第16話 陰謀には悪役らしく辛辣に 

 沈黙するディアンに、希望が途絶えたのだと悲しみが増す。


 キスをされたことで舞い上がり、本当は自分のことを想ってくれているのでは? 


 そんな光明を感じさせておきながら、再び闇に突き落とすとは悪魔のような男だ。


 じわじわと湧いてくる涙を見られまいと、アルベールは顔を背ける。


「アルベールに、謝らねばならないことがある。怒るのは、最後まで話を聞いてからにしてくれるとありがたいのだが」


 なんて図々しい男だ。ジェラルドとの関係を認め、今日のことは黙っていてほしいとでも言うつもりか。


(絶対に嘘は見逃さない。見逃してなるものか!)


 闘志を奮い立たせ、ディアンと対峙たいじする……はずだったのだが。


「ジェラルドが悩んでいたのだ。アルベールが悪戯ばかりするのは、自分のことが嫌いで、困らせるためにやっているのではないかと」


 神妙な面持ちで、ディアンは語る。


「え……そんな、嫌いなわけあるか! あぁ、なんてことだ──。敬愛するジェラルド兄様に、そのような誤解を与えていたとは」


 自分の気持ちが、届いていなかった。


 その事実に打ちひしがれる。

 大好きだと言葉で伝えていたし、向ける眼差しにも憧れの念を込めていたのに。


「ジェラルドは、本心からおまえを疑っていたわけではないと思うぞ。ただ、ときどき不安になるのだろう。自分のせいかもしれないと」


 顔を強張らせるアルベールをおもんぱかってか、ディアンが望む言葉をかけてくれる。


「気に病むことはない。アルベールの代わりに伝えておいたぞ、『ジェラルドのことが大好きに決まっている』とな」


「へ……?」


 間の抜けた声が出てしまった。きっと顔も、不抜けているだろう。


「それでつい、言ってしまった。アルベールが争いを避けるために、愚かな王子でいることを望んでいる……というようなことを」


 秘密を暴露してしまったディアンではあるが、アルベールを真っすぐに見つめていた。アルベールからの罵倒ばとうを覚悟しているという姿勢だ。


(なんだ……大好きって、そういうことだったのか)


 ジェラルドへの、愛の告白ではなかった。


 真相を知り、一気に脱力してしまう。


「す、すまない。おまえが築き上げてきた、悪の塊王子を台無しにしてしまって」


 肩を落とすアルベールの姿に、何を勘違いしたのか、ディアンは慌てて謝罪を口にする。


 確かにそうだが、悪の塊王子とは、言いすぎではないだろうか。

 あくまでも悪役。役であって悪人そのものではない。


「訂正しろ。オレは悪の塊ではないぞ」


 平和と正義を愛する清い人間だった妹の意志を、これでも受け継いだつもりだ。


 アルベールは悪役を演じる際、嫌われるのはいいが、憎悪を向けられるようなことは避けてきた。


 なぜなら前世、理不尽な仕打ちに捻くれそうになる自分に、妹が教えてくれたのだ。


『憎しみは抱く本人にとっても、抱かれる相手にとっても不幸なだけなんだよ』と。


 闇に引き込まれそうな自分を、何度も陽の当たるところまで引き戻してくれた言葉だ。


「失言だった。アルベールの心根は、美しい」


 蕩けそうな笑顔付きでの賛辞に、アルベールはうんうんと頷きながら、ふっと口元を綻ばせる。


(いや待て、和んでいる場合ではないだろう!)


 ディアンが自分にキスをした理由を、まだ解明していない。


「おい、オレにキスをしたのはなぜだ」


 ディアンの胸ぐらを掴み、グッと自身に引き寄せ睨みつける。


「わからないか?」


 質問に質問で返され、アルベールの眉間の皺がさらに深くなる。


「はぐらかす気か、男らしくないぞ」


 地を這うような……とまではいかないが、努めて低い声を出す。


「そんなつもりはない。俺の求愛が足りなかったかと思っただけだ」


「ひぅ──!」


 顔を寄せすぎた。


 ディアンはほんの数センチ先のアルベールの唇に、チュッと音をさせキスを仕掛けた。


 そして、あろうことかそのままベッドに押し倒される。


「貴様、一度ならぬ二度までも──っ」


 押さえつけるように組み敷かれ、唇を貪られる。


「ふ……んぁ……んん」


 息継ぎが上手くできず、苦しさのあまりディアンの背中を拳で叩く。


 名残惜しげに唇を離したディアンは、肩で息をするアルベールを真摯な眼差しで見つめた。


「アルベールが好きだ。ひたむきに兄を慕うおまえも。国を思うおまえも。俺のことを放っておけないおまえも……」


 すべてが好きだと気持ちを伝えてくるディアンの目は、獰猛どうもうな獣のようだった。狙った獲物は必ず仕留める。そんな勇ましさを感じた。


「こ、怖いぞ、ディアン」


 密着した身体を離そうと、背中側から服を掴み引っ張ってみる。胸を押したくても、手の入る隙間がないのだ。


 とはいえ、体格差を考えれば、引っ張ったところでディアンの逞しい肉体が動くはずもない。


(どうしよう──こんなにも、ディアンの鼓動が心地いいなんて)


 服越に、トクトクと早い鼓動が伝わってきた。

 アルベールの鼓動の早さに、負けじと追いかけてくるようだ。


 好きな相手だから、そう感じる?

 

 アルベールにとって、いうなればこれが初恋だ。何もかもが新鮮で、心が温まる。


「アルベールは、初心うぶなのだな」


 あたふたするアルベールに、感じるものがあったのだろう。

 

 不意に身体から、重さが消える。と同時に、感じていた温もりも去っていく。


「あ……」


 もの寂しさから、思わず声が漏れてしまった。


「離れないほうがよかったか?」


 くすりと笑われ、アルベールは照れから勢いよく頭を左右に振る。


「俺の気持ちは伝えた。近いうちに、アルベールの気持ちも聞かせてくれ。いい返事だったなら……俺は、迷わずおまえを抱く」


 抱く? 男の自分を?


 想像しただけで、顔に体中の血が集まり発火しそうなほど熱くなる。

 大きく息を吸い込み、『恥ずかしいことを言うな!』と叫ぼうとしたとき、


「うんん──」


 ディアンの大きな手に、口を覆われてしまう。


「静かに──」


 ディアンのまとう気が張り詰め、アルベールは息を呑む。


 ベッドから降り、素早くロウソクの火を吹き消したディアンは、窓から差し込む月明かりを頼りに、ふたつのベッドに細工を施した。人が寝ているかのように、盛り上がりを作ったのだ。

 

 それからアルベールをベッドの下に潜らせ、ディアンはドアから死角になる場所に身を潜めた。


(足音か?) 


 廊下を忍び足で進んでいるようだが、古い宿だ。板張りの床がわずかにきしむ音がする。


 とはいえ、自分たちが喋っていないから聞こえるのであって──。


(まさに、獣並みの危険察知能力だな)


 自分たちの部屋の前で止まった足音に、ディアンが『来たぞ』というようにアルベールへ視線を寄こす。


 カチャカチャという金属音のあと、鍵が開く少し大きめの音がした。そして、スーッと擦れるような音が続く。剣をさやから抜いたときのような音だ。


 まさか、刺客か──。


 ぴんと張り詰めた空気の中、古びた木のドアが軋みを立て、ゆっくりと開かれる。そしてひとつの人影が、足を忍ばせベッドに近づいていく。


「うおおおおお!」


 雄叫びと共に振りかぶった剣を、躊躇うことなくベッドに突き立てた。続いてもうひとつのベッドにも、同じように剣を突き立てる。


 はぁはぁと息を乱し後退る人物は、正常な判断ができていないようだ。反応のないベッドの上を、確認しようともしない。


「やった……やったぞ。ディアン様を討った。これで我が国は安泰だ。はは……ははは──」


 王子を手にかけたことに、半狂乱になっている。一応罪の意識はあるようだ。

 取り押さえるなら、いまが最善。平静を取り戻す前に。


 その思いが通じたのか、床に叩きつけるような音と同時に、呻き声があがった。身を潜めていたディアンが動いたようだ。


「おまえは……モーリス」


「ディ……ディアン様──」


 討ったはずのディアンをその目に映したモーリスは、驚愕していた。視線はベッドとディアンを、交互に行き来している。


「残念だったな」


 床から這い出たアルベールは、ロウソクに火を灯し、シーツをめくった。


「あ……あなたは──」


 アルベールを見た途端、モーリスの額に尋常ではない汗が浮いてくる。


(ふふふ、なるほどな)


 ロウソクの明かりで浮かび上がる、アルベールの笑み。それはそれは、不敵なものだった。


「おまえ、他国の王子の命まで狙ったな」


 同室は、セオドアだと思っていたようだ。これを利用しない手はないだろう。


「さて、どう罪を贖ってもらおうか。トシャーナ国への制裁を考えねば」


「ま、待ってください。すべては私の独断でやったこと。この身はどのような裁きでも受けます。どうか、トシャーナ国に制裁を下すことだけは、お考え直しください」


 目を据わらせ、至極悪辣な笑みを見せるアルベールに、モーリスは床に押さえつけられているにもかかわらず、必死に懇願してくる。


(自分の命乞いのちごいではなく、国のことを願うのか)


 このモーリスという男、国に対する忠義に熱いとみえる。


「考えてやってもいいが、それはオレの質問に、嘘偽りなく答えることが条件だ。言っておくが、俺に嘘は通用しないぞ」


「わかりました。それで国が守れるのならば、異存はありません」


 アルベールを見つめる目に、嘘はなさそうだ。


「ディアン、拘束を解いてやれ」


「いや、しかし……」


「大丈夫だ。この男は逃げない」


 にわかには信じがたいのだろう。

 ディアンは警戒しながらゆっくりと、モーリスにかけていた体重を退けていく。そして、いつでも取り押さえられるよう、背後に立った。


 起き上がったモーリスは、両膝をつき座ったまま、真っすぐにアルベールを見ている。


「では聞く。ディアンをこの国で亡き者にしようとした根拠はなんだ。命を奪うだけなら、旅の道中でもよかったはず。我が国に罪をなすりつけ、金品でも要求するつもりだったのだろう?」


 命令したのは第一王子のオーランドだなと問うと、モーリスは狼狽へ、アルベールから視線を逸らすと深く顔を伏せる。


 さてどうする? 正直に答えるか、それとも嘘をつくのか……。


「──はい。国を立て直すには、財が必要であると。フランターナ国には申し訳ないが、少しばかり資金援助をしてもらうだけだとおっしゃいました」


 逡巡しゅんじゅんしたものの、モーリスは嘘偽りなく答えるという約束を守る。

 真面目な男だ。准将まで上り詰めたのは、上からの命令に忠実で、疑うことなくそれが正しいと信じる姿勢が扱いやすかったのだろう。


「ディアンのことは、どう聞いている? 王子殺害という大罪を犯してまで、やり遂げなければならないほどの正義があったのなら聞いてやる。言ってみろ」


 アルベールの問いかけに、モーリスはすっと顔を上げた。


「ディアン様は庶子で、王族に恨みを持っていると。今は誠実なふりをしているだけで、王位に就くと同時に、トシャーナ国を混沌こんとんに陥れる……そう聞いております」


 だからなんとしても阻止しなければならない。オーランドは自らが頭を下げ、モーリスに王子殺害という命を下したという。


「私は感銘を受けました。私のような身分の低い者に、罪を背負わせてすまないと頭を下げてくださったのです。オーランド様こそ、国王に相応しいと思いました」


 正しいことをやるのだと、言い聞かされてきたのだろう。


「では聞くが、おまえは自分の目でしかと見たのか? ディアンが恨みを持っていると感じる素振りを」


 オーランドを盲進するあまり、真実を見抜く目を曇らせてしまったのではないか。


 いいえと首を振るモーリスに、アルベールはディアンがフランターナ国へ来た目的を話して聞かせた。


「そんな──」


 言葉を失い混乱するモーリスに、ちょっとした誘導を試みる。


「ディアン、おまえの兄は無類の宝石好きだったよな」


「ああ、暇さえあれば眺めているぞ。指輪に至っては、十本の指全部にはめている」


 買う資金がどこから出ているのか不思議だと、ディアンは言う。


「ふん、何が少しばかり資金をいただくだ。『自分ののために』我が国の鉱山を要求するつもりだったに違いない」


 二人の間で交わされる会話から、思い当たる節があったようだ。

 モーリスは爪が食い込むほど拳を握り締め、顔を歪ませている。


(さて、使えるだろうか。 この男)


 オーランドへの不信感を抱かせることに成功したアルベールは、次の段階へ移る。


「うまく利用されたな。気の毒なことだ。辛いだろう、おまえのような正義感溢れる者には」


 同情を寄せ、労るようにモーリスの肩に手を置く。


(この手のキャラは、一人はいるんだよな)


 よく言えば素直。悪く言えば、単純で騙されやすい。


「モーリス、今度こそ、自身の目で真実を見極めてみろ。どちらが真の王に相応しいかを」


「見極める……私にできるでしょうか」


「心配するな。今まで隠していたが、オレには先を見通せる力がある」


「なんだって! アルベールには、そのような力があったのか……」


 嘘も方便。だが、モーリスより先に、ディアンが反応するとは。


「策を授けよう」


 だがその前に、セオドアを呼ぶようディアンに告げると、わかったと即座に部屋を出る。

 その間、アルベールにはやることがあった。


 モーリスと距離を詰め、膝を折り視線を合わせる。


「おまえは誠実で、忠義に厚い男だろう。他人を出し抜き、手柄を横取りしようなど考えたこともない」


「え……なぜわかるのですか」


「言っただろう、見通せると。一方おまえの欠点は、指示には敏速に動くが、予見して事を成すのは苦手なはずだ」


「う──そのとおりです」


 唸るモーリスは、自分でも気にしていたようだ。


「訓練次第で、おまえはもっと立派な騎士になれるぞ」


 自分なら、モーリスの才能を開花させてやれると微笑みかける。


(おや、目の輝きが変わったか……)


 アルベールに向けるモーリスの目は、意欲に満ちていた。


 これから実行に移す計画に、モーリスの役割は必要不可欠だ。それだけに、自分の言葉を信じてもらえたことは、幸いだった。


 うまくいけば、誰も命を落とさずにすむのだから。


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