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「この店、締める時どんな気持ちだった!アンタの事だ、どうせ中のモン処分するとき、一人でビービー泣いてたんだろ!?分かってんだからな!アンタが泣く時は、だいたい俺のせいだろうが!俺のせいで、俺の前で泣いてれば良かったのにっ!」


 止まらないどころかヒートアップしていく。そんな寛木君の目に、俺はどう映っているのだろうか。今の俺はどんな顔をしているのだろうか。

 でも、きっと今の寛木君じゃ、ハッキリ俺の顔も見えていないに違いない。


「っこのクソが!バカが!ずっと、さがしてたのにっ!それなのに、なんだよっ、そのエプロンっ!アンタ、ずっとここに居たんじゃねぇかっ!それを、おれは……ばかみたいに、あちこち探しまわって……」

「寛木君、泣かないで」

「誰のせいだよっ!畜生っ!」


 優雅さの欠片も無くなった彼は、まるで俺みたいにボロボロと涙をこぼしていた。そういえば、寛木君が泣くところを初めて見た。その姿は、なんだか新鮮で、それでいて妙に可愛く思えて、俺は思わず彼の顔に手を伸ばしていた。


「な、なにしてんだよ」

「こうすれば、泣き止むかなって」

「……バカにすんな」


 バカになどしていない。俺は寛木君の目元に指を這わせると、出来るだけ優しく目元を拭った。俺が泣くと、寛木君はいつもこうしてくれていた。こうされると、俺は嬉しかったから。


「……ねぇ、寛木君」

「なんだよ」


 寛木君の目から溜まった涙が溢れ、俺の指を濡らす。ただ、その瞳を見ると、新しい涙は流れてこないので、どうやら涙は止まったらしい。良かった。泣き黒子が無くても、これは効くようだ。


「店でね、寛木君みたいなコーヒーが新しく始まるんだけど飲まない?」

「……俺、仕事中なんだけど」

「すこし、すこしでいいから」


 泣き止んだ寛木君に俺は名残惜しさを感じつつ、手を離した。嬉しいからと言って、あんまりベタベタするのは良くない。もう彼は従業員ではない。もう立派な社会人なのだから。

 そう思った時だ。


「ソレ、マスターが淹れてくれんの?」

「っ!」


 俺の手はいつの間にか寛木君の大きな手にしっかりと握りしめられていた。暑い。いや、熱い。急激に上昇してくる体温に、俺は呼吸の仕方を忘れたかと思った。


「っぁ。あ、あの。くつ、ろぎ君?」

「マスターが淹れてくれんのかって聞いてんだよ」


 先ほどまで、怒鳴り声を上げ、ボロボロと涙を流していたのがウソのように問いかけてくる。


「……あの、えっと」


 熱い。物凄く、熱い。

 今日は日差しが強いせいだろうか。それとも、好きな人に手を握りしめられているせいだろうか。多分、答えは圧倒的に後者だ。


「は、い。おれが、いれます」

「……じゃあ行く」


 寛木君の答えに、頭の片隅に浮かんだ「仕事はいいの?」という問いかけが顔を覗かせ、すぐに消えた。

 そして、新しい疑問が浮かび上がってくる。


「ねぇ、寛木君」

「なに」


 未だに俺の手は寛木君に握り締められたまま。その手の力強さに「もう絶対に離さない」という意思が垣間見えたような気がするのは、俺の都合の良い勘違いだろうか。


「寛木君は、コーヒー、好き?」


 でも、どうにも諦めきれずに俺は寛木君にズルい質問をした。コーヒーだったら、きっと「好き」って言ってもらえるってわかってるから。だから、俺はコーヒーの後ろに隠れて尋ねる。


 もう、コーヒーでも何でもいいから、俺は彼に「好き」だと言ってもらいたかった。


「……別に、嫌いじゃない」

「っへ!?」

「ってか、フツーだし」


 寛木君からの予想外の返事に、俺は思わず声を上げた。

 ウソだろ。まさか、ここまできて俺はコーヒーに対する寛木君の気持ちすら勘違いしてたなんて。先ほどまで熱かった顔から、一気に熱が引く。


--------アンタ、すぐ勘違いするし。色々考えが甘いんだよ。

「ぁ、う」


 大晦日の日。寛木君から言われた言葉が脳裏を過る。

 まったく、その通りだ。俺はどこまで勘違いすれば気が済むのだろう。これだから、イヤなんだ。勝手に期待して、勘違いして。


「そ、そっか。普通か。そう、だよね。もともと、寛木君は、紅茶派だもんね。うん、知ってる」

「……」

「で、でも。今回淹れるコーヒーは、その、本当に美味しいから……ぜひ、あの。飲んでいって」


 コーヒーの後ろに隠れて、ずる賢く彼からの「好き」を貰おうとするからこんな事になる。本当に、俺はいつも考え足らずで失敗ばかりだ。

 そう、俺がツンと鼻の奥に痛みを感じた時だった。


「アンタ、また勘違いしてそうだからハッキリ言うけどさ」

「え?」


 寛木君の目がジッと俺を見下ろしてくる。俺の手を握る力は更に強まり、よく見れば彼の顔も真っ赤に染まっていた。いや、自分の事に必死で気付かなかっただけで、彼の顔はずっと真っ赤だった。


「お、俺が好きなのは、アンタだよ。青山霧!」

「っ!」


 寛木君からの揺るぎようのない視線と、ハッキリとした言葉。そして、優雅さの欠片も無いような表情で告げられた言葉に、俺は耳を疑った。

 今、寛木君はなんと言った?何が好きだって?コーヒー、それとも紅茶?なんだ?


「あ、あの。それって……」

「次に店やる時は、今度は絶対に俺が一緒に失敗してやる。俺のやりがいは、全部アンタに突っ込んでやる。好きなだけ俺を搾取しろよ!」


 とんでもない事を言われている気がする。いや、気がするじゃない。実際、とんでもない事を彼は言っている。

 いつの間にか俺に目線を合わせて顔を寄せてきた寛木君の、その顔すらハッキリ見えなくなった俺の視界はともかくもって、ユラユラと歪んでいた。


「やりがい払って好きな奴の夢が叶うなら、俺がいくらでも払ってやるよ」


 俺の耳元で囁くように口にされた言葉に、俺の涙腺はとうとう決壊した。


「っぅ……っぅぅ」

--------キリ、お前はまた泣いとるのか。この泣き黒子が泣き虫を連れてくるのか?


 爺ちゃんの声が聞こえる。

 違った。違ったよ、爺ちゃん。


「これも、俺のせいだな」


 この泣き黒子が涙を連れて来るんじゃない。俺の涙は、いつも優しい人が連れてきていたんだ。


「~~っふぅ」


 俺は寛木君から泣き黒子にソッと口づけをされるのを感じながら、止まらない涙の奔流にその身を委ねた。

 寛木君は、コーヒーが嫌いじゃない。


 でも、俺の事は好きらしい。




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