ゆく年に

島本 葉

年越し蕎麦

 浩史ひろしが今年の仕事を終えて駅前につくと、普段は遅くまで開いている本屋にシャッターが下りていて、違う駅のように錯覚した。


 あと数時間で新しい年だ。

 流石に人の往来もいつもよりは少ないが、居酒屋やラーメン屋などの飲食店はまだ人の出入りがあるようだった。


「よかった、まだ開いてた」


 浩史はボソリとぐるぐるに巻いたマフラーの下で呟いた。息でメガネが少し曇る。

 間に合わなければカップ麺の蕎麦で済ませようと思っていたけれど、お目当ての店はまだ明かりが点っていた。叶うなら、インスタントじゃないのを食べたいと思っていたのだ。


 立ち食い蕎麦のお店の暖簾をくぐる。

 小さな店舗で、立ち食い用のテーブルが二つとカウンター。店内には数人の仕事帰りらしい男性が蕎麦を啜っていた。

 静かな中で蕎麦を啜る音だけがいくつか聞こえて来るのが、意外と心地よい。


 入り口で食券を購入する。少しだけ悩んで、天ぷら蕎麦にした。写真を見ると、乗ってるのは残念ながら海老天ではなくかき揚げのようだった。


 カウンターで厨房の親父さんに食券を渡すと、無言で蕎麦を一玉金ザルに入れてお湯につける。チャッチャと何度か上下させて蕎麦をほぐすと、さっと湯切りをして器に盛る。慣れた手付きだ。この愛想のない親父さんは、今日だけで何杯の蕎麦をお客に出したんだろうか。

 天ぷらを乗せて出汁を注ぐとふんわりと醤油の香りが漂った。


 浩史は天ぷら蕎麦を受け取ってカウンターの端に運ぶと、写真を一枚撮りメッセージ画面を開いた。


『お疲れ様。いまから年越し蕎麦を食べて帰ります。こっちの蕎麦は出汁が黒いよ♪』


 写真とメッセージを送信する。

 メッセージの履歴をさっと見ると、娘たちが窓拭きを手伝っている様子や遊んでいる姿が並んでいた。単身赴任中の浩史が大阪にいる家族に会えるのは、まだ少し先の予定だ。


 送ったメッセージに既読のマークが付いた。


 浩史はスマホを待ち受けに戻して傍らに置くと、箸をパキンと割って湯気を立てている蕎麦をズズッと啜った。





カクヨムで出会った方々に最大級の感謝を。

本年も大変お世話になりました。


来年もよろしくお願いします。


島本 葉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆく年に 島本 葉 @shimapon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ