第18話 筋書き

 アルベールの筋書きが、いよいよ本格的に動き始めようとしていた。


 正午前、マルクスの持ち帰ったジェラルドからの手紙に、明日、ダリウスが帰路につくと記されてあったのだ。


「ダリウスのやつめ、ちんたらしやがって。決断が遅いんだよ、バカか」


 これまで暇を持て余していたアルベールは、相当鬱憤が溜まっていたとみえる。無理もないことではあるが。


 ディアンたちが孤児院に雲隠れを決め込んで、今日で六日。自分はフランターナ国の文献を読んでいれば、一日はあっという間だった。しかしアルベールにとっては、一日が三日に値するほど長かったことだろう。


「アルベール、品のない言葉を使うのはどうかと思うぞ。おまえの美しさが半減してしまう」


 荒くれ者のような口調に、ディアンは思わず「はぁー」とため息が出る。


「うるさい。おまえの前で体裁を繕うわけがないだろう」


 頬を膨らませそっぽを向くアルベールの目元は、照れからか赤いように見える。 

 その姿が、自分に気を許してくれているようで、頬が緩むのを止められなかった。


「おい、何を笑っている」


「アルベールが可愛くてな」


「む──」


 口を一文字に閉じ、綻びそうになる唇を必死に堪えている様は、ディアンの心を高揚させる。


(もっと見せてくれ、表に出さず押し込めてきた感情を)


 一見すると、アルベールは無鉄砲なのかと思わされる。しかしその実、見識に溢れていた。


 この度のアルベールの筋書きは、見事としか言いようがなかったのだ。

 その筋書きは、モーリスが偶然酒場で、酒を酌み交わす自分たちを目撃したことから始まる。


 モーリスは第三王子殺害の命を受けているのだ。この好機を逃すはずはない。となれば、身を潜めつけ狙う。そして条件が揃ったそのときがやってくる。


 人気のない闇夜、酒に酔い千鳥足の標的。


 モーリスは躊躇うことなく剣を振るう──。


 あの晩、自分たちが城を抜け出したことは、門番が知っている。それに普段のアルベールが、町へ赴き酒に酔って帰ることも、城の者は知っている。

 となれば、モーリスが『亡き者にした』とダリウスに報告しても、十分真実味があるはずだとアルベールは言う。


 だがアルベールの策は、これで終わりではなかった。


 思惑があり、アルベールまで手にかけた。死体を湖に沈めたのも、考えあってのこと。そうダリウスに報告するよう、モーリスに指示したのだ。


 詳細を問われたなら、行方不明のほうが、ダリウスの責任問題を有耶無耶にできると答えろとも。何よりフランターナ国に対し、責任を問える。そう主張するよう、アルベールは進言した。


 今回の目論見も相まって、ダリウスはほくそ笑むだろう。アルベールのせいで、自国の王子の身に何かあったとなれば、フランターナ国は要求をのまざるを得ない。


(アルベールのせい……か。あのようなことを、あっけらかんと言うとはな)


 逆もまたしかり。ディアンのせいで、アルベールに何かあったのだと訴える者もいるだろうと問うたのだが……。


 アルベールは『オレの悪評をなめるなよ。皆があり得ると思うに決まっているだろう』と胸を張って言ってのけた。


 だからといって、それもそうだ、などとは頷けない。アルベールの背負うものを思えば、胸が痛い。悪ぶっていても、心根はどこまでも民を思う優しい人なのだ。


 それを知る者がいないことが、歯がゆい。


 というのも、この計画を聞いた際、まったく現場に痕跡を残さないのは逆に怪しまれるのではないかと反論を試みたのだ。

 多少の血痕でもあれば、より真実味が増すのではないかと提案もしたが却下された。なぜかと問えば、


『それでは犯人捜しが始まってしまう』


とアルベールは答えた。


 そうなれば、関係のない民が巻き込まれ、誤って捕まる者が出るかもしれない。だから表向きは、行方不明でいいのだと説かれた。


 それでも心配なら、王家の紋章が刻まれたディアンの短剣を、証拠品としてモーリスに持たせればいいと言われた。


 もう感服の一言だ。アルベールは少しでも災いが起きないようにと、常に考えを巡らせていたのだ。この計画もきっと、痛手は最小限なものなのだろう。


 とはいえ、当初は懐疑心を拭え切れなかった。ダリウスを騙せるのかと。何せ成功の鍵を握るのが、モーリスだったからだ。

 オーランドを妄信しきっていた男が、そう易々とこちら側に寝返るとは到底思えなかったのだが……。


(アルベールは、いったいどんな魔法を使ったのだ?)


 ディアンは知らされていなかった。アルベールとモーリスの綿密な策戦を。


 疎外感は否めない。詳しく話してくれと訴えたが、あとのお楽しみだと取り合ってくれなかった。


 どこまでもアルベールの手のひらで転がされているようで、先が思いやられるディアンだった。


           ◇◇◇

 

 トシャーナ国所有の馬車が一台、大通りを走り抜けていく。


 御者を務めているのは、モーリスだ。


 その光景を、椅子に座り窓から見下ろしていたアルベールは、気分爽快とばかりに微笑んでいた。


「入るぞ、アルベール」


 行ったようだなと、ディアンがアルベールのそばに歩み寄って来る。

 彼も隣の部屋から去りゆく馬車を見ていたようだ。


「俺たちは城に戻るのか?」


「ああ。だが、戻るのは日が落ちてからにしよう」


 万が一、自分たちの姿を見た誰かが、親切心から知らせに走っては困る。もしくは、褒美欲しさに余計なことをされては困る、ともいうが。


「戻った後は、どうするのだ?」


 今後の展開は、ダリウスの報告を聞いたオーランドが、どう動くかで変わってくる。

 大々的に、ディアンは亡くなったと国民に告げるのか。それとも、自国を捨て、他国に止まっていると国王に報告するのか。


 いずれにしろ、アルベールがトシャーナ国へ乗り込むことに変わりはないが。


「そうだな……三日後に、我々もトシャーナ国へ向おう。あっちでも、傍若無人に振る舞ってやるから楽しみにしていろ」


 悪戯を楽しむ子どものように、にかっと笑う。


 そんなアルベールを、ディアンは得体の知れない者を見るように、頬を引きつらせる。


「何を考えているのかは知らないが……ジェラルドが許すとは思えないのだが」


 もちろんそのことは、アルベールも考えた。命を狙われているディアンと行動を共にするなど、危険極まりないと反対されるだろう。最悪、ジェラルド自らが行くと言い出し兼ねない。


「策はある。ディアンが下手を打たねば、だがな」


 詳細は教えてやらないが。


「ならば、なおさら教えてくれ」


「嫌だね」


 ツンと顎を上げ、アルベールは明後日の方向へ目をやる。


 反応を見たかった。アルベールの言葉を受け、ディアンがどう返してくれるのかを。


「アルベール──」


「っ──⁉」


 ディアンが覆いかぶさるように、アルベールを胸に包み込む。


「無理はするな。俺は傷つくおまえを見たくない」


 悪態をつくと思ったのだろう。ディアンの心配する気持ちが伝わってくる。


 セオドアでもいれば、離せと突き放せたのだが、今は浸っていたい。温かなディアンの腕の中は心地よく、守られている感覚に陶酔してしまう。誰かが引き戻してくれなければ、自分はこのまま夢見心地で溶けてしまいそうだ。


 そんなとき、部屋に飛び込んできたのは、血相を変えたマルクスだった。


「何をしている! アルベール様から離れろ‼」


 体格で遙かに勝るディアンを前に、マルクスは怯むことなくアルベールから引き剥がす。そして毅然と立ちはだかる姿は、まるでアルベールを守る砦のようだ。その背中からは、炎が登っているかのような闘魂とうこんさを感じた。


「マルクス、大丈夫だ。ディアンはオレを、襲っていたわけではない」


 心配してくれていただけだと、背中をポンポンと軽く叩く。


「そうでしたか……失礼いたしました」


 一瞬で怒気を納め、マルクスはディアンに頭を下げる。


「いや。主人思いの、いいだ」


 従者、とやけに強調するディアンは、居丈高だった。


「それよりアルベール様。トシャーナ国へ行かれるとは、まことですか」


「立ち聞きとは、いただけないな」


 アルベールが口を開くより先に、ディアンが咎める。


 はっとし、「申し訳ありません」と口にするものの、マルクスはディアンを警戒するような視線を向けている。


(どうしてだろう。ディアンはオレに対して、まったくといっていいほど敵意はないのだが……)


 何がマルクスを、そうさせるのだろう。


「マルクス、夕食後、オレたちは城へ戻る。世話になったな」


 つい、小さな子どもにするような、優しい手つきで頭を撫でてしまう。


「私はもう、子どもではありませんよ」


 頬を朱に染め照れるマルクスは、自分にとってはまだ子どもだ。


「生意気を言うな」


 調子に乗ったアルベールは、「やめてください」と逃げを打つマルクスの頭を、なおもがしがしと掻き回す。


 単なる戯れだったのだが……。


「嫌がっているぞ。見てみろ、羞恥で顔が真っ赤だ。可哀想に。を揶揄うものではない」


 ディアンに手首を掴まれ、動きを止められてしまう。


「そうか?」


 ディアンが言うほど、マルクスは嫌がってなかったと思うが。


 アルベールを見るディアンの眉間には、深く皺が刻まれていた。

 ディアンの機嫌を損ねるようなことが、あっただろうかと考える。


(もしや、嫉妬か? 嫉妬なのか?)


 突如頭に浮かんだ言葉に、心が弾み小躍りを始める。


 想いを寄せられることが、こんなにも嬉しくてこそばゆいなんて知らなかった。


 アルベールは新たな感情に、楽しさを覚えた。

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