Ruine bibliothèque —リュイン・ビブリヨテック—

東八花

◇◇◇

誰が呼んだか廃墟図書館―――とある海沿いの地方都市にその図書館はある。いや、正確にはあった。と言った方がいいかもしれない。そこは、かつて賑わった街の中心部。うっそうとした森におおわれ、ゆっくりと時が流れる場所。すぐ近くには藩政時代にかけられた石造りの橋の遺構が見える。


西洋風の美しい赤レンガの構造物は、ルネサンス様式を取り入れた擬洋風建築によるもので、落成したのは一一八年前。それまでの幕府が中心の幕藩体制(の世)から、新政府による為政の世に化わり、欧化と近代化が進められていった頃である。


その図書館は、かつての藩の資料室が源流であり、中庭に面した明るい吹き抜けをもつその建物は、開化期(かいかき)、

という希望に満ちた「時代」を背景に、非常に鮮烈な印象を与え、“Forêt bibliothèque”―森の資料室―の愛称で市民に親しまれた。


疫病が猛威を振るった折には、森の資料室は政府の要請で臨時の養生所として開放されることになり、ほとんどの資料は、一時的に市の中心部、市庁舎の地下倉庫に「疎開」することになった。


疫病の三つの流行期のうちの二つの大きな流行の波を「前流行」「後流行」と呼んだ。中でも「前流行」の波が市を襲い、その年の秋から翌年頭にかけて、患者数が五二〇〇名を超え、年頭の時点で一八八名が死亡した。


当時、疫病には「灰」をまぶした塩が効果覿面とされ、罹患者にひと撒きすれば、忽ち快気。軒先に撒けば病の気も家に近寄らぬ。という噂が士庶の間に流布され、まことしやかに広まった。市内の至る場所々々は市民の撒いた灰で灰色に染まり、森の資料室の赤く美しいファザード(表玄関)も灰まみれの灰色になった。


森の資料室が養生所から図書館に戻るのは二度目の大戦後。公選によって選ばれた最初の市長の時代。戦前に帝都で医学を修めた彼、ないし彼女は、〝ドクター〟と綽名され、延べ七期に渡り辣腕を振るった。


戦後四年を経て、学術文化機関の再編の中、森の資料室も市長の手腕によって帝国臣民・帝国大学図書館分室として再編され。又候、街の中心部、森閑とした森の中で再出発することになった。


以来ここは、この地方屈指の学術研究都市の中核をなす最大の中央図書館として周辺の市町村及び私立図書館の中心となり、市の学術と教育を永らく支えた。


だが一九九〇年代後半。中央からの勅令による図書館令の改正論争や、蒐集された蔵書や文献の所有権を巡る動乱期を経て、二つの群が対立することになる。


長期に渡る管理委託業務の事績に基づき、収蔵された蔵書と文献の所有権を主張する司書官派。通称、 “Húlí(フーリー)” 。

一方で収蔵された蔵書・文献を自由に使用、収益、処分できるのは元々の書物群の所有者で、且つ、街のルーラーである我々。と広言する市長派。通称、 “Xión(シオン)” 間の対立が武力を伴い、二〇〇二年始春からの市内各地の戦闘勃発に帰着した。


市長派の中核的存在である彼、ないし彼女の家は旧藩の本家筋にあたる家系であった。


市は周囲の山々に陣取った市長派勢力に取り囲まれ、紛争が終結する二〇〇五年末まで包囲の状態が続いた。


市長派の攻撃は徐々に市内の衛星図書館にも向けられた。

一九九二年四月には、一九七〇年の新港開港を記念する “海の図書館” が。五月には市の中心部や駅と港湾地区を直線的に結ぶ県道沿いにある“三番目の図書館” の建物が破壊され、数えきれない貴重な所蔵品や蔵書がその犠牲となった。


そして八月二五日の夕刻、爆弾は森の資料室にも命中し、集中砲火が浴びせられる。


街を代表するその歴史的な建造物は甚大な損傷を受け、燃え盛る炎の中で、図書館全体の蔵書の八割にあたるおよそ二〇

〇万冊の書籍と雑誌などが消失した。


多くの蔵書は代替可能であったものの、地元の定期刊行物などの貴重な所蔵資料は夜を通して燃え続け、灰色の灰が空から舞い、地面に積もっていったという。


当時の動乱期には、教会や花街(Hóngdēngqū)をはじめ、多くの文化財とその関連施設が攻撃と破壊の対象となった。


そこには市中の私設文庫も数多く含まれ、森の資料室の焼失はその象徴的な出来事として語られ、理解される。


戦争の終結から既におよそ四半世紀――「森の資料室」はひどく損傷した姿で廃墟の中に佇む。


ここは街ごと錠をかけられた石の棺。本は生きていくための特別な武器となった。


———その日、残骸の下から見つけた本を並べてみた。小さな本、大きな本、でこぼこになった本、角が丸くなった本、読み取れない本、非常に珍しい本、とても貴重な本……。


本、それは束縛に、時間に、隷属に、無知に対抗する記憶の堆積物である。


fin(おしまい).

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