第2章 黒腐

第18話 アルコ・イーリス七大企業国


「……どうしてこんなことになったんだろう」


 黒を基調とした、白のフリルの印象的なゴスロリ服に袖を通したクリアが上空から眼下を見下ろしている。

 彼女の見下ろす遥か眼下には住宅街があった。

 しかし、ただの住宅街ではなく、その家々の隙間には空間すべてを埋め尽くさんばかりに存在する人間大の黒い影があった。

 黒い影たちは一様にクリアの方を見上げ、何かを求めるようにその両手をこちらに伸ばしている。


「まあ、今更文句を言っても何も始まらないんだけど」


 ことここに至るまで、さまざまな紆余曲折があり、クリアは都度都度全力を尽くしたつもりだった。

 しかし、なぜこうなってしまったのか、考えれば考えるだけ謎が深まっていく。


「……消え去れ! 化け物共!」


 クリアが黒い影に向けて手をかざし、魔力を投射する。

 それだけで塵のごとくに影たちは消滅していった。


「はい! 次!」


 クリアが言うと同時、彼女の視線の先、黒い影に包まれたとある人影から、その正体不明の化け物たちはうぞうぞと湧き出してくる。

 一瞬前にはすべてが塵と消えたはずの黒い影たちが再び、住宅街を埋め尽くしていく。


「あー、何回やれば終わるんだろう……」


 辟易に辟易を繰り返しながら、クリアは手のひらに魔力を込め続けた。





 その日、クリアは携帯端末の受信音によって目を覚ました。

 アイアンガーデンからイーリス本土に渡って一カ月が経過した頃合いのことである。

 ベッドからのっそりと起き出し、近くに置いてあった携帯に手を伸ばす。

 初めの頃に必要だからとカレンに押し付けられ、なんだかんだと触っているうちに今やない方が落ち着かないぐらいの気分にさえなっている小型携帯端末。

 画面を表示させると、時刻は十時十二分だった。

 カレンはとっくの昔に出社している。

 彼女のマンションに居候して早一カ月が経ち、初めの頃は何となくカレンが起き出す気配を察して自分も目を覚ましたりしていたが、最近はもっぱら惰眠を貪っている。

 カレンも最初はクリアを起こそうとしていたが、一度、誤って髪を軽く焼いた辺りでそれ以上干渉するのをやめてしまった。

 「魔法の使えない今のわたしが寝起きの姫様を相手にするには体がいくつあっても足りませんので」とのことだった。

 結果、放置され、クリアは無事、安眠を手にした。

 携帯の画面に表示されている名前は『ユリア』。ここ二週間ほど毎日のように顔を合わせている人物だった。

 電話に出ると、透き通るような朗らかな声がクリアの意識を明確に覚醒させた。


「もしもしクリアちゃん? ユリアですっ! 今日もまた図書館来るよね! お弁当、作っていくから一緒に食べよ!」

「……あーい」

「あ! ものすごく眠そうな声してる! だめだよ! こんな遅い時間まで寝てるなんて! 怠惰だよ、怠惰!」

「あーい」

「ねえ! ちゃんと聞いてるの! 返事がすごくうつろだよ!」

「聞いてる聞いてるよく聞いてる。目を閉じながら耳を澄ませてよく聞いてる」

「寝てんじゃん!」


 ユリアリート・カルギュリアはクリアがオレンジカレッジ栄華図書館で出会った十八歳の少女だ。

 七大企業の一つであるというオレンジカレッジ栄華教育が管理するこの国最大の図書館に、いろいろな知識を補完するために通い詰めていたクリアは同じく毎日のように図書館に入り浸っているらしいユリアと半ば必然的に出会った。

 セスティア経済大学に通う学生であるというユリアは比較的時間に余裕があり、暇さえあれば図書館にいるらしく、同じように毎日いたクリアのことが気になったようで向こうから話しかけてきた。

 彼女の名前を聞くなり、クリアはヨークが寝ぼけながら口にしていた名前を思い出し、彼の名前を出した。


「嘘!? お兄ちゃんのお知り合いですか! すごい運命的だー!」

「……どこが?」

「世界は狭いというお話だよ! 最近の若い子には伝わんないのかな!」

「君いくつ?」

「十八」

「大して変わんねえよ」


 などというやり取りがあり、クリアが図書館に顔を出すたびに向こうから絡んできて、気づけばこうして毎日、電話のやり取りをする仲にまでなった。


「一時くらいに行くから! クリアちゃんもすぐ来てね!」

「あーい」


 ベッドから起き出し、洗面所で軽く身支度を整えると、キッチンに立って朝食の準備を整えた。

 料理の仕方など欠片も知らなかったクリアだったが、ここ数週間でそれなりの腕前に到達しつつある。

 献立はスクランブルエッグとかぼちゃスープに小さなライ麦パン。ユリアがお弁当を作ってくれるというので、昼に備えて量自体は控えめだ。

 皿を並べて、テーブルに着き、テレビをつけると、ニュース番組をやっていた。


「今朝未明、イーリス西端の都市、クルヴェイムで発生した黒腐こくふですが、我らが七大企業、パープルマスク傘下の私設サイボーグ兵三千の投入により、黒腐の進軍は瞬く間に勢いを失い、被害は最小限に抑えられたということです。黒腐の発生はすでに停止していますが、残った黒腐の掃討に私設軍は全力を以て取り組んでおります」

「……いただきます」


 黒腐というのはイーリスという国の歴史に常に付いて回っている災厄だと、歴史書等を読みふけったクリアは知っている。

 それが発生したことが記録に記されているのは約八百年前。

 イーリスという名前が影も形も存在しなかったその時代、七大企業の前身である商人同士の互助組合は大きな土地を有し、その統治下に多くの市民を有するにまで至っていた。

 六人の大商人によって統治されていたその国は、あるとき、隣国の侵略によって当時の首都にまで攻め込まれたと伝えられている。

 組合首脳部はぎりぎりのタイミングで都を離れ、わずかな兵だけを連れて、近隣の大きな島に逃げ込んだ。

 その島が今のアイアンガーデンが存在する場所であり、トーマスが利用した島中を走る地下道というのもそのときに作られたものらしい。

 島には少数ながら先住民がいたらしいということはわかっているが、どのような民族がどれほどの数、生活していたのか、その詳細はどの書物にも載っていない。

 そこで好機を待った首脳部は、わずかな兵力しか連れて行くことができなかったのにも関わらず、どういうわけか兵力と武装を整え、第三国の侵攻によって侵略国が混乱中であるタイミングを見計らい、元領土に攻め込んだと伝えられている。

 領土を取り戻した組合だったが、時を同じくして、領土の辺境に正体不明の黒い影が多数、出現した。

 黒い影は触る者すべてを侵食し、腐食させ、最終的には死に至らせる。それが黒腐と呼ばれる異形の怪物がイーリスの歴史に初めて登場した瞬間だった。


「ごちそうさまでした」


 食器をささっと洗い終えると、自室に戻って身支度を整えた。

 今はまだ十二時前なので、約束の一時にはまだ間があったが、すぐ来てねと言われたからには何となくすぐ行かなければいけないような気になって、クリアはさっさと家を出た。

 近くのバス停からバスに乗り、オレンジカレッジ栄華図書館に向かう。

 今クリアが居候しているカレンのマンションは都心部からは少し外れた地域にある。

 アルコ・イーリス七大企業国の首都コーラスクレイスは、七つの商業区からなるこの国でもっとも企業が集中した地域であり、それぞれの商業区ごとにさまざまな特色を持っている。


 ホワイトクロスが束ねる医療施設が集中したセクションホワイト。

 イエローコート傘下の建設会社が集まったセクションイエロー。

 オレンジカレッジが運営する教育関連施設の充実したセクションオレンジ。

 レッドパウダー出資の多数の複合商業施設が幅を利かせているセクションレッド。

 グリーンフォルダー系列の金融・不動産会社が軒を連ねるセクショングリーン。

 パープルマスク監修のアパレルショップの並んだメインストリートが存在するセクションパープル。

 ブルーポータル資本の国際空港や大規模な港の存在するセクションブルー。


 他セクションに色違いの企業が店を出すことがないわけではないが、大体セクションごとに七大企業の特色が色濃く反映されているらしい。

 その中でも人通りが多い首都中心部と言えるのは、食品関係やファッション関係を扱うレッドパウダー、パープルマスク影響下のセクションレッド、セクションパープルということになるだろう。

 クリアとカレンの住むマンションは中でも教育分野を司る七大企業、オレンジカレッジの影響が強いセクションオレンジの中にある。

 国内最大貯蔵図書数を誇っているというオレンジカレッジ栄華図書館も割合近い距離にあり、バスで十分程度揺られればたどり着くことができる。


「代り映えのしない景色だ」


 初めは物珍しかったバスの窓から覗く街並みも一カ月も経てば見飽きた日常へとなり果てる。

 小さくつぶやいたクリアは昨日、図書館の帰りに寄った本屋で買った小説をバックパックから取り出す。

 それを読みながらバスに揺られていれば、目的地にはすぐに着いた。

 オレンジカレッジ栄華図書館。

 正面に大きな四つの柱がある神殿のようなつくりの建物、国内最大を謳うだけあってその全長は見上げるほどに大きい。

 人型の警備ロボットが立ち尽くす正面ゲートから中に入る。中に入る際にはIDを機械に読み取らせる必要があるが、ここに来てすぐの頃に記憶喪失ということで医師の診断を受け、身分証を発行しておいたクリアは難なくそこを通過する。

 天井までが吹き抜けとなっているロビーの一角はカフェになっていて、簡単な軽食を取ることができ、所蔵図書を持ち出してここで読むこともできる。クリアはほとんど毎日、ここで昼食を取っていた。


「……」


 見知った顔がカフェ内にいないことを確認して、クリアはコーヒーを注文するとそのうちの席の一つに腰かけた。

 そうしてしばらく読書に励んでいると、出入口のゲートの方向から栗毛色の髪をした体中から元気を発散しているような少女が歩いてくるのが目に入った。


「あ! クリアちゃん! 早いね! こんにちは!」

「うん」


 クリアの姿を認めると、少女はその溌剌とした瞳を見開き、それから花開くようににこりと笑った。

 ユリアリート・カルギュリア。

 ここのところ毎日のように顔を合わす大学生。アイアンガーデンで出会ったヨークの妹。仲がいいと言えるかどうかは今のところクリアにはわからないけれど、少なくとも話していて気楽な相手ではある。本を読むのが好きという点は共通していた。


「今日は何のお勉強? 先週は数学で先々週は物理だったよね! 今度は何かな! 変化球で哲学とか?」

「残念、外れ。これは昨日買った小説だよ」

「盤外戦術とは汚いぞ!」

「どこに盤があるんだよ」


 軽く唇を尖らせてみせるユリアにクリアは微笑みながら冷静に告げた。

 ユリアは紅茶を注文すると、懐からお弁当箱を二つ取り出した。


「はい、クリアちゃんの分!」

「ありがと」


 半分、休憩所を兼ねたカフェなので、飲食物の持ち込みは自由。ここで注文した料理を食べることもあれば、ユリアが作ってきた昼食を二人で食べることもあった。ちなみにクリアが作ってきたことは一度もない。そんな面倒を好んで選ぶ気概はクリアにはないのだ。

 お互いお弁当を広げ、料理にぱくつく。中身はハムとチーズのサンドイッチとポテトサラダ、それと小さく切ったリンゴ。

 ユリアの作ってくれた昼食に感謝し、舌鼓を打ちながら、いつもの流れでクリアはからかうように口にする。


「今日もユリアは暇なの?」

「はい、そこ! 嫌な言い方しない! 大学生っていうのは暇なのがステータスみたいなもんなの! 時間がいっぱいあるからいろいろ自由に使えて、わたしは本を読んで知識を得ることにしたってだけなの!」

「その割にはこうしてくっちゃべってるのが大半な気はするけどね」

「いいの! クリアちゃんと話すのもとっても大事な時間の使い方だから!」

「……」


 直線的にそう言われると、クリアとしても返す言葉はない。


「クリアちゃんこそどうなの? そろそろ何か思い出せたことはあった?」

「ううん、ない。知識だけはするすると頭の中に入っていくけど、ボクの頭の中で生まれるものは何一つとしてないよ」


 記憶喪失であるという旨はすでにユリアに話している。もちろん、話せる範囲で、魔法だの常識外の事象は除いてだが。


「そっかー! でも、きっと大丈夫だよ! 時間が経てばずるずる思い出していくさ!」

「……腸、引きずり出してるみたいな擬音だな」

「やだー、クリアちゃん、怖ーい!」

「……」


 物、食べてるときに口にすべき冗談ではなかったかと思い直したが、クリアは何ら変わりなくサンドイッチを口にできるし、ユリアにも気にしたところがないので、それ以上、考えるのをやめた。


「ユリアってさ、よくボクにお昼を作ってきてくれるけど、面倒じゃないの?」

「んー? どこがー?」

「どこがって、毎日、家出る前に料理して、とかって面倒くさくない?」

「全然! クリアちゃんがいつもおいしそうに食べてくれるから、とっても作りがいがあるし!」

「根っからの世話焼きだよね、ほんと」

「そうかなー。あー、でも! 最近、お兄ちゃんに作ってなくて寂しいからかもしれない! だから、構いたがられオーラ全開のクリアちゃん見ると世話焼きしたくなるのかも!」

「……何、構いたがられオーラって」

「あーあ、お兄ちゃんどこ行ったんだろうね、ほんと」

「……」


 クリアが軽く調べたところによればユリアの兄、ヨークは行方不明者扱いとなっているようだった。

 本人はアイアンガーデンで身を潜めているだろうことは置いておくとして、彼以外の囚人たちについても情報を集めてみたところ、全員が国家転覆罪やそれに類する罪で逮捕されたというニュースがすぐに見つかった。

 アイアンガーデンが七大企業に逆らった者に対する見せしめの場所だということを考えれば、捕らえた者を行方不明者扱いにする必要などないように思える。

 なぜヨークだけがそんな報道のされ方をしているのか、クリアには理解できない。

 そして、もう一つ。


「ねえ、本当にヨークさんって、どこぞの研究所や大学の研究室なんかに所属してたわけじゃないんだよね?」

「え? うん。わたしが知る限りだと、そんな素振りは全然なかったよ! 仕事も普通の会社員で七大企業傘下の小さな会社で働いてたし! むしろ勉強とか研究とか、そんなのは嫌いな方だったと思う!」

「……ふうん」


 クリアの持つ魔法の力にあれほど好奇心をむき出しにし、研究成果を秘匿する七大企業のあり方に不満を抱いて、研究所を爆破したとまで宣っていた彼のイメージと、彼の妹であるユリアが語る実際の彼の印象が全くそぐわないということだった。

 もちろん家族に見せる顔とそれ以外に見せる顔に違いがある人間はいるかもしれない。けれど、この大いに隔たったイメージの差はそれだけでは説明できないレベルのものに思える。

 そうなると、導き出せる結論は、ヨークが嘘を吐いていたということか、もしくは――。


「どうしたの? 怖い顔して!」


 ユリアが嘘を吐いているという可能性。

 クリアにとって気の合う友達である彼女を疑いたくはないが、どちらかが嘘を吐いていると思えて仕方がない。

 まあ、嘘を吐く意味は何かと考えると、皆目見当がつかないので、やはり考えすぎかと思うところではあるのだが。

 最近、ユリアと顔を合わせるたび、一体、何が本当なのかとクリアは頭を悩ませてしまう。

 嘘を吐かれる意味も疑う意味もほとんどないはずなのだが、それでも、ユリアと仲がよくなってきただけに微妙に気になるものがある。

 かくなる上は手っ取り早い手段を取ってみるべきか。


「今日の帰りさ、ユリアの家、行っていい?」

「え! 別にいいけど! 急にどしたの?」

「いや、なんか、どんな生活してたらこんな感じのが出来上がるのか興味があって」

「む! なんか馬鹿にされてる気配がするぞ!」

「いや、まさかははは」


 適当に笑いながら、クリアは心の底で考えていた。何でもない偶然の積み重ねか何かがあって、矛盾する現実が存在するように見えているだけであって、真実を知ってしまえば他愛のない事情がそこにあるだけなのだろうと。

 そう安易に考えていた。

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