18.蘇る

「こういう、動画にしたらすごい取れ高だなあって思う場所は、たまーにあるんです」

 車で待機していた凜華も加えて、三人で廃病院の門をくぐる。

「でもガチすぎると、見ている視聴者さんのほうにも、影響が出てしまうこ可能性がありますからね。悔しいですが、今日はカメラオフです」

 こんな麗しい巫女装束姿の凜華さんを、全国のフォロワーに見せることができないなんて。もったいなく思いながら、明文はその姿を目に焼きつけておく。

 だが病院の中に、一歩入った時点で明文は強烈な違和感をおぼえた。反射的に鹿助を呼び止めていた。

「待って、あの、鹿助さん」

「おお、なんだ」

 一歩先を歩く鹿助が振り返る。またアーノルド・シュワルツェネッガー演じる不死身ロボットのごときサングラスをかけていて、見るからに戦闘態勢だ。

「僕らが前に病院に来たときと、なんか違います。きれいになってると思いません?」

「ああ」

 サングラスのままぐるりと周囲を見渡す鹿助。

「言われてみれば」

 とやや能天気な反応ではあるが、異常性に気づいたらしい。

「そういえば僕が初めて青木俊平に会ったときもそうでした。あれは一年前で、まだ病院がつぶれた直後だったからかもしれませんけど。ということは、これが本来の廃病院の姿なんでしょうか?」

「たしかに、前来たときのほうがおかしいかもな。一年であんなにボロボロになるかってぐらい、壁も天井も剥がれ落ちて埃まみれで、完璧に廃れた廃墟だったもんなぁ。廃業して、何十年も経ってそうな」

 ここへ来ると、なにが現実なのか、わからなくなる。

 いままで立ち入ってきた廃病院もすべて、夢か現か定かではない。

 そんな明文が抱く読み取ったように、

「安全面を考えると朽ち果てているよりかはこのほうが良いと思いますが、慎重に進みましょう」

 と凜華が諭す。

 一階の待合いロビーにはベンチシートが整然と並べられており、床にはゴミひとつない。受付の窓の上にかかった時計は動いておらず、静かに十時十七分ぐらいを指して止まっている。

「きれいですが、なにもありませんね。死神の気配らしきものも感じない。なんだか、妙なかんじです。とても空気が澄んでいる」

 凜華がぐるぐるとロビーを巡りながら、つぶやいている。その手元をよく見れば、儀式用なのか出入り口にしめ縄を設置し、榊の枝や神酒などを、建物の四隅に配置して回っていた。

「少し、霊視をしてみようか」

 鹿助が助け舟を出してみる。そうですね。と凜華もうなずいた。

 どかっと中央のベンチの真ん中に陣取ると、鹿助はスケッチブックを開き、傍らに色鉛筆のケースを開いて置いた。

 明文はこっそり、一列後ろからその様子を見守ることにする。

 鹿助の筆の運びはゆっくりとしていた。空間を仕切るような線。しだいにその絵のなかに、ある場所が読み取れるようになってくる。診察室の、廊下の先。扉の先にいるのは、患者ではなくここで働いている職員だ。

「事務室か」

 判明した瞬間、明文は思わず立ち上がっていた。

「俊平さんが目指していたのは事務室でした。もしかしたら、いまもそこにいる?」

 しゃべりながら、足がそっちへと勝手に動いていた。

「あ、あれ、ぶんたろーは?」

 神酒を器に注いでいた凜華が、はっと顔を上げる。

 明文が忽然と姿を消していた。

 

「鹿助さん?」

 診察室の前を通り過ぎてから、鹿助と凜華を置いてきてしまったことに気づいた。

「すみません、つい先走りすぎてしまいまし……」

 一度ロビーに戻る。が、待合いベンチにふたりの姿はなかった。凜華が用意していた儀式用具も見当たらない。

「え?」

 しまった、早まった。と思ったときにはもう遅かった。

 せわしない足音に振り返る。見知らぬ女性の看護師がひとり、診察室と事務室のある廊下からロビーへと出てきたところだった。

 背後からぶつかられそうになった明文は反射的に右に避けたが、怖気がつま先からせり上がり、背筋を走り抜けていく。それだけでとんでもないことに巻き込まれてしまったことが、わかった。

 遅れて人間の声や足音が耳に届き、ボリュームが徐々に上がってくる。

 鹿助と凜華の代わりに、診察を待つ数人の患者がベンチに座っていた。

「佐藤さん、診察室一番へお入りくださーい」

 若々しい女性の声がする。

 灰色で埃をかぶった設備は色づき、そこに出入りする人々は活動を再開していた。

 廃病院だったものは、息を吹き返していた。

 落ち着け。

 そんなはずはない。

 胸を突き破り出そうな勢いで早くなる鼓動を、片手で抑える。

 ひとまずは、いったん外に出よう。鹿助と凜華と合流しなければ。

 病院の出口まで戻るのは簡単だった。ほっとしつつ自動扉の前に立つ。入ってこようとしていたおじいさんと衝突しかける。また咄嗟に避けると、開いた扉の先に、また同じ病院のロビーが広がっている。無限回廊だった。

「落ち着け。これは幻覚だ。死神が見せている幻だ」

 あえてそう声に出して自分に言い聞かせる。死神は、心の弱いところにつけ込んでくるのだ。それもものすごく自然に、狡猾に、教室の天井にしみ出す雨水のように。

「なくなれ、全部なくなれ……!」

 頭を抱えて目をつぶり、心の中で強く念じてみる。凜華なら、自力で追い払うことができるだろうに。鹿助も、きっとこの状況下で正しく行動できるはずだ。

「お父さん!」

 少年の呼ぶ声がして、明文ははっと顔を上げた。

 小学一年生ぐらいの、利発そうな幼い男の子が待合いロビーのベンチから弾かれたように立ち上がった。お父さんと呼ばれたのは、女性看護師と話しながら歩いている白衣の男性。振り返るとその顔は、青木医院長だった。男の子が駆け寄っていく。明文は硬直したまま、ふたりの会話を見守っていた。

「またおまえか。まったく。病院は遊び場ではないと言っているだろう。家で勉強してなさい」

 医院長はめんどうくさそうにため息をついた。

「でも」

「おまえみたいに元気すぎる子どもが走り回ってちゃ、患者さんに迷惑がかかるだろう」

「はあい」

「わかったらもう帰れ」

「お父さん、今日勉強みてくれる?」

 男の子は、甘えたような声を出す。青木医院長は、ぐるりと周囲を見渡す。親子を優しく見守る看護師や患者の眼差しを確認してから、こっそりと耳打ちした。

「ああ、帰ったらな」

 突然目の前の光景がワープしたかのようにガラリと入れ替わる。

 そこは見覚えのある場所だった。さっき見てきたばかりの、青木俊平の使っていた部屋だ。

「こんな簡単な計算もできないのか!」

 べそをかきながら机に向かうのは、先ほどと同じ服を着た小学生の俊平だ。

「でも、でも……学校でならったところはちゃんとできてるんだよ?」

 父親は醜く顔をゆがめて、鼻で笑った。

「学校の勉強? は、くだらん。価値のない授業だ。あんなとこはな、無能、愚鈍のたまり場だよ。平等、個性、自主性、生きる力……そんなくだらない抽象的なモノを重んじて、優秀な人材を育成するのに必要な学問は、外で身に着けてこいと丸投げ放棄。できないやつに合わせて、授業が進むのはカタツムリ並みの速度。それともなんだ、おまえは。え? カタツムリなのか? おまえの脳みそは」

 思わず割りこんで入ってやろうかと思うほど、明文の頭ににわかに血が上っていた。こんな小さな子になんてこと言うんだ。人格否定と同じようなものだぞそれは。

「ごめんなさい」

 涙でぐしゃぐしゃな顔を腕にうずめて、俊平はつぶやく。

「ごめんで済まされないんだよ! 医者はな! ミスが許されないんだよ! 俺がどんだけ完璧に仕事してるか、おまえはなんにも見てないんだなあ! 邪魔ばっかりしに来やがるくせになあ! おつむが足りないならせめておとなしく部屋の隅で存在を消してろ! 貴様は人間じゃない。カタツムリでももはやない。部屋の隅に溜まった埃だ。塵だ!」

 おまえの仕事事情をこの子に吹き込むこと自体が無意味じゃないか。聞いているだけで頭の痛くなる発言の数々だ。教育なんかではない。あきらか傷に中傷。父親が吐き出してすっきりしたいがためだけの罵倒の時間。思わず耳をふさぎたくなる。

「ごめんなさい」

 涙を袖で拭いて鼻をすすりながら俊平は必要のない謝罪を述べる。

「僕は……人間になりたいです」

 次の瞬間、机に向かうのは少し成長した俊平に切り替わっていた。制服の学ランを着て、だいぶ肉づきがよくなっている。しかし机から吹き飛ぶように転がり落ちるとクローゼットに頭をぶつけ、頭を抱えてうずくまっている。キャスターつきのチェアを放り投げた父親は、文字通り頭ごなしに息子を怒鳴りつける。

「貴様はこの家の恥さらしだ! どんな思いで俺が家業を継いだかわかってんのか! 貴様には責任が足りん! この家に生まれた意味をもっと真剣に考えろ! 考えられないのなら出ていけ!」

 ほんの数分、目にしただけで胃がきりきりと痛み、逃げ出したくなる現場だった。こんなものに毎日耐えていたのか、俊平は。地獄だと思った。だが感傷に浸っている場合ではない。これは現実ではない。この部屋から出なければ。明文は回れ右をすると、ドアを蹴り破る勢いで廊下に出た。そこはまた病院で、しかも自分が足しげく通っていた頃に似て、待合いベンチは埋まっている。大半はご年配の患者だ。そんな行き交う人々の中に——彼女はいた。

「明文!」

 明るく晴れやかに響く、紫珠の声。

 十四年前の記憶と寸分も違わない、もう二度と聞けないと思っていた、聞きたかったその声が、自分を呼ぶ。

 顔を上げると、花咲くような笑顔で紫珠が、手を振っていた。

「こっちだよ、来て!」

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