二章

#8 レッドカード

『心因性だってさ』

 眠留みんとにそれだけ送って、スマホをポケットに仕舞った。

 大病院の中でこうして薬を受け取ったのなんて、いつぶりだろう。

 外に出たのだってちょうど一週間ぶり、カラオケコラボ以来だ。

 喉の違和感は日ごとに増し、右耳からは機械音のエラー音としか思えない音が聞こえるようになっていた。

 長時間ヘッドフォンをつけていられないし、何度も配信中に咳ばらいをするわけにもいかない。

 生歌を披露する日までは気を張っていたのが緩んだのか、石化事件が常に頭の端から離れなくなったからか。

 神波かんぱネラであろうとするたびに俺の自己は溶け、歌うたびにゴリゴリと精神のような何かが削られている。

 つまり、心当たりが多すぎて原因がさっぱり分からない。

 

『しばらく収録物も無いし、休みな』

『そうするわ』

 戦力外通告、もしくはレッドカード。

 俺が眠留みんとの立場だって、きっと同じことをする。

 ビタミン剤を処方されたところで、果たして鉱石の体でこれを飲んでどの程度効くのかは未知数だ。

 彼方者あっちものの治療なんて、万事がそう。

 彼方者あっちものの摂理は神の摂理、ほとんど解明されていない領域だから。

 大体、飲み物の缶がぶつかった衝撃で破片が落ちるような体なのに、その表層を指でつつくと柔らかい原理がさっぱり分からない。

 石化事件だって、怪異による外傷は治療方法が散々研究されているから、辛うじて傷害事件の範疇に留まっているだけだ。

 大抵の、怪異による外傷に対する一般的な治療は、絆創膏でも、包帯でも、外科手術でもなく、怪異だ。

 毒を以て毒を制す。

 つまり、八百万の神によって被害者の時を戻すことでの解決という荒業。

 何かしらの攻撃を受けなかったことにする、それだけだ。

 この治療法の問題点は本人の記憶も無くなるところで、つまり石化から戻れた被害者から目撃情報の類は一切期待出来ないってこと。

 ついでに、対応しているのは外傷だけ。

 例えば今回の俺みたいに、不調の原因が本人自身である場合、記憶を失ってまで時を戻してもただの時間稼ぎにしかならない。

 同じくらいの時間経過を経て、また同じ症状をぶり返すだけだろうから。


 広いロビーは大勢の人間が行き来していて、足音と話し声と匂いがそれらのひとつひとつが生物であることを否応なしに認識させてくる。

 自動演奏のピアノだけが救いだった。

 知り合いになるとまだそうでもないのに、ぶよぶよとした肉の塊が周りに居ると思うとげんなりしてしまう。

 狼男の芸能人が猫又と結婚したニュースを最近見かけたから、身体的な特徴のある彼方者あっちものだと人間の外観よりも己の本来の姿に似た容姿を好むのはままあることなのかもしれない。

 その理屈で言うと、俺の恋愛対象は鉱石なんだろうか。

 アクセサリーの類は邪魔だと感じるくらいだから、それは違うか。

 もしくは、絵か。

 俺がほぼ常に対面している相手の顔と言えば、イラストだ。

 置かれている環境が特殊すぎて、交流のある演者全員がそれぞれガワを持っているし、ガワを相手の容姿として最初に認識している。

 例えば馬酔木濫あせびらんだったら、馬酔木の花の印象の通りのガワであるピンクと白を基調とした男子高校生の姿を真っ先に思い浮かべることになる、みたいな。

 生身の姿を見る頻度が少ないし、生身の姿はガワと違ってイメカラも無ければ明確なモチーフも無い。

 その状態で他の人たちはどうやって個人を見分けているんだか。

 そういえば、ガワのないスタッフのことは未だに特定個人として認識出来ていないのには、交流の少なさとは別の問題が絡んでいるのかもしれない。

 

 どこかから、視線を向けられているような気がした。

 服の袖は破れていないし、顔が溶けて落ちたりなんかもしていない。

 自分の何かがおかしいのかと不安になる中、視線をこちらに向けている人影が近づいてくる。

 どこかで見覚えのあるような、どこにでも居そうな、でも病院には少し不釣り合いなくらい洒落た青年だった。

 二十代前後の男性なんて広すぎる括りで、交流のある相手という狭すぎる心当たりを漁っても、ほぼ全員がそのまま検索結果に残ってしまう。

 神波かんぱネラとしての知り合いなんて、二十代前後の男性以外を捻りだす方が難しい。

 アイドルの真似事でも求められているのか、共演する演者も、マネージャーの性別でさえ、俺が把握しているのは同性だけだ。

 俺みたいな鉱石の塊を、声の通り男性だとカウントするのなら、の話だが。

 眠留みんとが男性だから、自分も男性だろう、くらいの認識に過ぎないのかもしれない。

「あれ、白華はっかじゃん」

「濫」

 肉の塊から聞き覚えのある声がして、それは急に俺の中で個を象った。

 約束している相手と、約束している場所で会うからこそ、その情報も込みで誰が誰なのかを理解していたのかもしれない。

 もしくは、あまりにも判別方法が声に依存している。

「合ってるけど、どうやって俺と兄貴を見分けてんの? 話す前に」

「えー? どうって、全然違うじゃん! まず顔つきが違うし、身振り手振りも、匂いも違う。髪を耳にかけてたら分かりやすいのは耳の形だけどね」

「え、そんな違う?」

「うん。眠留みんとはなんか、黙ってるとちょっと圧があるから、夜中にコンビニで扉の前に居たら一瞬こわってなる感じだけど」

「悪口じゃない?」

白華はっかは迷子センターで積み木してる子みたい」

「眠留、そんな怖い?」

「うん。本人の性格を知らなければね。眠留と目合ったことある?」

「無い」

「僕もない。でもこっちを見ようとはしてくれてるから、ガンつけられてるように見えるんだよね。白華はまっすぐこっち見つめてるけど」

「おい、それ俺の実年齢で変なフィルターかけてるだろ」

「若干ね? でも迷子っぽいなあとは思うよ。なんか見てて心配になる」

「それ本人に言う?」

「そう見えてるから人を頼りなよってこと。眠留みんとからこの前ちらっと聞いたけど、プライベートの交友関係そんなに広くないらしいじゃん」

「広くないっつーか、無いな。俺個人のスマホの連絡先知ってんの、兄貴とお前だけだし」

「マジ? それはなんか、責任感湧いちゃったな。抱え込んで倒れる前に言いに来な~?」

 そのひとりに向かって無いと言うのは失言だったかもしれない。

 幸いにも濫が気を害したような様子はなく、拳で彼自身の胸を叩いている。

 腕に着けられている紙製のリストバンドが、かさりと揺れた。

「そういえば、カラオケの日から配信してないよなお前。そっちこそ、倒れてたとかじゃねえよな」

「いや、忙しかっただけだよ。これは、定期健診……みたいなやつ」

 目を逸らし、上擦った声で、語尾は早口。

 あまりにも誤魔化し方が下手くそ過ぎて、深く突っ込む気にはならなかった。

 俺と同じく帰るところだったらしい濫は、何の案内表示も見ることなく、すいすいと足を進めている。

 定期健診と口走っていたし、それなりの頻度でここに来ているのかもしれない。

「びっくりした。今日の収録、眠留みんとの担当だったんだね。歌だから白華はっかかと思ってた」

「はァ? 俺それ聞いてないけど」

 驚きで上擦った声は、いつもよりざらついている。

 小声で話す分には何の支障も無いが、とても収録は出来そうにない、そんな声だ。

眠留みんとがやることにしたから言わなかったのかな」

「かもな。……は? じゃあ締め出されたんだけど」

 収録については何も聞いていないし、だから家の鍵を持ってきていない。

 二人揃って出掛ける日なんてほとんど無いから、お互い外出する時に鍵を持って出る方が稀だ。

「僕、この後暇だよ」

「どっかで適当に時間潰すか」

 アリバイが成立しそうなどこか、例えばカフェとか。

 人混みは嫌いだけれど、人の目がある場所に居たかった。

 一週間前に幽禍かすかから教えてもらった石化事件は、未だに解決していない。

 だから、俺が容疑者……とまではいかなくても、聞き込みの対象になるような彼方者あっちものであることに変わりはない。


「ウチで待ってたら? 同じマンションだし」

「え? カラオケの日、お前途中で別方向行かなかったっけ?」

 打ち上げをした店から駅で同じ電車に乗ったのは、眠留みんと幽禍かすか、俺の三人だった。

「あー! あの日は職場に寄って帰ったからね」

「本業? 何やってんの」

「それは~……個人情報だからちょっと」

「あっそ」

 濫に配信者以外の仕事があること自体は、何の違和感も無かった。

 だって、コイツの配信頻度は結構低い。

 少なくともこの前のカラオケコラボのメンツの中だと圧倒的に少ないし、一週間くらい音沙汰がないことだって珍しく無かった。

 専業の配信者が二週間近く配信しないなら、人によっては長期休暇を宣言するだろう。

「副業許可は貰ってるんだけど、結構おカタい職場だからね」

「お前が?」

「なんだよその言い方ぁ」

「その見た目が許されるお堅い仕事が一切思い浮かばねえよ。その派手な色の髪は何、ウィッグ?」

「え? 美容院で染めてるよ」

「え? じゃなくて。そうだよな、染めてるよな。え、俺がおかしいのこれ……あ」


 曲がり角の先から、石化した人間を乗せた担架がこちらに向かっている。

 石化事件の被害者を直接見たのは、もちろん初めてのことだった。

 いや、正しくはまだ目視していない。

 曲がり角の向こう側にそれが存在すると、俺は知覚していた。

 五度くらい下がった体感温度が、ここから離れろと俺を急かしている。

 甲高い耳鳴りが、ブザーのように鳴りやまない。

 担架の後ろを歩いていた警察官が、俺たちの方を見て目線だけで頭を下げた。

 俺たち……いや、濫に向かって、か。

 警察官の知り合いなのか、まさかコイツも警察なのか。

 警察が副業で配信なんかしてるわけないか。

 彼らの視線が濫に向かっていると理解出来たのに、その場から逃げ出したくて仕方がなかった。

 担架で運ばれている誰かと、俺自身が何かで共鳴している。

 濫の姿がやけに遠かった。


 きっと、誰かの記憶を覗いている。

 ワンルームに住んでいる、二十代くらいの男性だ。

 二十二時、コンビニで弁当を買ってから帰宅。

 冷蔵庫の中からラベルの無いペットボトルの水を出してひとくち。

「うわ、変な味。高かったのに」

 ペットボトルの底に遊色の破片が沈んでいるのは、きっと俺の気のせいではない。

 弁当のすぐ横にスマホを置いて、意味の分からない動画を見ながら冷たい米を口に運んでいる。

 米が半分になった頃、チャイムの音を聴いて立ち上がった。

「そうだ、今日グッズ届くじゃん」

 玄関の鍵を開け、扉を開こうとした時、唐突に映像が終わった。

 きっと、石化した誰かの、その直前に見た光景だった。

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