第12話 主従

 深く息をして、クリアは目を開けた。

 視界の中にさまざまな顔がある。

 つい数時間前に出会ったはずの、見慣れない顔の人たちばかり。けれど、心のどこかで彼らを覚えているような、そんな気がしていた。


「気が付いたかい?」


 ヨークが気遣うようにクリアの顔を覗き込んで、心配そうに問いかける。

 その背に、バルクセスや他の囚人たち、クリアが寝かされているらしい洞窟の無骨な壁などが見えた。


「うん。大丈夫」


 反射的にそう答えてしまってから、クリアは自分に何が起こったのかを思い出す。

 慌てて胸に手を当てた。けれど、予期した感触はなく、動物の毛皮で作った毛布のごわごわとした肌触りがあるだけだった。

 それをすぐに取り払おうとすると、バルクセスに止められる。


「やめたほうがいいぜ。さっきの戦闘で、嬢ちゃんの服はあちこちぼろぼろになってた。奇跡的に隠すもんは隠してたと思うが、こんなむくつけき男どもに見せるもんじゃない」

「……」


 笑いながら、バルクセスが背後の囚人たちを指し示す。

 クリアは無言で毛皮の毛布を抱き留めるようにした。


「ほら、お前ら散れ! 嬢ちゃんはもう大丈夫そうだ。俺らがいても邪魔にしかならん。行くぞおら」

「……うわちょっと、バルクセスさん」


 彼に首をロックされるような形で、ヨークも引きずられていく。囚人たちも慌てて駆け出していった。


「俺らは外にいるから、落ち着いたら声かけてくれ。着替えの服はそこに置いてあるからな!」

「……ありがとうございます」


 バルクセスの気遣いに感謝の言葉を述べ、周りに人っ子一人いなくなったところで、ようやくクリアは毛布を剥いだ。


「ほんと、ぼろぼろ」


 確かに、バルクセスの言う通り、元から縫製の頑丈ではなかった囚人服は穴だらけになっている。アイアンドールに銃撃されて死んだ囚人からいただいて元から穴だらけだったのが、レンのあの攻撃を受けて、さらに大穴が開いた形だ。

 それで、そのレンの攻撃による損傷はと言えば――。


「塞がってる……」


 そんな攻撃を受けたことなど最初からなかったかのように、クリアの胸に開いたはずの大穴は元通りに塞がっていた。

 それどころか、流れ出した血さえもついてはいない。


「どういうこと?」


 体のいろんなところを触ってみるが、けがらしいけがは他にはない。擦り傷や打撲などはありそうだが、目立つ大きなけがは何も。


「……」


 何はともあれと、クリアはぼろぼろになってしまった囚人服を捨て、バルクセスが用意してくれた代わりの服を着た。

 その囚人服は、穴の開いた個所や破損した個所を動物の毛皮などで塞いだもののようだ。ところどころに異なる素材が使われていて、着心地としてはよくない。けれど、もはや服でもなんでもない、局部を隠せているだけのぼろ切れよりはましだった。

 それから改めて事情を推し量るべく、クリアはゆっくりと立ち上がって、洞窟の外へ出た。

 体に不調はない。むしろ以前よりも調子がいいとさえ思えるくらいだった。体中にエネルギーがみなぎってくるような、そんな不思議な感覚がする。

 洞窟の外に出ると、すぐそばの小岩に腰かけていたバルクセスが顔を上げた。


「もう平気か?」

「うん。お気遣いどうもありがとう」

「こちらこそ。不格好な服で悪いな」

「ううん、問題ないよ」


 首を振って否定し、バルクセスに笑いかける。

 少し意外そうな顔をした彼だったが、それについては何も言わず、森の方を指し示す。


「まずはこっちだ。さっきのレンとかいうサイボーグが嬢ちゃんに話があるってよ」

「……そう」

「安心してくれ。もう敵意はないみたいだ。それどころか、嬢ちゃんに協力したいとまで言ってる」

「……」


 眠っている間に見たおぼろげな光景。

 あれが現実の出来事だったのか、それとも単なる夢幻に過ぎないのか、クリアにはわからない。

 けれども、カレンという親友がクリアにはいたのだという確信だけは胸の中にある。


「そう言えば、カレンはどこにいる?」

「カレン? カレンじゃなくて、レンって名前のはずだが、あのサイボーグ」

「そうじゃなくて、ボクと一緒にいた子犬のカレン」

「子犬?」


 バルクセスは不思議そうな顔をして、クリアを振り返った。


「嬢ちゃんは最初から一人だったぞ。子犬どころか、虫一匹連れちゃいなかった」

「……え」

「やっぱり混乱してるのか? あれだけの攻撃を受け切れば、脳震盪も起こすだろうしな」

「受け……切る?」


 クリアが彼の言葉に無視しきれない違和を感じていると、「ああ、そこも混乱してるのか」と勝手に納得したバルクセスは語り始めた。


「突然現れた桐華レンっていう、サイボーグの姉ちゃんと戦ってたのはさすがに覚えてるよな。あのサイボーグが足先から思いっきり火を噴いたかと思うと、嬢ちゃんに向かって一直線に突進していったんだ。嬢ちゃんはそれをバリアみたいので受け止めた」

「……」

「長いこと衝突してたようにも見えたが、もしかしたらそれは一瞬だったかもしれん。とにかく、何とかあいつの突進を受け切った嬢ちゃんは、息も絶え絶えって状態だった。だが、それは向こうも同じで、力を使い果たしたらしいサイボーグもあからさまに動きが悪くなってた。その隙を突いて、嬢ちゃんは電撃みたいな球を喰らわせて、あいつの意識を奪ったんだ。だが、それと同時に嬢ちゃんも倒れちまった。その理由は俺達にはわからなかったが、ここには医者もいないしで、どうにもできることはない。俺達は嬢ちゃんを洞窟に運んで、せめて安静にと寝かせてた。それでさっき嬢ちゃんが目覚めた。あの戦闘からここまでの間に起きたことってのはこれくらいだ」


 「やっぱり覚えていないのか?」と心配そうにこちらを見るバルクセスに、クリアは言葉を継ぐことができない。

 彼とクリアとの間で明らかに認識に齟齬が出ている。

 まるで見ていた光景がまるっきり違っているような

 戦闘時のことで、無我夢中だったこともあって、クリア自身の記憶は確かに曖昧だ。

 けれど、どうしても自分自身があのレンの攻撃を受け切れたとは到底思えないのだ。

 ともすれば、胸を貫かれた瞬間の感覚さえ思い出せるほどに。

 なのに、周りで見ていたはずのバルクセスの認識は大きく違っている。

 カレンなど最初からいなかったという話と、この認識の相違、これをどう処理すればいいのか、クリアにはわからない。

 わからないうちに、レンの下に戻ってきた。


「姫様……」


 見たところ、外傷らしい外傷の見当たらないレンは、一本の木の根元に縛り付けられるようにして拘束されていた。

 サイボーグのレンに対して、その拘束がどこまで役に立つのかという疑問はあるものの、あれだけの戦闘能力を見せられた今、協力するという言葉だけを信じて何もせずにいることが囚人たちにはできなかったということなのだろう。


「本当にもうこっちを害する意思はないの?」


 クリアは無造作に彼女に近づいて、跪いて目線を合わせた。姫様などという謎の呼称に関しては、とりあえずは後回しにする。


「はい。私が仕えるべき対象はこの国でも会社でもなく、あなただったと思い出しましたから」

「思い出した? 何を」

「……少し、二人だけで話をしてもいいでしょうか?」


 レンは後ろに控える囚人たちを見て、そう提案する。


「あなた方に話してもいいのですが、少々込み入った話なので。少し離れた場所で見てもらえますか」

「……まあ、どの道、俺らは嬢ちゃんと姉ちゃんの戦いにはついていけねえからな。いてもいなくても変わらねえなら、少しくらい離れても何も変わらねえだろうよ」

「ありがとうございます」


 囚人たちが遠巻きにこちらを見守る段になると、レンは改めてクリアに目を向けた。


「――姫様」

「……ねえ、話をする前に聞いておきたいんだけどさ。君はレンなの? それとも――カレン?」


 曖昧な夢で見たようなおぼろな記憶だったが、それに真実に近しい匂いを感じ取っていたクリアはそう聞く。今の桐華レンの言動は、戦闘前の彼女とは大いに異なる。桐華レンというよりも、カレンに近い。


「レンでもあり、カレンでもあります。記憶の大部分を占めるのは、桐華レンとして生きてきた記憶。でも、心の大部分を占めるのは、カレンとして生きた想いです」

「……君は思い出したと言ったよね? それは何?」

「あなたに仕えた最後の記憶と、想いです」

「……」


 クリアには記憶がなく、自分がこれまでどうやって生きてきたのかさえわかっていない。だから、仕えたと突然言われても、実感としては乏しいものがある。けれど、レンに語ってもいないあの夢の記憶が、その言葉が単なる妄想の類ではないと確信させる。


「すべてではありません。私が思い出したのは、ごくごく断片的な、あの世界が終わる瞬間の記憶と想いだけです。ですが、それだけでも十分でした。姫様、あなたはとある国の女王だった。けれど、その国は外敵によって滅ぼされた。最後まで滅びを受け入れられなかったあなただけは、それに抗った。何らかの超常的な手段を使って。その結果として、元の世界の因果は消え、この世界の因果へと切り替わった。王国が存在し、魔法が普及した世界から、王国は存在せず、科学の発達した世界へと。荒唐無稽な話ですが、おそらくそういうことなのだと思います」

「因果が切り替わった、ね……」


 少なくとも、クリアがこの国の普通の国民にはない力を持っていることは確実だ。ヨークやバルクセスの反応を見ても、それがわかる。

 サイボーグ技術というのは存在としてはあるようだが、クリアのものはそれとは違う。

 体そのものを別物に改造したりするのではなく、自然にあるものや人本来の潜在能力を引き出すような、そういう力の使い方をしている。

 そのあり方はこの国において異質で、記憶のないクリアがそれを持っていることは、どこか気持ちの悪い違和感を覚えさせるものだった。

 最後に残ったジグソーパズルのピースが、空いた空間の形にまったくそぐわないような、そんな違和感を。


「君がそれを思い出したことと、みんなの記憶の中から、とある一つの存在がいなくなっていることは何か関係があるの?」

「子犬のカレン、ですね」

「……」


 一つ、彼女を試してみた。バルクセスが知らないと言ったカレンの存在を、レンは覚えているのかどうか。戦端を切るきっかけとなったのは、カレンの放った雷球だった。あれだけ印象的だったものをレンさえも覚えていないのなら、いよいよもってクリア自身の正気を疑うところだったが。


「言ったでしょう。私はレンでもあり、カレンでもあるんです。因果の切り替わった世界でも、何の因果か、あなたが無意識のうちに私をカレンと名付けたのは、すべて忘れてはいても、心のどこかで私をわかっていたからなんでしょうかね」

「……つまり、あの子犬のカレンと桐華レンが一つになった。そういうこと?」

「そうです。分かたれていたものが元に戻ったという方が正しいでしょうね。あなたが世界を変えたあの瞬間、私はそれに抗ったんですよ。自分のすべてを賭してね。その結果が今です」


 子犬のカレンが存在したという因果が消え、桐華レンの存在に統合された。

 その結果として、カレンという存在の記憶さえも彼女を知っている者の頭から抜け落ちた。


「私があなたにロケットエンジンで突撃を敢行したとき、子犬のカレンの心中は発狂ものでした。仕えるべき主人を自らの分身とも言える存在が殺しにかかったのですから。子犬としての脳には物理的限界がありましたので、人間のように明瞭な思考能力を持つことができませんでしたが、誰が主人であるのか、守るべき対象が誰なのか、それぐらいはわかっていました。最初に雷球を投射したのも、本来、主人に仕えるべき自分があからさまな敵意を持ってあなたと相対しているその姿が許せなかったからです。ですが、その結果があなたを瀕死の状態にまで追い込むのですから、それが犬としての限界だったのでしょうね」


 カレンがいきなり攻撃を仕掛けたことに、クリアも疑問を持っていた。

 人に近しいぐらいの雰囲気を纏っていたカレンがなぜいきなりあんな暴挙に出るのかと。

 けれど、その理由がクリアと敵対する自分自身の存在が許せなかったからだとは、クリアにもまったく想像できなかった。


「それから、隙を突いてサイボーグの私の意識を刈り取った後、子犬のカレンは賭けに出たんです。あなたを救うために」

「賭け? どんな?」

「あなたの胸の穴を塞ぐために、己の存在を代償にすると」


 クリアは無意識に自分の胸に手を当てた。


「元々、あなたの世界改変に抗うために、自分自身の心臓を子犬に変換したんです。だから、その逆もできるはずだとそう考えて。結果は上手くいきませんでした」


 ようやく事態が腑に落ちたと納得しかけて、すぐに首を傾げた。


「……は? 上手くいかなかったの?」

「ええ。子犬としてできることには限度がありますから」


 あっけらかんとして言うレンの顔を、クリアは思わずまじまじと見つめた。


「なのに、なんでボク生きてんの?」

「それが実は私にもよくわかっていないんですが、何かが起きたんです」

「何かって何?」

「わかりません」

「は?」

「……そんな顔しないでください。本当にわからないんです。子犬としての私も全力を尽くしたんですが、体を別の物に変換しようにも絶対的に魔力量が足りなくて、無我夢中で体中の魔力をかき集めているうちに意識を失ったんです」

「それで?」

「気づいたら、桐華レンとしての私がここにいました」

「……」


 最後の最後で、意味がわからないことになった。


「カレンの手法が実は上手くいってたとかじゃなくて?」

「……どうでしょう。もしかしたらそうなのかもしれないですけど、確証はありません。ですが、このままじゃ失敗するという予感で胸がいっぱいだったので、とてもあれが上手くいったとは……」

「……」


 確かにそれは何かが起きたとしか言いようのない事象だ。


「……わかったよ。じゃあ、とにかく君はカレンなんだね」

「はい、姫様」

「……その呼び方、ちょっときついんだけど」

「でも、私にとって、姫様は姫様なので」

「まあ、いいよ」

「……あの、本当に申し訳ありませんでした」

「何が?」

「あなたを害すことになるなんて、臣下失格です」

「……」


 事情をすべて説明し終えたからだろうか。カレンの顔には強い罪悪感が色濃く浮かんでいる。


「いいよ、別に。こうして生きてる分には問題ない」

「でも、私はあなたの従者として、取り返しのつかないことを」

「……そう。わかった。じゃあ、従者やめて」

「え……?」


 クリアがそう言った途端、それこそ、捨てられた子犬のように、絶望的な表情をカレンはした。


「従者はやめて、親友であればいいよ」

「……親友?」

「うん。多分だけど、その改変前の世界とやらでも、ボクは君のことを従者だと思ったことはほとんどないと思うよ。ずっと親友だと思ってたと思う。だから、そんなしがらみが一切合切、消えてしまったこの世界で、今更主従関係にこだわる必要はない。ボクもそんなの求めちゃいないしね。だから、申し訳ないと思うのなら、友達になって」

「……」


 カレンはしばらく、クリアの顔を見つめていたかと思うと、急に自分を縛り付けていた木の根っこなんかをよって作ったロープを引きちぎり、立ち上がった。

 その動きに後ろの方で囚人たちがざわつく気配がしたが、クリアもカレンも気にしなかった。

 それからカレンはクリアの前に跪くと、恭しく頭を下げた。


「お気遣いありがとうございます。ですが、だからこそ、私はこれからもあなたの犬として、一層の忠節を尽くしたいと思います」

「えー」


 ここまで気を遣って言ったのに、普通それを拒んだりするか、とクリアは呆気にとられるばかりだ。


「私にも、選択の自由がありますので」

「あっそ」


 罪悪感はどこに行ったのかと思わされるカレンのセリフに開いた口が塞がらない。


「まあ、何はともあれ、またよろしくね、カレン」

「はい、よろしくお願いします、姫様」


 それでも、クリアの口元にも、カレンの口元にも、小さな微笑みが浮かんでいるのだから、その心の内は容易に知れようというものだった。


 ――こうして、世界を超えてなお、一つの主従はまた、一つの主従となった。

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