#3 ゴーストシンガー
「おはようございます」
会議室にありそうな横長の机の前に、パイプ椅子は三つ。
スタジオらしい機材の山と、安っぽい椅子がやけに対照的だった。
机の上に置かれたコンビニの袋には、おにぎりの他、ポテチやチョコレートがぱんぱんに詰め込まれている。
プライベートで友人とカラオケに行くことが一度も無いまま、こうやってスタジオに飲食物を持ち込んで行われるカラオケに来てしまった。
俺と同じスタジオを使う演者は二人。
演者もスタッフも似たような年に見える男ばかりで、誰が誰なのかを間違えないか不安になってくる。
打ち合わせをしたことがある演者については、正直目を閉じて声を聴いた方が誰なのか当てられそうだ。
ガワと違って髪色や肌の色が会うたびに少し違うことも珍しくないし、服だってガワみたいに同じものを着て来てはくれない。
もう普段の見た目と芸名を印刷した名札でもぶら下げてくれと思うのは、俺がモニター越し以外の交流に慣れていなさすぎるからなんだろうか。
同じ部屋の中で、大勢の生き物が蠢いていることへの恐怖。
スタジオという名のそこそこ狭い防音室に自分以外が居るだけで感じるこの居心地の悪さは、手のひらに小動物を乗せている緊張感なんかと恐らく似ていた。
二人の演者のうち、スタッフと話している関西弁が
日系だけど生まれ育ちは日本じゃなくて、アニメで日本語を学んだ後で関西に引っ越して来たから、彼自身の意思でエセ関西弁を公言しているらしい。
エセというか、ハイブリッドというか。
スタジオで一瞬すれ違ったことがあるから、直接会うのは一応二回目。
たった今差し入れの袋を持ってスタジオに入って来た奴が、消去法で演者のうち最後のひとり、永遠の高校生VTuberこと
「うわっ、あっちの部屋にネラが居たのに、こっちの部屋にも本当にネラが居る!」
『だからそう言ったじゃないですか』
スピーカーから聞こえてくる声は、別室に居るらしい
濫は、
配信中にしてはズケズケとした物言いだったような記憶があるが、どうやらそういう性格の奴らしい。
テロテロとした素材のシャツにネックレスなんかも着けていて、ファッションモデルみたいだ。
ブリーチを二回はしないとそうはならないだろうと言い切れる派手な髪色は、俺からの印象を怖そうな野郎で固定した。
「あれ、
「そうだよ、二人居るとか冗談だと思ってた。レモンと
配信で聞く彼らの声よりずっと音量やトーンが落ち着いている、オフの声だ。
配信と、口調や声色はそのままに、音量とテンションだけが絞られている。
いや、逆か。
配信上では、口調や声色を変えずに、テンションを少し上げているんだろう。
『オレはそもそも、幼馴染なので。レモンは打ち合わせの時に気づいたんでしたっけ』
「そそ、配信で一緒にやった人生ゲームのネタも拾わへんもんコイツ」
「拾えないって。その配信で話してたのは俺じゃないからね」
一応ある程度は配信を見るようにしているけれど、最初から最後まで見ている訳でも無いし。
「えーっ、じゃあ、びっくりしてるの僕だけ?」
『濫は気づけるタイミング無いだろ。レモンは打ち合わせで俺たちの両方と関わってるけど』
「俺、濫とはオンオフどっちでも初対面だから。どうも、主に昼担当です」
今日のコラボで歌う曲だって、
「そっか、はじめまして! ネラくんにはいつもお世話になってます」
「う、うん、俺もネラくんなんだよね」
どうやら、これは彼の素らしい。
「ははっ、でもそういえばそうやな。直接会った時にネラ言わんから忘れとったわ」
『俺たち、
「よく昼配信してる方が俺。
「よろしく、
「……うん」
別に握手をしたくらいで服の下の罅割れが見える訳でもないのに、勝手に怯えていた。
どういう仕組みなのかは自分でも分かっていないけれど、右腕の罅割れ以外、触れた時の柔らかさは人間の皮膚と何ら変わらない、はずだ。
例えば俺がうっかり、指先をナイフに変えない限りは。
その気になった時の自分がどこまで鉱石を変形させられるのかは分かっていないけれど、意識せずに買えているのは右手首から先だけだから、やはり右手で誰かに触れることが無いように気を付ける方が正解なのかもしれない。
濫は俺の顔を流し見て、差し出す手を切り替えた。
柔らかい肉と肉が触れたような感触に、心の底から安堵していた。
「
「そりゃね。麻雀してたのは
コラボが決まった経緯は、俺以外の全員が夜中にオンライン麻雀をしている時に、やる流れになったから。
配信以外で演者同士が遊ぶことを裏遊びだなんだと言うらしいけれど、例えば演者同士で会食をした費用は交際費として経費に出来る訳で。
こうやって、打ち合わせの前段階としての側面を果たすこれらを遊びと言われるのはなんだか釈然としない。
VTuberの演者なんて人付き合いで成り立っているようなものじゃないか、配信の大部分は素人に毛の生えたような人間同士が話しているだけだ。
綿密に練り上げられた脚本や、仰々しい音楽と共に実際よりも過剰に表現される喜怒哀楽よりも、その自然体を好ましく思う俺みたいなやつが顧客な訳で。
まあ、俺は他の演者との交流なんて、ほとんどやっていないんだけれど。
業務事項に対するレスポンスだけは早いから打ち合わせは出来るけれど、配信中以外で雑談のために通話を繋げた覚えがない程度には。
「
「はい」
スタッフから声を掛けられて、会話の流れを切った。
「あれ、
『そうですよ。口のトラッキングはせずに、接続したマイクへ入力された母音と連動して口の開閉を行います。表情や顔の向き等についてのトラッキングは、二人のどちらのものを反映させるか入力を切り替えられるんです』
敬語なのも相まってスタッフだと錯覚しそうになるけれど、立石に水の説明をしているのは
VTuberの黎明期からイラストレーターとして関わっているだけはある。
「なるほどね。なんかいいね、VTuberならではって感じで」
「そのまま、スタジオ間での音声チェックをします。歌、
『はい、こちら準備オッケーです』
「よろしくお願いします」
オフコラボでありながら、こうやって別室を使う以上、オンラインセッションと同じような形で両方の部屋に曲を流す必要があった。
見たこともないアプリばかりで、どんな仕組みでこれが成り立っているのかよく分からない。
歌を配信上で数曲歌う、それだけの行為に携わっている人の数のあまりの多さに眩暈がしそうだ。
そもそも、正直配信という行為自体への緊張感が未だに拭えない。
台本のほとんど無い中で、ぶっつけ本番、失言をしたら終わり。
高い食器の置かれた棚の間を歩いているような気分になってしまう。
食器を地面に叩きつけて割ったらどうなってしまうんだろう。
この場に居る演者は、俺以外の全員が毎日のように何時間もそれを続けているんだけれど。
同じ曲を同じキーで、一緒に歌い始めたけれど、デュエットには聴こえなかった。
手を取り合っているのではなく、むしろ正面から殴り合っている。
元の声自体は同一人物のようなものだから、お互いの声は溶ける方が自然だ。
でも、決して溶け合ってはいない。
それぞれが個だと、主張し合っていた。
一緒に歌っているのに、対立している。
舐めるなよ偽者、歌声の主が本当は誰であるのかを。
歌声で殴り返して、叩き潰してやる。
だって、俺が今ここに居る理由はこれしかないんだから!
曲が終わった直後、俺たちが息を吸う音以外は何も聴こえない瞬間があった。
「お前ら怖いて」
『まあ一曲だし?』
「
唾を飲み込む時、首の辺りに何か小さくて四角い塊が浮かんでいるような気がした。
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