#10 演技をしていない演者
「はい、お待たせ」
白い皿の上に丸く盛り付けられた淡い黄色が、ほかほかと湯気を立てている。
卵とネギだけを使った、シンプルな炒飯だった。
同じフライパンから俺の目の前で皿に移して、俺にスプーンを取らせて、麦茶も俺の目の前で二つのコップに注いで、俺にコップを選ばせる。
「……あの、俺が毒を盛られないか警戒してるとでも思ってない? 普段、
「え!
俺の警戒については、肯定も否定もされていない。
俺に気遣っているのか、濫自身が気にするタイプなのか。
何年やってるか知らないけどコイツも芸能人だし、悲しいことに後者でもおかしくない。
ぬいぐるみにGPSとか、飲み物に体液とか、ロクでもないものの混入なんてよく見聞きする話だ。
ちょうど俺が病院とマンションを行き来していた頃、ひとりの女性が
物心がついたかついていないかくらいの時期だから若干記憶が曖昧だけれど、包丁を構えていた女性の姿は覚えている。
その包丁を、俺が手の鉱石で叩き落としたことも。
「うま。器用だなお前。冷食以外の炒飯初めて食ったわ」
冷静になって考えてみれば、石の塊を砕くよりも肉塊を壊す方がよほど容易い。
まして善意の同僚相手に、何を怯える必要があるのか。
「あー、ネラ……
「電子レンジのボタンを押したら料理でいい?」
俺にとってのチャーハンは、冷凍食品の袋に入ったものだった。
「よくなーい」
「じゃあ、マジで一回もしたことない」
正確には、一度だけやって、
うっかり牛乳の消費期限を切らした時に、加熱すればいいかと思ってプリンを作った。
俺と
当時は疑問に思わなかったけれど、俺が食べた部分の端はオパールみたいな色をしていたから、俺の腕から鉱石が剥がれ落ちて混入していたんだと思う。
それなら腕の鉱石もツルツルに出来るんじゃないかと思って、熱湯を右腕にぶっかけてみたことがあるけれど、全然溶けてくれなかった。
俺についている間と俺から離れた時で、なんか鉱石の性質が変わっているらしい。
「てか、どっちかっつーとお前が料理する物好きなのかと」
「僕が好きなのは料理じゃなくてお菓子作りだよ。お菓子作りっていうか、アルコールの匂いを嗅ぐのが好き、香水みたいで」
「逆に、色んな奴の匂いが混ざって気持ち悪くとかならねえの?」
なんなら、俺は強い臭いで体調を崩すことがある。
強い香水の匂いが混ざった時なんか、舌先がピリピリしたり、頭が痛くなったり、ロクなことが無い。
「僕は割と鈍いからなあ」
炒飯にタバスコをぶっかけながら言われると、妙な説得力がある。
白っぽい黄色だった炒飯が、オムライスみたいな色に変わっていた。
「何それ、罰ゲーム用?」
「あはは、まあそう変わんないかも。罰ゲームの時にリアクション出来なくて、逆に困ってるんだよね」
「んなわけ」
「この前の配信とか、ほら」
濫はスマホをテーブルの上に置いて、画面の向きをこちらに向けた。
罰ゲームで出されたらしい激辛ラーメンに、レモンぼうろが悶絶している。
どうやらレモンぼうろのすぐ横で、濫はするすると麺を啜っているらしかった。
『噓やんな⁉』
というレモンぼうろの叫び声と、
『美味しいよ?』
という濫のニコニコとした声が随分と対照的だ。
この声は、演技ではない。
俺は、物心ついた頃から、あらゆる演技が苦手だった。
それも、演じるのが苦手という訳ではなく、苦手なのは観覧する側。
舞台、アニメ、ドラマ、どんな形態でも、そこに台本がある限り違いはない。
ただでさえ、容姿と大きく乖離した実経験を埋めるためにそれらのフィクションから学ぶ必要があるのに、台本のある音声媒体のすべてを俺は受け付けなかった。
だから、俺の社会勉強はその大半がVTuberによって担われた。
演者が台本通りの演技をしていなくて、ぶよぶよとした肉塊……つまり生身の人間を視認せずに済む媒体。
それも、新人はダメで、デビューから数か月、一年以上続けている人の配信に限る。
つまり、ある程度演者が緊張していたり、よそ行きだったりするとそれも演技にカウントしてしまうんだろう。
演技をしていない演者とも呼べるこの矛盾に満ちた存在が、俺にとっての教師であり、同僚であり、自分の生きる世界そのものに近しい何かだった。
「ネラは吐いたことあるんだっけ? NG出してるよね、辛い物」
「
「あ、そうなの?」
「俺、契約には関わって無いから」
「まあでも、吐いちゃったんだったら辞めておいた方がいいよ、喉にも悪いし」
食べている間に再生していた配信が終わり、次の動画へ切り替わった。
つまり、俺が歌ったものだ。
自動再生で表示される時点で、最近聴いたか、それなりに聴いているかの二択。
「あ! これ、この歌、歌ってるの
「……そうだけど。
「ううん、聞いてれば分かるよ。
音だけだと何にかかっているのかも分からないジョークは、一旦無視することにする。
なんで俺の名前の漢字表記を知ってるんだ、こいつ。
「そうか? 聴いてて不安になるとか、コメントではよく見るけど」
「まあ確かに、暗い雰囲気の曲に向いた声だよね。音がビタッと合ってるのに、聴いてて胸騒ぎがする感じ」
自覚していたが、少なくとも王道の青春曲に向いた歌声ではない。
今にも壊れそうな危うさと、声質には不釣り合いな幼さが共存している。
「その胸騒ぎってさ、うっわ、うるさ」
言葉の途中で曲が終わる。
悲鳴にも似た歓声が耳を貫いて、思わず動画を止めた。
オンラインライブから、公式が新曲を一曲を切り抜いて公開しているものだ。
「ごめんごめん、
「あ?」
確かに、今の音声は不快だった。
ただ、女性ボーカリストの歌だって好んで聴くから、女性の声が苦手というくくりは少し違うような気もする。
同僚は男性ばかりで、入院中は俺が暴れた時に対応出来るようにと主に男性の看護師がついていて、つまり生まれてこの方、女性とまともに会話した記憶は無い。
まあ、仕事のやり取りをする時にいちいち性別なんて気にしていないから、俺が相手のことを女性だと認識していないだけの可能性はあるけれど。
「え、違うの?
「まあそもそも、配信業自体、兄貴がやってるから手伝ってるだけだし……」
例えばファンと直接会うイベント、握手会やサイン会なんかが存在したら、俺はそれらを全力で回避していただろう。
今は、どれだけ近づかれたとしても、一枚のモニターが俺を守っている。
歓声が嫌悪の対象で、ファンは恐怖の対象だった。
ついでに、そうとしか捉えられない自分自身に対しても疲弊していた。
活動へのストレスで耳と喉を壊し、耳と喉を壊して活動出来ないことに今ストレスを感じているらしい。
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