嫌いじゃない、たぶん

華月ぱんだ。

第1話

初めに別れたいと思ったのはいつだっただろうか。

付き合って初めてのクリスマス。急な仕事でデートをドタキャンされたときだろうか。

折角めかしこんだのに褒められるどころか、結局一目見てもらうことすら叶わず、日の目を見なかった一張羅は箪笥の奥で眠っている。

付き合って一年目の記念日をすっかり忘れ去られて、出張だとかで結局会えなかったときだろうか。

それとも、初めて浮気されたときだろうか。気がついたときには別れる気だったのに、どうして許したんだっけ。初めて泣かれたんだっけ。

あれから何回浮気されて、何回許したんだっけ。怒るのが苦手な俺は、情けなく縋られるたびに許してしまって。

俺から声をかけるときはほとんど断ってくるくせに、寂しいとか泣きついてきたりして。

なし崩し的に一緒に暮らし始めた時は、もう愛情とかなかった気がする。

捨てられた子犬を餌付けしたときみたいな義務感で、お前の世話を焼いていた。

そのくせご立派に期待とかしちゃったりして。肩書だけは恋人のままだったから、やっぱり少しお前を思っていたのかもしれないね。

でももう、辞めようと思うんだ。

原因はこれと言って特にない。

もう何十回目の浮気とか、外で飲んできてごはん食べないとか、折角用意したのにとか、しばらくデートすらいってないとか、そっちの都合でしかないセックスとか、そんなのは別に原因にならない。

だけど何となく、もう辞めたいと思ったから。

ひとりでお前を待つ夜を、ひとりで二人分買うその手間も、記念日に一人心浮かれることも。

もう、いいかなと思ったから。

何も言わずに出ていくのは許してほしい。

別れ話をすると、お前は必ず泣いて縋って、俺はそれに絆されるから。

もし、また十年ごとかに道ですれ違っちゃったりしたら、俺は笑って幸せを見せつける予定だから、その時はお前も幸福を自慢してほしいと思う。

たぶん、恋人である必要なんてなかったから。

友達くらいが丁度良かったんだと思うよ。

置手紙も残さず、荷物だけ持って俺は二人で過ごした家を出た。

あいつの連絡先とかも全部ブロックに着拒で消し去って。

これできれいさっぱり忘れられたと。縁も何もかもなくなって、あの子犬みたいな笑顔も何もかも見ないで済むと思っていたのに。

残っていたと思わなかった。

使ってなさすぎて消すのを忘れたとあるSNSのメッセージ欄。

あいつからの数年越しのメッセージ。

「今から会える?」

だなんて。

もう、あいつも忘れたと思っていたのに。

何年たったと思ってるんだと薄く笑う。いくらなんでも都合がよすぎるだろう。

俺。


何「分かった」とか返信しちゃってんの。なんでのこのこ会いに行ってんの。

そしてなんでいるんだよ、お前。

もう忘れたかと思ってた。俺たちが待ち合わせる定番の、どこにでもあるコーヒーチェーン。その一番奥の席。日の当たらない外から見えないその席が、俺たちが合う定番の場所。

お互い忘れていないのが、あほらしくて。あの日と変わらず、コーヒーなんて飲んじゃってるお前が愛おしくて。

なんで何も変わっていないんだろうな。

俺も、お前も。

友達ですら一年ちょっとで変わっちまうのに。

俺もお決まりのフラペチーノとか頼んじゃったりして、あいつの目の前まで歩いていく。

「久しぶり」

そういってお前は、俺の嫌いじゃない笑顔を浮かべた。


その日は雨が降っていた。生憎。

傘は持っていたけど、思っていたより降ったから、二人してびしょぬれになった。

なんか学生みたいなノリになって、二人ではしゃぎながら雨宿りする場所を探した。

行きついたのは、あの日俺が出ていった家。あいつがそのまま住んでいる場所。

引っ越してねーのかよ、と笑いがこぼれた。あいつらしい。

そのまま家に上がり込んだのは、失敗だったと思う。

家具の配置も、モノの置き場も出ていった時から何一つ変わっていなくて少し驚いた。

てっきり新しい恋人とかできて、そいつに全部変えられてるかなと思ってた、あいつ自身は特にこだわりのないやつだから。

恋人とかいないのかとふざけて聞くと、いねーよと返された。こいつの今の恋人はずいぶん可哀そうな奴らしい。

恋人がいないわけがないのだ。昔から平気で二股かける奴だったし、現に今もペアリングしてる。俺の知らない、けどずっとほしかったやつ。

飲めるやつだすわとあいつが開いた冷蔵庫には、見覚えのないタッパーと料理。今の恋人はまめな奴なんだろうな。たぶん。

風呂入れと勧められるまま入ったのもよくなかった。もう遅いから泊まっていくことにしたのも。

なんか気持ちがハイになっていて忘れていたのだ。

こいつは、二股に何の罪悪感も持たない、恋人いるのにセフレ作るような。そんな屑だったと。

馬鹿だと思う。本当に。

薄暗い部屋で、隣で寝転んで。二人してその気になって。

付き合ってるときは、全然してこなかったくせに。

馬鹿なんじゃねえかなと思う。

こんなくだらないことに喜んじゃってる俺も。

白けた俺と喜んでる俺のせめぎあいは、あいつのキス一つでおひらきになる。

あいつのキスに意味なんてないのに。

結局俺は抵抗一つせず、素直にあいつに体を許してしまっていた。


喉が渇いて目が覚める。

あいつは隣で満足げに眠っている。憎たらしい。

立ち上がって水を飲んだ。

窓の外の月は綺麗で、なんだか泣ける。

ごめんなさいだなと呟いてみる。あいつの今の恋人にごめんなさいだ。

付き合ってる時されたくなかったことを、今顔も知らない人にやり返してしまった。

情けなくて涙が止まらない。

俺も、お前も、屑の類だ。

すやすや寝てるあいつを見る。

平和そうな寝顔が、嫌いだなと思う。

起きてる時の、笑顔を思う。

会って思い出したけれど、俺はあいつのその顔が好きだったのだ。平和ボケしてなつっこい、子犬みたいな無邪気な顔が。

それはたぶん、今も。

嫌いじゃないよ、お前のこと。

もう好きにはなれないんだろうけど、嫌いじゃないよ。こうして、お前に大人しく抱かれるくらいには。都合よく会いに来ちゃうくらいには。

嫌いじゃないよ。

少し開いた窓から風が来る。

ひさしぶりに煙草が吸いたいと思った。

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嫌いじゃない、たぶん 華月ぱんだ。 @hr-panda

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