鷹野星の部屋が異世界と繋がった訳[前編]

『失礼、レディ――』




   ∴ ∴ ∴




 帽子を被った紳士の声とともに目を覚ます。

 不思議な夢を見た。全体的に考えると、ほぼ毎日、同じ夢を見ている気がする。場面はバラバラだが、帽子の紳士が女性を呼び止めていて、女性が振り向くか振り向かないかのところでいつも夢が終わる。


(失礼、レディ……って言ってたけど、日本語だったよな。あのレディは誰なんだ……? そういえば、レディさんはなんでレディという名前なんだろう)


 あの紳士が呼び止めた女性がレディで、レディと呼ばれたからレディと名乗っている、なんて安直だ、と考えながら寝室を出る。

 時刻は九時。少々寝過ぎたような気がする。


「星さん、おはようございます」


 優しく微笑むレディが、なにやら電子レンジを掃除している。


「どうしたんですか?」

「茹で卵というものを作ろうと思いまして、卵を電子レンジにかけたら爆発してしまいました」

「茹で卵?」

「体に良いとインターネットに書いてありましたので」

「湯煎するって書いてませんでしたか?」

「湯煎とはなんですか? とにかく温めればいいのかと思ってしまいました」


 湯煎という調理法を人々は当たり前のように使っているため、詳細な説明がなかったのだろう。こればかりはレディを責めることはできない。そもそも責めるつもりはないのだが。


「爆発音で起こしてしまったのですね。すみません」

「ん、いえ、そういうわけではないですが……」


 目覚める前に聞いたのは男性の声。爆発音が男性の声に聞こえただなんてことはあるのだろうか、と星は首を捻る。


『司令官! おはようございます!』


 元気いっぱいな声にホーム画面を見遣ると、ポニーが明るく笑っている。


「おはよう、ポニー。元気そうだな」


『はい! たっぷり九時間も寝ましたので!』


「よく寝たな。他のみんなはどうしてる?」


『アリシアは工廠にいて、エーミィとモニカは訓練場にいます。リトはまだ寝てます』


「リトもよく寝るな。みんなにバレないよう夜遅くに訓練場にこもってるから朝が遅いとかあるのかな」


『まさしく仰る通りです! みんな、気付かないふりをしてるんです。リトもバレてることはわかってると思いますけどね』


「バレてないていで、ってことか。リトの魔法の数を見れば、努力しているのは歴然だしな」


『努力したらしただけ魔法が身につくのって、努力が目に見えるようで少し羨ましいです』


「ポニーたちも努力したらステータスが上がるだろ?」


『あっ、確かに!』


 あはは、とポニーは明るく笑う。

 ここ数日、彼女たちが攻略しているのは初級ダンジョンであるため、経験値での能力向上は望めない。それでもステータスに変動が見られるのは、彼女たちの自主訓練の賜物だ。


 レディが食事をテーブルに並べ始めると、ポニーは辞儀をして去って行く。

 今日は戦闘少女たちも休みである。異例続きであったのと、次のダンジョンは慎重に戦術を寝る必要があるためだ。


 本日のレディさんの手料理は、相変わらず粘り気の強い白米と、色が若干、薄くなったような気がする味噌汁と、ミディアムレアな玉子焼きだった。ところどころデロデロと崩れているのは、半熟と言えば聞こえはいいだろう。要は生焼けだ。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 レディはにこにこしながら星の食事を見守るが、味の感想を求めて来るようなことはない。もしかしたら味見の時点で味覚への刺激が強いことを自覚しているのかもしれない。


「レディさん、この部屋は不便じゃないですか?」

「とっても快適ですよ。テーブルの高さがちょうどいいです」

「あ、そうか。生活しているわけじゃないですもんね」

「ええ。でも、基地の執務室と違って日当たりがいいので気持ちが良いですね」


 日当たりのいい部屋を選んでよかった、と星はそんなことを思った。欲を言えば和室が欲しかったが、退去の際に畳代を請求されるのでお勧めしない、と不動産屋に言われたので怯んで諦めたのだ。


「レディさんは案内女神でしたね。具体的には何をするんですか?」

「チュートリアルや訓練、メニュー操作の案内などを担っています。前任の司令官がいなくなってからは、作戦遂行の補佐をしていました」

「なるほど……。司令官と同じ任務は担えないんですね」

「はい。本来、それは私の役目ではありませんので」


 レディは星に対しても「助言」という形で力を貸している。具体的な作戦を決めて戦闘少女に指示を出すのは星の役割だ。


 それから星は、夢のことを思い出して言う。


「女神だから関係ない話かもしれませんが、この世界だと『レディさん』という呼び方は少し妙な感じがありますね」

「変な名前でしょうか?」

「いえ、そういうわけじゃないんですが、この世界の言語が違う国では女性のことを『レディ』と呼ぶんです。女性に呼びかけるときに『レディ』って言ったりするんですよ。その方式で言うとレディさんは『レディ・レディ』になりますね」


 なんてくだらない話をしてしまったのか、と星が自分に苦笑していると、レディがぽんと手を合わせた。


「そういうことだったのですね!」

「え?」

「実は私、昔は人間だったのです」

「えっ?」

「その頃の記憶はほとんどないのですが、微かに残った記憶が、男性に『失礼、レディ』と呼びかけられたものでした」

「え!?」

「それで私は自分がレディという名前なのだと思い、レディと名乗るようになりました」

「マジすか……」


 おや、と星は首を傾げる。その言葉にはどこか覚えがあるような……。


「その男性が星さんの曾祖父様です」

「はっ!?」

「星さんのお部屋に繋がったのは、それが理由だったのかもしれませんね」

「ちょ、ちょっと待って……こんな、朝ご飯を食べながら、そんな重要な情報を……」


 ということは、と星は考える。夢の中に出て来た紳士は星の曾祖父で、星は曾祖父がレディを呼び止めた瞬間の映像を見ていた、ということだ。


「いつから気付いていたんですか?」

「私は睡眠を必要としていないため寝ることはありません。だというのに妙な話ですが、居眠りをしていたんです。そのとき、星さんの曾祖父様に『失礼、レディ』と呼びかけられたときの夢を見ました」


 ここまではいい、と星は頷いて応える。


「星さんがお年を召したらこのようなお顔立ちになるかもしれない、といったお顔です。もしかしたら、と思い、お休みのあいだに星さんの遺伝子を探らせていただきました」

「えっ!?」

「ご安心ください。害はありません」

「いや、それはそうでしょうけど……」


 女神に人間の常識は通用しないようだ、とひとつ息をつく。遺伝子を探られたことは別に構わない。「遺伝子を探る」という行為自体に人間としては引っ掛からなければならないだろう。


「星さんの中に、あのお方の記憶が眠っていました。私はあのお方に『失礼、レディ』と呼び止められたことを記憶し、レディを自分の名前だと勘違いしてそう名乗るようになりました。私が星さんのお部屋に飛ばされたのも、そういった縁だったのではないでしょうか」

「なるほど……。曾祖父の遺伝子は他にも遺っているはずですが、俺のところに来たのは不思議な話ですね」

「私が無意識に選んだのかもしれませんね」


 レディが優しく微笑む。


「綺麗なお部屋を」

「あ、そういう観点なんですね……」

「ふふ」

「兄ちゃんの家は汚いのか……」


 レディの話のどこからどこまでが本当なのかはわからないが、嘘を言っているようには見えない。これがホラ話であったなら大したものだ。


 星が食器を片付けているあいだ、レディがお茶を淹れる。レディの手は細いが指が綺麗で、急須に添えられた手はしなやかで美しかった。





 ――後編へ続く



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