リリアシオンの泉

ミナトマチ

リリアシオンの泉

死んでくれと言われて怒ってやれなかった。


どこか自分でも、こうなりそうな予感がしていたから。


死んでくれと言われて彼女は怒らなかった。


リリアはとても優しい子だったから。


少年はこの日4度、言葉ではとても言い表せないような鮮血を目にした。


1度目は、幼馴染リリアのもの。


肌が白い、村に自分と同じ時期に流れついた孤児でなければ、誰もが認める村一番の美少女。

村に疫病と恐怖を与える、山奥の泉に巣食う邪竜に捧げる「生贄」を選ぶ寄合で、満場一致で選出された。生い立ち、容姿共に申し分などなかったのだろう。


そんな雪のように肌が白い、リリアのものだったからなのか。


頭に霧がかかったような、モヤついた頭で少年ことシグル・フリードライは、ついさっき目にしたリリアの真っ赤な血潮が泉を染め上げる……悲惨なはずなのにどこか美しい幻想的な光景を思い出していた。


2度目は、領主の息子のもの。


リリアを見る目がいやらしい、典型的な下衆ヤロウ。

、邪龍に喰われた時などは妙に気分がよかった。

領主の息子然として、シグルを見る目などは家畜を見るようなそれであり、傲岸不遜ごうがんふそん極まりない。


だが、それよりも……自分が相手よりも優位にいると認識したうえで、分かったうえで、リリアにすり寄るあの態度がシグルは大嫌いだった。


死んだのは自業自得である。

リリアをわがものにしようと、親の金で魔術師と獣人の女戦士を雇い、竜退治に出かけたのは彼なのだから。


伴の魔術師も、所詮金さえ払えばなんでも引き受けるハグレ者だったので、邪竜が呼び寄せた魑魅魍魎によって早々と肉塊に変わり、森の奥へと消えた。


女戦士は獣人だからか、それとも戦士としての矜持を捨てていなかったからか‥‥…理由はどうであれ、金で雇われた割には満身創痍ながら未だに奮戦している。


3度目は、自分のものである。


力が無いにもかかわらず、自分に力が無いということを認めない馬鹿野郎。

リリアを想う気持ちが、どんなに本物でもそれが力に変わることなど現実にはありえないことを、少年は信じなかった。

だから何者も救えない。

どこまで行っても、誰かと同じような顔をした農民でしかない。


死んだのは自業自得の

大木すら、今日の風呂焚きで薪として使えそうなほど細かく切り刻める、恐ろしい邪竜の爪を受けて意識が飛んだところまでは覚えている。


痛みなど感じる暇もなかった。

ただ、リリアが眠る、この泉で同じように自分も眠るのだと思うと安らぎすら覚えた。


だが、あの時目にした泉の光はなんだったのか。


なぜ、自分は再び、生きてこのリリアが染めた赤い泉の中に立っているのか。


どうして、自分は邪竜と対峙しているのか。


この、手足や体を覆う……硬質なくせに妙に温かい‥…鎧は一体なんなのか。


この、妙に懐かしい……の大剣はなんだ。


そして、なぜ自分は泣いているのか。涙が止まらないのか。


いくら考えてもシグルは答えを出せなかった。


「な‥‥…なにものダ‥‥…お前はッ……お前ハさっき、ワシが嚙み千切ったはズ‥‥…」


どす黒く、泥のような光沢と悪臭を放つ、巨大な黒い邪竜。

そんな一目でまがまがしさが伝わってくる、恐ろしい邪竜の目に怯えの色が見える。


「こ……これは‥‥‥‥」


「がぁあああっっ―――ッぐぅッ―」


戸惑いが収まらないシグルの目の端で、獣人の女戦士、フルガが呻き声をあげている。

限界なのか、疲労なのか……小竜を思わせる小さな魔物に、大木を背にして四方を囲まれていた。


「あ‥‥…あぶっ……」


そう言って一歩踏み出したシグルの体を、ものすごい力が押す。

恐ろしいまでの風を巻き上げ、泉の赤水を噴き上げて‥‥シグルはたった一歩で数メートル離れた獣人の戦士の元へ移動した。


衝撃が魑魅魍魎を木っ端みじんに蹴散らした。

おそるおそる目を開けると、フルガの恐怖に引きつる顔が見えた。


「お‥‥おまえ……はぁ…はぁ‥‥なんだよ、それ‥‥」


まるで竜じゃねぇか。


シグルは、体の大きさや顔こそ少年のままであったが、手足や体は甲冑のように、竜のそれに変質しており、触ってみると頭には角まで生えているらしかった。


「‥‥…おまえ……なんで、泣いてんだよ‥…」


「‥‥…それは……」


フルガはまさしく狩人のように、スラリとしたネコ科のような体つきであったが、その琥珀色の瞳に、恐怖と同じくして、どこかリリアを彷彿とさせる優しさをたたえていた。


そんな目で見られたからか、それともこの全身で感じるが確信させたのか。


涙が止まらない。


一歩、また一歩。

邪竜に近づくたびに、脳裏で手にした大剣が己が剣の名をシグルにそっと囁いてくる。


聞くほどにそうだと分かり、認めたくないから‥…よけいに涙が止まらない。


「ち……近づくナ……お、こ、これいじょう近づいタラ、麓の村々をやきつくすぞ!!」


「‥‥‥‥」


一歩、また一歩邪竜の元へ歩いて行く。


「う……うそじゃないぞ‥‥ゲグゲゲ……ワシを怒らせるとどうなるか……」


「黙れぇぇぇぇ―――――――っっ!!!」


シグルは激情に任せて、例のごとく一歩を大きく踏み込んで一瞬で加速したかと思うと、体よりも大きな大剣を片手で軽々振り下ろした。


鋼の竜鱗はあっけなく断ち切られ、刹那邪竜の右翼と右腕が吹き飛ぶ。


「ギィィィィィギャヤヤャ―――――――――ッッッ」


この日シグルは4度鮮血を目にした。


4回目はこの時である。


嫌悪感を覚える赤黒い雨が頭上から降り注ぐ。


絶叫とともにのたうち回る邪竜を見ても、シグルの目からは涙が止まらなかった。


「な…ナ‥‥‥‥ナニしやがる!ィ……いてぇ!いてぇ!いてぇぇぇエ!クソッ、どうして……こんな……ワシはタダ、この地の魔力を得たかったダケなのにっ!この泉が欲しかったダケなのに!」


「黙れ、黙れ……黙れッ!被害者ぶるな!汚らしい邪竜のクセにッ!


邪竜がわめくのをやめて、怒りとなにか得体のしれないどす黒い何かで曇った眼をぐるりと回してシグルを睨む。


「‥…キサマッ‥‥…どうしてそれを‥‥…」


「龍神様が教えてくれたんだ。この剣を通してな」


そう言って、その大剣の切っ先を邪竜に向けた。


シグルのその目にもう涙はない。しかし、その瞳から悲しみが消えることもない。


邪竜は体を起こして、口を歪めて笑った。

そして、腹のあたりが妖しく光り出す。


「ゲグゲゲゲ……ワシの宝は、ワシのもの。立ちふさがるモノ、こばむモノ、抵抗するモノはみな殺しじゃ。何が起こったかは知らんが、もう一度お前も我がブレスでチリにしてくれるワ!」


「……ふぅ――……」


息を吐いて、両手で剣を構え、意識を集中させると体の内側から不思議な力が溢れてくる。


その流れるような力を剣へと集中させ、シグルは同時に、剣から伝わってくる言葉を口にする。


「龍が流しし涙を集めて、祈りに変えん。行く末守りし祈りの光よ、艱難辛苦かんなんしんくを断ち切り滅ぼせッ!―――――ッッ!!」


腐敗と惨敗の息吹ファブルアーニ


真っ黒い終焉を乗せた炎と青白い泉の光をまといし斬撃が、両者の掛け声と共に放たれた。

山肌を焦がし、木々をなぎ倒し、爆風とともにすべてが最後には真っ白い光に包まれたのだった。



ケモミミをぴくぴくとさせ、フルガが目を覚ますとそこは森というより、広場だった。

あれだけの衝撃を受けて、何故かはわからなかったが、泉の近くにいたのにもかかわらず目立った外傷は見られない。


土煙がもうもうとしている中で、やっと視認できるのは、澄んだ青色の泉と大きな岩のようなものが一つ。


「これは‥‥…ッッ‥‥…」


視界がはっきりしてくるほどに、鮮明になるそれは岩などではなく、邪竜の首であった。


その陰から、ぬっと誰かが出てきてフルガの方へ近づいてくる。


人間のようなシルエットでありながら、頭から突き出した角はあきらかに人間ではない。


しかし、差し出されたその手は、その仕草はあまりにも人間らしかった。


満身創痍でろくに動けないフルガは素直にその手を取ると、優しく引き起こされ、流れるようにその背に背負われてしまった。


「な‥‥…おいっ……別にそこまで……」


「怪我もひどいし、麓まで送るよ。戦士たって早く怪我は治した方がいい。じっとしてなよ」


「‥‥‥‥そうかよ……」


借りて来た猫のごとく、不本意ではあったが、彼女はそのまま体を預けることにした。


まだ幼さがありながら、しかしなかなかに広い。

龍の背だった。


白髪に変わった少年の頭部を半目で見ながら、フルガはふと問いかける。


「なぁ、これからお前はどうするんだ?」


シグルはしばらく答えなかった。

無言のまま終わるのかと、フルガは目を瞑ろうとしたとき、不意にシグルが呟くように、しかしはっきりと言った。


「……あの泉を守っていくよ。あの美しい泉をこれからずっと……」


「……せいぜい頑張るんだな…」


それ以降、2人は何を話すでもなく、いつの間にか晴れていた陽だまりの中にゆっくりと消えていくのだった。


その後、竜殺しがどうなったのかは誰も知らない。

しかし、邪竜が倒された後、山々にそして村やその周辺国家に平和と繁栄がもたらされたのは誰もが知っていることである。

ただ、今でもこんな話しが語り継がれている。


リリアシオンの泉が輝く時。

龍を愛し、龍に愛された勇者が現れ、泉を脅かす巨悪を打ち払うのだそうだ。






















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