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≪同性相手でもセクハラになる?部下、従業員の相手の適切な距離の保ち方≫


「いや、あの……俺、ほんと学校とか、サボリがちだったし、就職とかも、あんま上手くいかなかったから……」

「だから?」


 その下のタブには≪他人に依存し過ぎない為の心の教科書≫なるものも見えた。大手の通販サイトのページだ。だとすると、それは本のタイトルか。なんて本を買おうとしてるんだ、この人は。


「あの、えっと」

「だから、なに」


 せかすような俺の問いかけに、俺から視線を逸らしたマスターの顔が徐々に赤くなるのが見えた。その姿に思う。

 この顔は悪くない、と。


「ひ、人との、距離感とかが、分からなくて。だから、ちゃんとしないと、って思って」

「ちゃんとって何?」

「ちゃんと、って言うのは……その」


 面白いくらいドモるマスターは、しどろもどろになりつつ片手でパソコンを閉じた。お生憎様。もう、開いてたタブのタイトルは全部チェック済だ。


「さ、最初みたいに……自分が……好かれてるって、勘違いしない、ように」


 マスターの真っ赤な顔に浮かぶ、どこか苦々しい表情に俺はふと思い出す。そういえばそんな事もあったな、と。


--------男とかマジで気持ちワリィわ。つーか、ほんとに寛木がゲイなら友達なんてやってらんねーし。


「っは」


 普通は男なんて無理だろ。気持ち悪いだろ。あり得ないだろ。

 でも、この人は俺がゲイだと伝えた後も、俺からの好意を、本当に嬉しそうに受け取ってくれていた。他人からの好意を世間体など考えずに、「好き」という事象だけを見て判断していた。それを、最初はバカだと思った。


「確かに、アンタは〝普通〟じゃないかもね」

「へ?俺って……やっぱり、普通じゃない?」

「うん、すっごい変わってる」

「はぁ、もうっ」


 どこか艶っぽいため息をつきながら手で顔を隠すマスターに、俺の方こそ変な勘違いを起こしそうになる。

 いや、落ち着けよ。この人は俺の好みじゃないだろう。それに、ノンケだ。ノンケって事は、この人は女が好きなハズだ。


「っは、マスターって自分に自信があるのか無いのか、ほんっとワケわかんないよね」

「……ご、ごめん。きょ、距離感とか、もう間違えないようにするから。だから、三月までは」

「別に、辞める気ないし」

「本当?」


 震えながら不安気に尋ねてくる声が、俺の耳に届く。髪の間から見えるマスターの耳は、未だに真っ赤だ。


「だって俺が居ないと、アンタもこの店も絶対に潰れるでしょ」

「うん」


 即答かよ。

 こんな学生風情の言葉に迷いなく頷くマスターもマスターだが、俺も相当だ。自分で言うのもなんだが、どこからそんな自信が来るのか自分でもよく分からなかった。

 でも、確かに俺が居ないと「青山霧」と「金平亭」はダメになる。そう思える事は、俺をどこまでも気持ち良くさせた。


 たとえ、俺が「コージー」ってヤツの代わりだとしても、今ここに居るのは俺だ。コージーじゃない。


「だったら、カートに入れてたバカみたいな本、さっさと購入取り消して」

「っぅあっ!み、見たの!?」

「見たんじゃないしぃ。見えたんだよ。不可抗力」


 ウソだ。ちゃんとしっかり見ようとした。

 そうそう、他にも≪年下に嫌われる5つの行動≫なんていうページも開かれていた。笑える。なぁ、その年下って誰の事だ?ミハルちゃん、それとも俺?

 聞かなくても、今にも泣きそうなほど真っ赤に染め上げられたマスターの顔で分かる。


「なぁにが≪他人に依存し過ぎない為の心の教科書≫だよ。マスター、あんたそんなに俺に依存しそうになってたの?」

「……うん」


 素直かよ。……まぁ、素直だ。知ってた。


「別に、俺、マスターから依存されてるって感じた事ないケド?フツーじゃない?」

「いや、それは……」


 だから、ワザとこんな事を聞く。この人は俺と違って聞かれた事には真剣に答えようとするから。ミハルちゃんがマスターの困った顔が好きだと言っていた気持ちが、少し分かった気がした。


「これは、俺の方の問題なんだ」


 マスターは机の上に置かれたノートパソコンを、誤魔化すように撫でながら、俺から視線を逸らして頷いた。でも、やっぱりマスターの顔は酷く赤い。今やエプロンの下に着た白いシャツから見える首筋までもが真っ赤に染まり切っている。


「……寛木君は、その。シフトでもないのに、店に、毎日来てくれてるのに。それなのに、俺」

「なに」

「いつもより、ちょっと来てくれるのが、遅いだけで……焦るから」

「っ」


 おい、やめろ。コイツはノンケだ。別に俺に対して恋愛感情で依存しているワケじゃない。店の事があるから頼り切ってるだけで……。

 でも、なんだよ。俺がちょっと店に来るのが遅いだけで不安になっていたのか。なんだ、ソレ。


「っあ、でも!コレは決して早く来いって言ってるワケじゃなくて!あの、普通にシフトの時だけ来てくれればいいから!ほんっと、無理しなくていい!あ、いや、俺が許可する事でもないんだろうけど……えっと」


 はは、ウケる。もうこの人、完全に俺に依存してんじゃん。依存って俺が居なきゃダメって事だろ。大の大人が。まだ社会経験もまともにした事ない学生風情に、自分の人生賭けてやってる店について、心の底から依存して、頼りきってる。それってどうなんだよ。ありえないでしょ。


 ほんと、この人はどこまで間違えば気が済むんだ。



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