三節〈少年少女は猫の手も借りたい〉
やがて、二人は門の前に着いた。
周辺都市より遥かに大きな外壁は、最東端の街であるが故だろう。
シルヴェスタが直々に張った結界もあり、生半可な攻撃は通じない。
『堅牢堅固のクロッサス』とは、よく言うものだ。
彼女はいつも通りの場所で待っているだろうか。
レイフォードが門の付近を見ると、屋敷の使用人用制服を着た女性が佇んでいた。
黒み掛かった銀髪に、藍色の瞳。
レイフォードの身辺の世話を担当し、テオドールの姉代わりであるセレナだ。
「お待ちしておりました。
少々遅かったですね、何かありましたか?」
「先生に言われて、物を運ぶ手伝いしてた。
あと、レイくんの居眠り」
「ちょっと言わないって約束────」
「ほう?
レイフォード様、あとでお話があります」
「……はい」
突然の裏切りに抗議する暇もなく、レイフォードはセレナに圧をかけられた。
有無を言わせぬ、その眼光。
帰ったら絶対に『
何故あの時の自分は、居眠りなんてしてしまったのだろう。
寧ろ、何故夜ふかしなんてしてしまったのだろう。
偶々見つけた小説が面白くて続刊まで読んでしまったのが原因だと分かっているのだが、嘆かずにはいられなかった。
逃げられるかもしれないなんて希望は、とうの昔に捨てている。
彼女は逃げ隠れの達人だからだ。
一度逃げ出した時は五分もせずに捕まり、説教を一時間延長されてしまった。
絶対に見つからないだろうと精霊術まで使って隠れていたというのに、背後から肩を掴まれたときの恐怖は今でも震えるほどだ。
「テオの裏切り者……!」
「報告しないとは言ってないし? 自業自得だよ」
背中を小突いても、テオドールはびくともしない。
同じように訓練しているというのに、何故ここまで差が出るのだろう。
レイフォードは自分の貧弱な体躯を恨んだ。
「お戯れはそこまでです。さて、帰りましょうか」
戯れる二人を制して、セレナは帰宅を促す。
特に逆らうことなく従って歩き出そうとしたところで、ふと違和感に気付く。
「……あそこ、誰か居る?」
レイフォードが示したのは、外壁のとある一部。
肉眼で見れば、何の変哲もない石煉瓦だ。
けれど、レイフォードの“眼”は違う。
特別性の視界は、そこに異常性を見出していた。
恐らく子ども、それも同年代────十歳前後の源素量を持つ者が三人。
渦巻く源素、側にいる下位精霊。
発動している術式は、隠蔽系だろう。
「はい、居りますね。
術式構築は上等ですが……気配の消し方が甘いようで。
彼らは、どのような様子ですか?」
「年齢は多分、十歳前後。
三人居るけど、精霊術を行使しているのは一人だけみたい。
何をしようとしてるかは分からないけど……碌でもないことを考えているのは確かかな」
じっと目を凝らして見ても、彼らの動きは変わらない。
機を待っているかのようにその場に留まっている。
「どうする?」
「……ちょっと話を訊いてみたい。
どの道、放置は出来ないし」
「了解。捕まえるね」
テオドールは紙袋をセレナに預けると、ふらりと歩き出した。
何でもないように、自然に。
どこにでも居る、ただの人のように。
徐々に縮まる、彼らとの距離。
けれど、三人の子どもは依然逃げ出す気配はない。
気付けないのだ。
どれだけ迫っていようとも、その気配を悟らせない。
それこそが、セレナ直伝の隠形術。
神秘の欠片一つもない、純粋な技術。
騎士でも見抜けない、恐るべき業だった。
ある程度近付いたところで、テオドールはとある精霊術を発動させる。
この場にある神秘を可視化するものだ。
彼の銀の瞳に、
人々に宿る、球体の源素。
建物に刻まれた、幾何学模様。
ああ、君はいつもこんな景色を見ているんだよなあ。
一瞥しただけでも頭痛がする情報量を捌きながら、テオドールはとある一つの術式を指差した。
「────消えろ」
それは、己に宿る神秘。
《削除》の祝福。
書き換えられたことを消し去るというもの。
ふっ、と身体から力が抜ける感覚。
同時に確かにそこにあった術式は、瞬くに消失した。
まるで布を捲るように現れたのは、やはり子ども三人。
小柄な少女と大柄の少年、細身の少年だ。
「えっと、あれ? いったい何が起こって────」
「それはこっちの台詞だ。何やってんだよお前ら」
肩にぽんと置かれた手。
同時に聞こえた甲高い悲鳴。
レイフォードは、身に覚えがありすぎるその光景に震えた。
取り敢えずこっちに来い、と手招きするテオドール。
レイフォードとセレナは一度顔を見合わせて、彼の要請に従う。
「セレナさんは知らないだろうから紹介するよ。
左から、ウェンディ、オルガ、ルーカス。
悪ガキ三人衆って呼ばれてる」
「おいコラ、テオドール! 何だよその言い草はよォ!」
「嘘偽りない事実だろうが」
「ぐうの音も出ない……」
「負けんなルーカス! もっとバシッと構えろや!」
テオドールが紹介した名は、レイフォードも聞き覚えがあるものだった。
同じ学校で共に学ぶ、同級生。
レイフォード自身に彼らとの交流は無いけれど、テオドールは度々絡んでいた。
専ら、やらかした彼らの事後処理だが。
「お前ら、また街の外に行こうとしてたのか?
子どもだけじゃ駄目だって、再三言われてるだろ」
「別に良いだろ、ちょっと外に行くことくらい!
オレたちはもう大人だぜ?」
「だから、それが駄目なんだって。素直に大人を連れてこい」
「これだから頭の硬ェ優等生サマは! 融通のゆの字すらねェ!」
オルガは舌打ちをして、文句を言い続ける。
こちらとしては、子どもだけで外に行くという危険さもあって違反行為を見逃すことはできない。
けれど、彼らも引く様子は無い。
テオドールとオルガの口論は平行線だった。
その後ろで、ルーカスとウェンディが耳打ちをする。
「……どうします、見逃してくれそうにありませんよ?」
「でもここで諦めちゃったら、シャーリーが……。
一か八か走って逃げる?」
「オルガくんを置いてですか?」
「……流石にそれは出来ないよお」
と、言っております。
さり気なく盗聴用の術式を発動させていたセレナが、情報を共有した。
何となくだが事情を察した二人。
面倒臭いという表情をしたテオドールが、助けを求めるようにレイフォードたちを見ているのも相まって、レイフォードは彼らに提案をすることにした。
「もしかして、何か困りごとでもあるの?
良ければ事情を訊かせてくれないかな
例えば……助けたい人がいる、とか」
離れたところに居る二人に、ちらりと視線を送る。
核心を突いたレイフォードの質問に、目を見開いて顔を合わせた彼らは、不安そうにオルガを眺めた。
「……それは……いや、テメェらには関係ねェよ!
オレたちだけで解決できる!」
「それが出来ないから、ここでうだうだしてるんだろ?
大体、隠蔽術式を掛けても門番は見破れるんだから、意味は無い。
あの人たちは、その道の専門家なんだから」
テオドールの言葉に唇を噛み締めて、オルガは口を閉ざす。
実際、分の悪い賭けだったのだ。
商人が街を出るときに合わせて荷馬車に乗り込み、門から出たところで森へ向かう。
門番が荷馬車の中身をじっくり見ればそこで終わり。
けれど、それ以外の方法も思い付かなかった。
今回の件は急を要する。
依頼なんて悠長なことをしている暇はない。
それに、子どもの言うことを信じてくれる大人も居ないのだ。
またオルガが反論しようと口を開いたとき、背後から二方向に服が引かれた。
「……ルーカス、ウェンディ」
「ねえ、オルガ。信じてみない?」
「はァ?! テメェら、何を言ってるか分かって────」
「分かってますけど!
でも、ボクらがこれ以上できないことも事実です!」
オルガは疑うように三人を見る。
いけ好かない優等生のテオドール。
彼の知り合いらしい無表情の女性。
そして、『よく分からない』レイフォード。
信用出来るか、出来ないかと言われれば、出来ない方が優勢だ。
不可能だと匙を投げられてしまうかもしれない。
しかし、心のどこかで『もしかしたら』と思ってしまう自分が居る。
彼らならば、自分たちを信じて助けてくれるかもしれないと。
「……分かった、話す。
だけど、約束してくれ。オレたちの話を笑わないって」
「勿論、約束するよ」
レイフォードが差し出した右手。
オルガは、ふんと鼻を鳴らして握り返した。
「猫……?」
「ああ、名前はシャーリー。
オレたちの友達であり、家族だ」
広場の休憩箇所に腰を落ち着けたレイフォードたち。
セレナは荷物を置きに一度屋敷に戻ってしまったため、今は子どもたち五人だけだ。
だが、彼女の脚ならば直ぐに帰ってこれる。
精霊術も使えば、十分ほどだろう。
セレナが帰ってくるまでの間、五人は昼食も兼ねた事情聴取を執り行っていた。
「そのシャーリーが、最近調子が悪くてな。
苦しそうに唸ったり、身体を引き摺ったり……上げれば切りがない」
オルガが言うには、初めは何かの病気だと思って大人に見せに行ったそうだ。
けれど、彼らは言葉を濁して分からないというだけ。
孤児院に住んでいる彼らには、医者に見せに行く金もなく、薬だって買えない。
そうして彼らが頼ったのは、裏通りにある雑貨屋の店主だった。
「おっさんは『精霊領域に生えてる花を材料にした薬を使えば、治るかもしれない』って言ってた」
「……その花の名前は?」
レイフォードの疑問に、オルガは腕を組んでふんぞり返る。
「知らん!」
「は?」
絶対零度のテオドールの視線が、オルガを貫いた。
「知らんもんは知らねェんだよ。
おっさん教えてくれなかったし」
「……じゃあどうやって見つけるつもりだったんだ?」
「そりゃあ、こう……雰囲気で」
レイフォードとテオドールは、肩を落とした。
いや本当に、流石にこれは。
「馬鹿かお前ら」
「あァ?! やんのかテメェ!」
「はいはい落ち着いて。気持ちは分かるけれども」
また争い始めた二人の口に、人形焼を放り込む。
「お、旨いなこれ。
「粒餡……」
「おすすめは
同時に頷いた彼らに、またもや人形焼を放り込んだ。
その辺りの屋台で買ったそれは、動物や花を象っているため、人形と言っていいかは分からない。
そして、とても今更な話ではあるのだが。
この国、何故か餡や
地球で暮らしていたあの青年の記憶にあったものと、ほぼ相違ない。
改めて考えてみれば、おかしな話だ。
小豆も
同一の種というより、ただ似てるだけではあるのだろうが、些か不可解だ。
まるで、元々別の大陸を一つに集めたような────ずき、と頭痛がした。
「レイくん、どうかした?」
「……ん、大丈夫」
急に黙り込んだレイフォードの顔を、テオドールが覗き込む。
何とも言えない不穏さを感じ取ったテオドールは、彼の動向を更に注意して観察しようと、顔に出さないように心に書き付けた。
今日のレイフォードは、昔のように憂鬱そうな表情をすることが多い。
最近はずっと、鳴りを潜めていたというのに。
まさか、知らないうちに発作を起こしていたのだろうか。
思考を続けるテオドールを他所に、三人は賑やかに過ごしていた。
「ねえオルガ。これも美味しいよ、はい」
「オルガくん、こっちもどうぞ」
「おう、ありがとよ……じゃねェ! テメェらも大人しくしとけ!」
ウェンディとルーカスがちょこまかと歩き回っていることを見兼ねたオルガが叱りつける。
口を突き出して文句を言うが、彼の手刀を頭に喰らえば静かに机に付いた。
「……続きだ。
当然だが、オレらも危険だとは思ってたんだ。
だが、こんな子どもの話をマジメに聞いてくれる奴はいねェ。
どいつもこいつも、『はいはいそうですか』って聞き流しやがる」
「それで、自分たちで採りにいこうとしたと」
「……ああ」
オルガ、ルーカス、ウェンディ。
彼らが『悪ガキ三人衆』と侮蔑と敬意を込めて言われるのは、ただ突拍子もないことをするだけでなく、それなりに優秀な力を明後日の方向に活用するからだ。
オルガは身体能力、ルーカスは思考力、ウェンディは精霊術。
特にオルガは
それの収拾をするのが、教師陣とテオドール他数名。
オルガがテオドールのことを『優等生サマ』もしくは『クソ真面目』と揶揄するのは、このことからだ。
どれだけ精霊術を使ってもテオドールは術式を削除でき、身体能力や思考力だって劣らない。
つまり、オルガはテオドールを敵視しているのだ。
まあ、テオドールは特にそう思っていないらしいが。
しかし、優秀な彼らでも、まだ『子ども』だ。
彼らだけで街の外に出るのは許されない。
しかも、彼らは前科がある。
情状酌量というのも難しいだろう。
「本当、見つけたのが俺達で良かったな。
衛兵あたりに見つかってたら、お前らどうなってたかわからないぞ?」
「分ァってるわ、んなこと……。
それでも、オレらはシャーリーを助けたかったんだ」
机に肘を付いて、そっぽを向くオルガ。
『ゲインロス効果』、『ストックホルム症候群』なんて言葉が脳裏に浮かぶが、余計過ぎるので放り投げる。
今は彼らを助けることだけを考えるべきなのだ。
「……いくつか質問しても良いかな?」
「どうぞ。
つっても、オレらに答えられることもあんまりねェよ?」
「そこは大丈夫。簡単なことしか聞かないから」
不思議だという顔をするオルガに、レイフォードは三つの質問をした。
一つ、シャーリーとはいつ出会ったのか。
二つ、シャーリーは現在何歳ほどか。
三つ、シャーリーは大きな怪我をしたことがあるか。
返答は以下の通り。
出会ったのは、五歳の頃。
孤児院の裏で、烏に突かれて怪我をしているところを助けた。
年齢は不明だが、少なくとも十歳以上なのは確実。
孤児院の前院長がよく餌を上げていたという。
今の院長は動物嫌いであるから、近付かないそうだ。
大きな怪我も、出会ったとき以上のものはない。
「……なるほど、ありがとう」
「つうか、何でそんなこと聞くんだよ?」
野良猫、十歳以上、それといった大きな怪我は無し。
導き出される答えは、一つだった。
「────多分、分かったよ。
シャーリーの体調が悪い理由と……解決方法も」
「本当か?!」
オルガは机に身を乗り出す。
他二人もそこまでとはいかないが、随分と驚いた様子だった。
「……うん。
確信するためには、実際にシャーリーを診る必要があるけれど。
僕の予想通りなら、特に薬は必要ないはずだ」
あった方が良いのは、確かだが。
そんな思いを口にしないまま、興奮する彼らを宥める。
「……そうか、そうか」
「良かったですね、二人とも!」
「うん、これでシャーリーも元気になるね!」
和気藹々と喜び合っている三人。
その笑顔がいずれ壊れてしまうことを知っているレイフォードは、心の中で謝罪した。
答えを告げるのは、もう少し後で良い。
もしかしたら、レイフォードの予想は外れているかもしれない。
本当に、ただ体調が悪いだけかもしれない。
しかし、それも希望的観測に過ぎないことも、また分かっていた。
「……レイくん」
呟いた声は、彼の耳に聞こえているだろうか。
哀しそうに目を伏せるレイフォード。
また、君はそんな顔をする。
テオドールは、机の下でぎゅっと手を握った。
だが、ここで弱気になっていてはいけない。
そう思い直して、前を向く。
「セレナさんが帰ってきたら、早速向かおうか。
オルガ、シャーリーが居場所は分かってるのか?」
「おう。オレたちの秘密基地にいるはずだ」
そうかと通り過ぎてしまいそうになるも、聞き捨てならない単語があることに気付く。
あまりにも自然に言うものだから、気付かないところだった。
「……秘密基地? お前ら、またそんなもん作って……」
「別にいいだろうがよ。男の浪漫だ」
「分かる」
「レイくん……」
数刻前とは違う意味で手を握り合う二人を前に、テオドールは項垂れた。
「ただ今戻りました。
……テオはどうしたのです?」
「……気にしないでください。呆れ返っていただけなので」
「お帰りセレナ。件の詳細なんだけど────」
音も無く背後から忍び寄って来たセレナに、ひっくり返る三人衆を他所にレイフォードとテオドールは普段通りに接する。
「……あのねーちゃん、何もんだよ」
「アーデルヴァイト家の使用人。
細かいことは気にしない方が良い」
「絶対それだけじゃねェだろうが……忠告通りにするわ。怖過ぎる」
オルガの背で震えるルーカスとウェンディ。
その瞳には、明らかに恐怖の色が滲んでいた。
「なるほど、承知いたしました。
……ところで、私なんだか怖がられています?」
「寧ろ怖がられない要素が────セレナが綺麗だから驚いているだけなんじゃないかな」
「ふむ、よろしい。
そういうことするから怖がられるんじゃないかな。
という言葉を胸にしまい、レイフォードは椅子から立ち上がった。
「オルガくん。道案内は任せていい?」
「……おう。付いてこい」
未だ口角がひくついているオルガたち。
三人は、その後に続いて行く。
向かう先は、とある路地裏。
そこに作られているという、彼らの秘密基地。
日が傾き始めた午後。
太陽には雲が掛かっていた。
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