどうしようもないことになっていたのだ。


 でも俺は知ってる。王子は気取った貴族なんかじゃなくて、優しい普通の人間だ。

あれは俺が下校中、道路で盛大にすっ転んだ時のことだ。あの日も一人で帰路に着いて、ルンルン気分で音楽を聞きながら歩いていたんだ。その時、目の前にカエルがいたもんだから、慌てて避けようとしてバランスを崩し。右肩から思いっきりアスファルトにぶっ倒れた。


 歩道だったから良かったし、頭を打たなかったのは実に幸いだ。でもあまりの衝撃に俺は数秒、その状態でフリーズしていた。そんな俺に駆け寄って声をかけてくれたのが、王子だったんだ。


 大丈夫かい、秋月君。そう言って心配そうに、王子は――冬華君は手を差し出し起こしてくれて。怪我は無いかと、頭は打ってないか、足は捻ってないか、病院に行くかと気にかけてくれた。その時俺はと言えば、耽美な顔が近くて、何故だかそんな彼からふわりと卵焼きの匂いがしたりしてパニックになった。地面を見れば、カエルは呑気にぴょんぴょん跳ねて何処かへ消えて行ったし、俺はしきりにありがとうと大丈夫を呪文のように答えて、彼から逃げた。


 そういえば、殆ど接点が無いのに俺の苗字覚えててくれたんだなあ。近くで見るとものすごい美形だったなあ。手のひら、あったかかったなあ。とか。そんなことを考えたもんだよ。


 なんで俺がその話を今するか、って。そりゃ、するでしょ。


 だって、その王子がさ。


 俺の目の前で、顔を真っ赤にして座ってんだもん。お盆に夢かわ特盛クリームソーダを載せてきた、俺の前でさ。

 






 俺のバイト先はこの、喫茶『如月』。高校からは遠く離れた、寂れた喫茶店で働いている理由は2つ。クラスメイトにバイト先を知られたくないから。そして、この喫茶店で出されている『魔法のクリームソーダ』に魅せられているからだ。


 子供にとって神の雫と呼んでも過言ではない、その魔法の飲み物はどんな店でも美味しい。しかしこの、隠れた名店のクリームソーダは俺にとって別格と言っていい。喫茶店なんだから、当然コーヒーや軽食がメインで売れてはいるけれど、とにかくここのクリームソーダは一度味わうと他では満足できない体になってしまう。


 まずこの酸味と甘みが絶妙なバランスのメロンソーダ。甘すぎればアイスと競合して溶けた時に甘すぎる。酸味が強すぎれば苦みを感じることもあるが、とにかくバランスがいい。澄んだ甘さにしゅわしゅわのソーダが口の中で弾ける。


 氷は四角いものに穴の開いた、セル方式。このくぼみに最後に溜まったクリームソーダを未練がましくストローでつっつくのもまた思い出だよな。そこに乗っているアイスは子供の憧れ、ソフトクリームとアイスの2段構え。どっちのアイスが好みの人でも満足できる。こんな贅沢が許されていいのか? 子供心に思ったもんだね。


 もちろんグラスだってただのグラスじゃない。キラキラの星が散りばめられた綺麗なグラスなんだよ。まるでメロンソーダの夜空。アイスの溶け始めた白い濁りが雲みたいに流れて、そりゃきれいなんだ。アイスのそばにはお定まりのサクランボと、三日月の形をしたクッキーが刺さってたりして……そう! この飲み物は! 子供にとっては神の飲み物なんだよ!


 俺はその味に感動して、ことあるごとに飲みに来た。もちろん、何の理由も無く来るもんじゃない。こういうのは、神聖なんだ。特別な意味の有る日に楽しむんだ。誕生日、クリスマス、初めていい感じになってきた女の子を連れて、そしてフラレた傷心を抱えて……。俺にとってクリームソーダは人生と言っても過言ではない。


 ただ問題は有る。俺は、もう立派な高校一年生。つまりだ。男がクリームソーダを注文して、飲むってことに若干の抵抗が生まれてきているんだ。


 いいや、わかってる! クリームソーダに罪は無い。こんなに美しくて美味しくて夢の有る飲み物は他に知らないぐらいだ。今だって尊敬している、だからせめてリスペクトを伝えたくて、ここで働かせてもらうことにした。こうしてバイトをしながらでも猛烈に飲みたい。しかし俺は大人になる過程で心が汚れ始め、高校生にもなってクリームソーダ、みたいな言葉に苛まれていたんだ。


 それがどうした。


 ちょっと裏方の仕事をやっている間に、客が来て注文が入り。一番奥のテーブルに持って行ってと言われて運んだら、そこに冬華君が座ってるんだもん。


 もちろん彼は1人で。つまりこのクリームソーダは、彼の注文だ。冬華君は俺に気付くと、やや遅れて耳まで真っ赤になってしまった。やっぱり、クリームソーダは王子と言えども少し恥ずかしいみたいだ。


 でも。わかるよ。コレ、神の飲み物だもんな。


「……お待たせしました。魔法のクリームソーダでございます」


「……あ、秋月くん、僕は、」


 冬華君はいつものキラキラした雰囲気も何処へやら、おどおどして半分涙目で、真っ赤になっているから。俺は小さな声で、囁いた。


「大丈夫、この席、他のとこから見えないし。コレ、すごく美味しいから楽しんで。最初はスプーンでちょっとずつ掬ってソーダにつけるのもめっちゃ美味いよ」


「あ、う、うん……」


 冬華君は俺がからかったり馬鹿にしないことに安心したのか、少し落ち着いたみたいだった。「溶け始めたり、ストローを刺したら溢れることが有るから気を付けてね。でも溶けてから混ざった味を楽しむのもすごくオススメ」と言い残し「ごゆっくりどうぞ」と手を振って、足早に去る。


 そのままバックヤードに入って、俺は壁に背を付けてドッドッと早鐘を撃つ胸を押さえた。


(嘘だろおーーーーーっ!! なんでこんな、ええーーっ! 俺、変な顔してなかったかな……ちゃんと店員みたいな顔できてた⁉)


 俺も耳まで真っ赤になってるような気がしてきて、今更アワアワ頬や耳を押さえる。あの、いつもの王子とは全然違う、クリームソーダを待ち侘びる女の子みたいにウキウキした空気、それで俺だとわかった瞬間の戸惑い、羞恥、だけど安心した時のあの、なんだ! もうわからん、なんもわからん!


 あうあうあう、とよくわからない声を出していると、店長に怪訝な顔をされた。なんでも有りませんなんでも! と言って、大きく深呼吸。そう、なんでもない。今俺は、ただの一店員に過ぎないのだから。


 言い聞かせながら、そうっとバックヤードから店内を見る。他の所から見えないと言っても、バックヤードからは別だ。こっそり見ると、冬華君がおずおずとクリームソーダの写真を撮って、それから照れ臭そうに微笑んで、アイスをスプーンで掬う。その慎ましやかな量がわかってる。実にわかってる。そのちょっとのアイスを大事に大事に、ソーダに浸けて口に運ぶと。冬華君は満面の笑みを浮かべて、何故だか俺の胸の中までシュワシュワ泡立っているような心地がした。






「530円になります」


 しばらくして、レジに伝票を持って来た冬華君に代金を伝えると、彼は小さなカバンから古びた財布を取り出して、ノロノロと支払いをしてくれた。それは王子でも貴族でもなんでもない、ごく普通の高校一年生の姿だ。


「……あの、……秋月君」


 そして彼は、おずおずと口を開く。


「今日のことは……お互い秘密にしないかい……?」


 それは、冬華君がクリームソーダを頼んだということと、俺がここでバイトをしていたということだろう。別に何も困ることはないから、俺はすぐに「いいよ」と頷いた。


「2人の秘密、だな」


 そう言うと、冬華君は少し微笑んで、こちらを見つめている。冬華君の長いまつ毛に伏せられた瞳は薄い茶色だ。近くで見ると、いつもよりも余計に美形に見えた。


「……クリームソーダ、本当に美味しかった。ありがとう……。今日はどうしても飲みたくなって……特別な日になったよ」


 ああ、冬華君も特別な日にクリームソーダを愛するんだろうか。猛烈な親近感に、俺は黙っていられなかった。


「良かった。また飲みに来てくれよ。たまに飲むクリームソーダって最高だよな」


 そう言うと、冬華君はきょとんとした表情を浮かべてから、柔らかく綻ばせた。


「うん、本当に最高の飲み物だよ」


 その嬉しそうな顔といったら。ずるい。それしか言えなかった。俺はどうしたことがドクドク言う心臓と熱い頬を感じながら、「またのお越しをお待ちしております」と頭を下げたのだった。





 

 俺たちにとって確かなことがある。それは、クリームソーダは神の飲み物だってこと。魔法のクリームソーダは、俺たちの仲を繋いでくれたんだ。


 だって後から聞いた話だけど、最初から冬華君は俺と話したがっていて、だから俺の名前を知っていた。同じ「月」や季節が名前に入ってるからって、ただそれだけの理由で。誰とも距離を縮められなかった彼は、ずっとずっと独りで、俺と話せる日を待っていたんだ。下校時にこっそり後ろを着いてきても、なんと声をかけていいかわからないまま。


 冬華君は王子でも貴族でもなんでもなくて。母子家庭で、家に母親もいないから自炊をしているし、早朝に新聞配達をしているから昼間は眠くて仕方ないらしくて。だからウトウトしているのが周りからは儚げに見えて、声をかけられないんだから困った話だ。その日は彼の誕生日。なけなしのお小遣いで、どうしてもクリームソーダを食べたくなったんだって。ああ、健気な話じゃないか。来年から、絶対俺もお祝いしてあげたいし、なんなら一緒にクリームソーダを飲みに行きたい。そう思った。


 それから、俺と冬華君は一緒に特別なスイーツを食べに行ったりする仲になり、そのうち手を繋いだりして、遂には何故かキスしたりするようなことになるんだけど……。ほんと、人生何が起こるかわからないよな。


 きっとカエルを助けたからかも、いや関係無いかも。ただ言えるのは、冬華君は少しも王子様なんかじゃなくて、ずっとずっとクラスで寂しい思いをしていた一人の男子校生だったってこと。


 気づいてやれて良かった。同じ物を愛せる仲で良かった。心からそう思う。


 そして俺たちは、クリームソーダを食べに行く。俺たちが、付き合うことになった特別な日に。


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