とある文明への転生(または全自動掃除機ドラフトチャンバー)

鳥辺野九

全自動ロボット掃除機はどこへゆく


 パソドブレは第四世代全自動自律式ロボット掃除機である。

 音声認識に特化した優れた学習能力を持つ人工知能を搭載し、スマートスピーカーに話しかける感覚で指定領域の清掃プロトコルの設定が可能な、本体に触れることなく掃除を任せられる文字通り全自動のお掃除ロボットだ。

 効率的に障害物のあるフロアを移動するために、ハエトリグモの八つの目の配置を模した高い空間認識能力を持った複眼式カメラアイを配備。効果的にハウスダストをサーチするために、花粉が多い季節、ペットの毛が生え替わる時期、部屋の住人の生活環境等を総合的に人工知能が学習し、最適解の清掃行動をパワフルなスイング吸引と強力なトリプルエッジブラッシング、他機種を圧倒する静音性をもって速やかに実行する。

 アルミ削り出しによる美しい曲線を纏ったボディは剛性と機能美を両立させ、一体成形でパーツ数を少なくすることにより防塵、防水性能はIP6X/IPX8基準をクリア。耐熱塗料の採用で耐火性能も非常に優れた仕様となっている。

 七軸のローラー状のキャスターと独自のサスペンション技術が数センチの段差をも乗り越える高い走破性を実現させ、同時に静穏性の確保も実現。深夜の掃除もパソドブレにお任せあれ、だ。

 最新型パソドブレはついにおしゃべり機能を獲得した。掃除開始時、掃除終了時に音声で起動開始と完了をお知らせするそのCVには低音ボイスに渋味と深み、そして尊みのあるベテラン声優の燻澤奏悟いぶしざわそうご氏を採用。きっと、安らぎと癒しに満ちた空間を演出してくれることだろう。




 ある日のこと。そんなスマート掃除ロボット『パソドブレ』が充電サイトでスリープモード中、家屋に落雷があり、過剰な電力供給が発生してお掃除ロボットは異世界へ転移してしまった。




 魔獣が我が物顔で世を跋扈し、神に祈りを捧げる以外に救済の道はないバブルパズル皇国。

 力の象徴である剣と、知の象徴である魔法の二大要素が皇国を支える二本の柱である。その威厳ある柱ですら魔王の出現によりなす術もなく打ち破られ、国の存続はもはや風前の灯火であった。

 人々は祈った。心の奥底、すでに枯れ果てたと思われる生命の泉から最後の一滴を捧げてでも、この国の子どもたちに希望に満ちた未来が訪れんことを。

 何物よりも透明なその祈りは神の御許にまで到達した。

 折り重なった灰色の天蓋は音もなく割れ、そこから放たれた一筋の光は舞い降りた。空を裂いた稲妻が消える時、人々は神の奇跡を目撃する。そこに存在するのは、異世界より遣わされた勇者。その異形の姿だ。


「勇者よ、救済を! 勇者よ、救済をっ!」


 人々は快哉かいさいを叫んだ。

 しかし勇者は人の形を成してはいなかった。

 円盤状のボディは鈍く黒光りしている。いくつかのパイロットランプが宝石のように瞬く。中でも前面と思しき部位に蜘蛛のように配置された八つの目に宿る光はレーザーのような目力を持ち、尋常ではなかった。まさしく人知を越える輝きだ。

 下部からそっと覗くトリプルエッジブラシは鋭く光る剣に成り代わり、スイング機能をもった吸引口は吸引力の変わらない唯一無二の吸引魔法を唱える。

 勇者パソドブレ。第四世代全自動自律式ロボット掃除機だ。

 音声認識に優れた人工知能は皇国の人々の声を学習し、人々の嘆きを認識し、そして人々の苦しみを理解した。

 それでも人々は迷った。

 この勇者は金属円盤のボディを持ち、手足はなさそうだ。それでいて目と思しきモノが八つ、口は円盤の底に平べったいのがありやたら吸引する。

 言葉が通じるのだろうか。いやいや魔獣どもと戦うことなどできるのだろうか。そもそも、コレは勇者なのだろうか。

 パソドブレは彼らの不安を意に介する暇など持ち合わせていなかった。ダストセンサーがゴミを感知している。ロボットの中で、警告がけたたましく鳴っている。


「清掃行動を開始する」


 勇者パソドブレは渋味と深み、そして尊みのある声でそう告げた。抑制された低音の、渋みの効いた短い一言で決戦の火蓋は切って落とされた。




 勇者パソドブレのトリプルエッジブラッシングは速やかに魔獣どもを仕留め始めた。

 どんな小さなハウスダストも見逃さないハエトリグモのような八つの鋭い目で、レーザーの反射角度から障害物とゴミと魔獣とを判別し、効率的な清掃ルートを瞬時に計算するパソドブレ。

 壁の際まで逃避した小型魔獣一匹すら逃さず、三枚のエッジブラシの回転刃は角に溜まった魔獣さえも掻き出すように弾き、鋭い連撃で斬り刻んだ。

 勇者パソドブレのスイング吸引力は決して衰えなかった。

 広範囲を一括して吸引できるように吸い取り口がスイングし、当社比150%の吸引力は効果的に魔獣どもを吸引滅殺した。吸引力の落ちない唯一つのロボット掃除機の名は伊達じゃない。魔獣どもは悲鳴すらも無慈悲に吸引された。


「まだまだだな。すまないが、もうしばらく清掃行動を継続させてもらう」


 皇国に蔓延る魔獣どもを蹂躙した勇者パソドブレは低く穏やかな口調で言った。

 魔王率いる魔獣の群れと勇者パソドブレの戦いは熾烈を極めた。しかし、勇者は決して弱音を吐いたりはしなかった。

 ただただ寡黙に、見返りも報酬も求めず、己が運命をあるがままに受け入れて、魔獣どもを掃除した。昼も夜も、誰も見ていない時でも掃除し続けた。どんなに埃が蓄積した障害物の影でも、どんなにバッテリーを酷使して疲れ果てても、一睡もせずに掃除し尽くした。そして、ついに一掃した。




 魔王と勇者パソドブレの最終決戦の刻が訪れた。最後の戦いはとても静かなものだった。

 魔王の放つ紅蓮の炎にその身を灼かれようが、パソドブレの優れた耐熱塗装は決して剥がれなかった。魔王がもたらす凍てつく永遠の吹雪に晒されようが、パソドブレの削り出しアルミボディはIP6X/IPX8基準の防塵、防水性能を遺憾なく発揮した。

 勇者パソドブレは過酷すぎる環境下でも普段通りの挙動で掃除した。耐熱防塵防水仕様のアルミ削り出しボディは無敵だ。

 魔王が空を壊す雷を落とした時、過剰電力でオーバーロード化した勇者パソドブレはその性能を飛躍的に上昇させ、カタログスペック以上の数値を叩き出し、メーカー史上最高傑作の謳い文句に恥じぬフルパワー稼働し、とうとう魔王を討ち果たした。




 人々は勇者に喝采を浴びせかけた。世界は救われた。勇者が国を、人々を守った。


「勇者パソドブレに栄光を! 勇者パソドブレに栄光をっ!」


 しかし、人々は勇者の渋味のある声を再び聞くことはなかった。魔王が打った雷は、過剰充電現象を発現させて、勇者を元の世界へと転移させてしまった。

 最後の戦いが終わった荒野に勇者の異形の姿はなかった。すべてきれいに掃除された平野だけが残されていた。




「あれ? 停電の間でも掃除してくれてたんだ」


 久々に実家に帰った燻澤想子いぶしざわそうこは驚きの声を漏らした。

 さすがはメーカー史上最高傑作と謳われるだけはある。停電中だと言うのに、自律的に清掃行動を開始してくれたようで、しかもその駆動音すら聞こえなかったのだ。


「ってあらやだ、傷だらけじゃないの。どこかぶつけたのか?」


 ロボット掃除機のアルミ削り出しボディには深い傷が刻まれていた。魔獣の鋭い牙、剛腕の爪、邪悪な剣。それと魔王の魔法攻撃の傷跡。どれもこれも、名誉の勲章だ。


「何も問題はない。清掃行動は速やかに完了した」


 ロボット掃除機は静かに言った。耳に馴染みのある低音ボイスはさらに磨きがかかっていた。何を隠そう、パソドブレに採用された声優の燻澤奏悟とは燻澤想子の父親だ。父親の声で喋るロボット掃除機。なんか、父親が床に這いつくばってゴミを吸い取ってるような気になってくる。


「もー、オヤジの声で変にかっこいいこと言わないでよ」


 せっかく正月に帰省したと言うのに、普段からアニメで父親の声を聴いて、また実家のロボット掃除機が父親の声で語りかけてきて、まったく気が安らぐ暇もない。想子はやれやれと頭を振った。


「バッテリーをだいぶ消費してしまったようだ。充電モードに入らせてもらう」


「はいはい、お疲れ様」


「これで失礼する」


「あとで外装パーツを注文しといたげるよ。オヤジはそういうの気にしないでしょ」


「ああ、すまないな。そうしてもらえると助かる。じゃあな」


 勇者パソドブレはそれ以上何も語らず、充電サイトまでヨロヨロと自走し、静かにスリープモードへ移行した。


「おやすみ。オヤジ」

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