第5話 仕事

 ゲランとの約束から2日後の昼前のこと。リュカは、約束通り昼過ぎに組織の事務所を訪れていた。

 この2日間、リュカは本人なりに細心の注意を払って行動してきた。両親に怪しまれて外出ができなくなってはいけないし、両親は騙せてもジュールになにか勘づかれる可能性もある。だからこそ、リュカは多少の理不尽や暴力は甘んじて受け入れた上で、上手くやり過ごすことを考えてこの日を迎えた。

 結論を言うと、両親はリュカの行動を怪しむことはなく、ジュールも、自分自身のことで手一杯なのだろう、リュカを警戒する素振りは一切見せなかった。トビはいつものようにくだらないことで暴れ、母親は知らない男と会っているかと思いきや精神を見出し訳の分からないことを言い、ジュールはそんな2人挟まれて精神的に不調を来たしているようだった。それはリュカにも分かるほどで、目つきに異常性を来たしていると感じられるほどであった。しかし、リュカはそこで踏み込みはしなかった。というのも、あまり深入りしてゲランとの約束を果たせなくなっても困る。ジュールには申し訳ない気持ちがあったが、リュカはとにかくいつも通りを装って過ごした。

――……このおしごとがおわって、おかねをもらえたら、ジュールになにかくすりでもあげようかな?

 漠然とそんなことを思いながら1人で事務所に入り、ゲランの姿を探していると、別の男が声をかけてきた。その男曰く、自分は今回リュカの身支度を任されているということだったため、指示に従い彼について行くことにした。

 別室で軽く食事をとり歯を磨いた後、用意された子供用の衣服に着替える。長袖のワイシャツに灰色のベスト、半ズボンに帽子と衣装を整え、建物の裏口から外に出る。

 そこでは既に準備を終えた様子のゲランが紙巻きたばこを蒸していたところであり、彼はリュカに気づくとたばこを地面に捨て、吸殻を踏み潰した。


「よう、来たかリュカ坊」

「……うん、おまたせ……」

「別に待ってねぇよ。んじゃ行くで。早う馬車に乗りな」

「……え、あ、うん。……ねぇ、たばこって、おいしいの?」

「え? あー、別に美味いもんちゃうよ。てかあんたにはまだ早いから下手に興味持たんとき」

「……はぁい」


 煙草に対する興味を諌められ、僅かな不満と、地面に転がる煙草に勿体なさを抱きながらゲランについて行くと、その先では1頭立てのバギータイプの軽装馬車が鎮座していた。簡素な屋根と大きな車輪が備え付けられた馬車は、地味ではあるがリュカにとっては新鮮に感じられるものであった。街中では馬車はよく見かけるしこのタイプは比較的ありふれている。それでも、馬車に乗るなんて初めての経験であるリュカは大層目を丸くしたし、馬もこんな近くで見ることは稀であったため、胸が踊るような感覚がした。

 好奇心と緊張により高鳴る鼓動を感じながら馬車に近寄ったリュカは、客室部分を眺めた後、大人しく佇む馬に目を向けた。逞しい鹿毛の馬の首を撫でようとして手を伸ばし、引っ込めて、じっと全体を眺める。その様子は、傍から見れば、ただの馬好きの子供の目つきであり、馬も、リュカを捉えつつも怯えている様子はなかった。


「なんだ、お前馬好きか?」

「……たぶん……そう」

「そうか。まぁ後で馬でも馬車でも好きなだけ見させてやるから、今はちゃっちゃと乗れ。移動しもって仕事の説明するからな」

「……あ、ごめんなさい……」

「謝らんでえぇ。ええから乗るぞ」

「…………はい」


 ゲランの手を借りて客室部分の座席に腰を下ろしたリュカは、続けて隣に座った彼を眺めて待機する。馬に声をかけ出発する直前、ゲランは何かを思い出したように、あ、と短く声を漏らすと、手にしていた鞄からとあるものを取り出した。


「リュカ、念のため、これを持っておきなさい」

「…………っ! こ、れ……」


 ゲランがリュカの手に握らせたもの、それは小型のナイフだった。リュカの手には大きめだが、折り畳むことが出来、両手で使えば使用することも出来よう。それをポケットに隠し持っておけというのだ。

 これには流石のリュカも戸惑いを見せる。そもそも、リュカはまだ組織の大人たちの戦闘や乱闘の様子をしっかり見た覚えはなかった。とはいえ、リュカにとって暴力は身近なものであったし、街中でも血気盛んな若者や様子のおかしい大人が殴り合いをしていることもある。組織に関わる機会が増えてからは、もっと荒っぽい話を見聞きする機会も増えた。だが、それは結局一歩引いたところから見ているだけであり、このように自分で刃物を振るう可能性があることを全くもって考えていなかったのだ。

 リュカは、渡されたナイフを両手で握りしめ、思い詰めるようにぎゅっと眉間にシワを寄せる。

 その一方で、隣に座ったゲランは、安心しろと言わんばかりに背中を軽く叩き、穏やかな声で言葉を続けた。


「安心しぃ。それは念のため持っておくだけでええから。君にそれを使わせる気はあらへんよ」

「…………ほんま?」

「もちろん。…………まぁ、正直、荒っぽいことになる可能性もあるっちゃある。相手もイヤな奴やからねぇ。でも流石に君に荒っぽいことをさせるつもりはあらへんから。その辺は俺や、あとから来る予定しとる、戦うの得意な奴らやらが対応するからな」

「…………わかった。……ほやけど、これ、みつかるんじゃ……」

「ボディチェックのこと? だんない大丈夫、何とかなるから」

「…………そう、かな」


 ゲランの言葉に不安を覚えつつも、リュカはベストの内ポケットにナイフを忍ばせ、背もたれに体重を掛けて窓の外に見える空に目を向けた。灰色の空の下、ゲランの合図で馬車はゆっくりと動き出した。



 馬車に揺られ目的地に向かう中、リュカはゲランから今回の仕事についての詳細について思い出していた。

 今回の『取引』では、『エタン・アジュール』組織本部がこしらえた兵器や薬の試作品を巡った話し合いを行うという。

 昨年、組織本部に天才だと言われる東洋人の子供がやってきた。その子供は、少々身体的に不自由があるものの頭脳が冴え、新たな機器や薬物の構想を練り試作品を提供してくるのだという。

 それはどれも画期的かつ非常に性能がいいものであり、これが完成し組織全体で運用出来たら、他の犯罪組織だけでなく軍隊や戦闘組織と比べても自組織の優位性は確実となるという。

 そのため、そういった兵器や機器、薬を完成させるために定期的に世界各地の支部や研究所にそのサンプルや試作品を提供し、試用実験させ結果等を報告するよう、本部のボスや研究班から言われているという。

 だからこそ、そういった本部からの提供品は極秘のものなのだが、半年ほど前、とある提供品の情報が他の組織の傘下である末端組織に漏れたという。あってはならない一大事に、アジュール組織構成員は焦り憤り、処理に奔走し本部からの処罰も受けたという。ただ、そこから情報漏洩が見られた末端組織を、アジュール傘下に取り込み、構成員や雑用兼薬物の実験台として取り立てる案が出たという。

 これには当該末端組織も抵抗する意志を見せたが、命の危機に瀕するような薬物は使わず報酬も保証するといった話から、渋々上層組織の意思に背き、アジュールとの関係を結んだという。とはいえ、当該末端組織は現状に納得しておらず、隙あらば反撃を試みているそうだ。

 以上が、ゲランからリュカに伝えられた詳細である。ちなみにリュカはこの話を半分くらいしか分かっていなかったが、なんとか頭を捻って『大事なものを巡って喧嘩をしたのち、とある条件付きで一応仲直りをした。しかし結局納得出来ていない相手が、そのうち仕返しをしてやろうと考えており、それをさせない為に今回ゲランがもう一度取引をするのだ』といった程度には噛み砕き、理解をした。

 ゲランに確認をした際には、『そんな感じかな』と言われたので、それでいいのだろう。

 それはそれとして、リュカは、相手組織の末端の者が適当すぎるのではないかと思った。元の組織にもこちらの組織――アジュールにも不誠実ではっきりしない態度をとって大丈夫なのかと疑問に思い、拙い言葉でそれを口にした。すると、ゲランは軽く笑った後こう言った。


「もうそんなん考えられるんか! 君凄いなぁ。……ほやけど、あとからそうやって不安になって、はっきりせん態度をとるやつもおるんやで」

「……そうなん?」

「うん。だから、それはそれでええんやけど……小さい組織とはいえ、ほないな態度じゃ困るから、どっちにつくか今回ちゃんと決めてもらわなあかんな」


 明るい笑顔から一変、陰がさすような笑みを浮かべてたゲランに、リュカは少し不気味さを抱いた。


 馬車が出発してから二十分程が経過した頃、閑静な街中にある一件の家屋の前で馬車は停止した。一見すると普通の二階建ての一軒家のようなここが、今回の仕事場らしい。

 ゲランは、家の前にいた男の指示で馬車を少し離れた敷地に停め、リュカと荷物を下ろし家屋へと向かった。



「初めまして。わたくし『エタン・アジュール』カナティア東支部のロイク・ゲランと申します」

「こちらこそお初にお目にかかります。私は『フォル』代表のドナ・マルタンと申します。ようこそ来なはった。どうぞおかけください。コーヒーでもお出しいたしましょう」


 装飾や調度品のない地味な建物内の応接室に通されたゲランの隣で、リュカは、ゲランからの名刺を受け取ったマルタンという小太りの男に目を向けた。

 年齢は、ゲランと大して変わらないだろう。名刺を交換する間でも、妙に焦っているような不安げに思っているような態度が面に出ている。これは、今回の取引やゲランを恐れているからなのか、それとも、元来のものなのか。

――…………そういえば、チェック、されてへん……。

 己のベストの裏側に確かにあるナイフの重みを確認しながら、リュカはゲランに続いてソファに腰を下ろした。

 困り眉のマルタンは、不安げな面持ちで向かいのソファに座ったあと、ちらりとリュカに目を向ける。


「……失礼ですが、ゲラン氏、そちらの男の子は?」

「息子です。『ルイ』といいます。預けられる相手がおらんくて、こちらに」

「へぇ、息子さん、そう。ほやけど、だんないか大丈夫ですか? ほたえたり騒いだり泣いたりしまへんか?」

「『ルイ』はえらい物静かな子です。そういったことはありませんに」

「そうですか……。……まぁいいです。では、息子さんの方にはジュースでもお出ししまひょ」

「ありがとうございます。……では、お話の方を進めたく」


 紳士然とした様子で笑みを浮かべたゲランに反して、マルタンは憂うように顔を顰め、真剣な面持ちでの話し合いが始まった。

 2人の話に耳を傾けながら、リュカは現状を整理する。

 今やり取りしている『フォル』の上に別の組織があり、もともとは先に『フォル』がその上層組織の意向とは異なり裏切った行動をした。しかしアジュールの提示した条件に不満があり、再び上層組織の以降に従おうとしているということか。

 リュカは、改めて『フォル』が不誠実だと思った。態度に一貫性がないし、こんな些細なことですぐ属する組織を変えるような者達なんて信用出来ない。本来なら話し合いすら必要ないのではと思えるが、そこはゲランに一任されているのだから、リュカがいくら文句を言っても仕方ないことだ。

 ともかく、一度『和解』したとはいえ、そう簡単に話が纏まるわけがないのは当然であり、激しい話し合いの中でマルタンは必死の抵抗を試みている。


「そちらの言うことは理解できますが、ゲラン氏の仰る条件を飲んだら、こちらの構成員は皆その薬の実験台にされてしまう。出来たらそういった危険なことは避けたいと思うとりまして……。そういった行為は如何なものかと……」

「我々の仕事というもんは基本的に危ういもんや。それにマルタン氏も、危ういことはなんべんもやってるはずやねんなあ? それなのにこちらを責めるのは筋がちゃうかと。あと、全員は大袈裟です。一部を実験台にはしゃんすけど、他はこちらで仕事を割り振りますに」

「ですけど、ほんなんをしては我が組織は潰れてしまう。ここらで長年商売をして、せっかくルートを確立したのに、全てわや台無しになってしまいます」

「そのルートはこちらが全て引き受けます。それに、結局そちらの上層組織に露呈したら潰れるんです。我等の方に入っていただく方が、ずっと長生きできますに」

「……っ、ゲラン氏は、アジュールは、我々をなんやと……」

「先に不誠実な行いをしたのはそっちやろうに、何をおっしゃる。そんな無責任な態度じゃ、どの組織ともやっていけませんに」


 飄々とした様子で言葉を返し時折笑みすら浮かべるゲランと、必死に縋りつくような言動を取るマルタンでは、明らかに優劣がついている。どう見てもゲラン側に余裕があり、この者に従わねばならないというような状況だろう。

 リュカは、ジュースを飲みながら2人の会話を聞き、そしてマルタンの様子をつぶさに観察していた。自分がどう言った時にどのような反応をするのか、ゲランにどう言われた時にどのような反応をするのか。それを確かめてわかったことは、まず、マルタンは自分の発言に自信がないの常であるようだ。これは単にゲラン及び組織に怯えているだけなのか、本人の性格なのか、それとも、バックの上層組織が恐ろしいのか。まだ確定はできない。目の前で、ゲランとマルタンのやり取りは続く。


「そもそも、渋々とはいえあなた方は我等と一度関係を結びました。上層組織に楯突く行いをしてるんです。そんな子供でもわかる馬鹿なことをしでかして、今更大元の飼い主にしっぽを振って戻ろうなんておかしなことをせん方がいいですに。流石に命は惜しいですやろ」

「……それは……」

「このまま我等の傘下に入ってくださったら、あなた方の戦力として力になることをお約束しましょう。これで元飼い主が怒ってこちらに攻撃を仕掛けたかて、対抗はできます」

「それは……、……っ、すんません、ちょっと失礼……」


 ゲランの言葉に顔を曇らせていたマルタンだったが、扉の方から部下らしき男が顔を覗かせると、ハッとした面持ちで扉に目をやり、ソファから立ち上がった。

 ゲラン達に背を向けて部下と話すマルタンを不用心だと感じながら、リュカは取り出した手帳に拙いながらも単語を綴ってそのページをゲランに見せる。

『このひと いつ いうこと きく?』

 それを見たゲランは、一瞬目を瞬かせた後こう書いて返した。

『もうすぐ。言うこと聞いてくれると思う。ただ、どないしても譲れん気持ちがあるから時間かかるんやろう。もう少し説得してみるから』

 譲れないもの、それがなんなのかリュカにはいまいちよく分からなかったが、ゲランが言うならそうなのだろうとぼんやりと考えた。

 その時、部下とのやり取りを終えたマルタンがこちらに振り返ると、リュカが手にしていた手帳にキッと目を尖らせる。


「ちょっと、お二人ともなんのやり取りをしてるんです」

「あぁ、すんまへんね、どうやら息子がトイレに行きたいそうで。ジュースを沢山飲んだからでしょうか。それを書いて私に伝えてきたんですよ」


 ゲランが咄嗟に口にした建前に、リュカも静かに頷く。確かにジュースをコップ一杯分のみ切ったものだから、トイレに行きたい気持ちもある。決して嘘ではない。

 それを聞いたマルタンは、尖らせていた目付きをふっと緩めて、ゆるゆると首を振りながら呆れたように溜息をついた。


「……それくらい口で言ってください。息子さん、口がきけんのですか?」

「話すのが苦手なだけです。まだ4歳ですからね」

「そうですか。まぁええ。君、トイレくらい行ってきなはれ。そこのドアを出て右の通路を行ったすぐだ」

「…………ありがとう、ございます」


 建前に合わせるため、マルタンにお礼を言って一旦応接室を出た。

 言われた通り素直にトイレに向かって用を済ませたリュカは、そのまま真っ直ぐ応接室に進む予定だったが、部屋に戻る途中、別の部屋の前を通りかかった時にとある会話を聞く。


『――の野郎共、舐めやがって……』

『――っちまう? やっちまうか?』

『――だ、やめろ、まだマルタンさんからの指示が出てへん』


 どうやらマルタンの部下が武装をした上でこの部屋に待機しているようだ。ゲラン1人相手に複数人とはかなり警戒しているようだが、思えば、ゲランも戦闘部隊を待機させているようなことを言っていた。ならば、対等なのだろう。

 ドアの横で足を止めながら、リュカはこれをどうゲランに伝えるかを考えた。マルタンが見ていない隙を狙って、またメモをゲランに渡すか? 先程は良かったが、二度目は警戒されそうだ。

――……かといって、なんもいわんのも、へん……やんね……。

 壁にもたれたリュカは、ついつい思考に耽ってしまった。だからこそ気づかなかったのだ。壁にもたれた先に僅かに音が鳴ったことにも、足音がドアの方に近づいてきていることにも。


「けったいな音がすると思うたら……なんやこのガキ」

「――……っ!」


 しまった、と思った時には、もう遅かった。体格のいい男に首根っこを掴まれたリュカは、そのままグイッと体を持ち上げられたかと思うと、彫りが深い顔立ちをした男が凄むように睨む。


「おいてめぇクソガキ、どこから入りやがった」

「……っ、あ、ぼ、ぼくは……」


 体が浮いたことと、息の苦しさにもがきながら言葉をこぼしたところで、男の後ろから別の男の声がした。


「イクス、そいつはゲランの子供や。最初から一緒におるで」

「はぁ? 子供? ほないな情報、調べた時にはなかったで。……まぁええ。嘘かほんまかはおいといて、子供ってことは、多少は使えるでな、コイツ」

「おい、イクス、いらんことせんといて」

「なんでや。ええやんか、こいつのこと、存分に活用したろうぜ」

「…………っ」


 リュカの体を乱暴に解放した男は、仲間の静止も聞かず、醜悪な顔つきで笑った。

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