反ニュートリノ


 反ニュートリノ



反ニュートリノという物質がある。私は、日暮れ時の理科実験室でその話を聞いた。あの子はホウキをパッパと適当に動かしながら、甲高い声で、さも得意げに話した。その顔は夕日に照らされて赤く輝いていた。

原子を構成する一要素―というか大部分である原子核には「崩壊」というものがあるらしい。「不安定な原子核」は放置しておくと、いずれのその形を保てなくなり、「崩壊」する。「崩壊」には種類があり、彼女の話に出て来たのは、「ベータ崩壊」と呼ばれるものだった。原子核を構成する中性子の一つが、陽子と電子に変化し、陽子は原子核に留まり続け、電子は弾けたように外へと飛んでいく。「ベータ崩壊」の筋書きはそのようなものだ。ここであの子は「しかし!」と指を上げて強調した。しかし、研究者がベータ崩壊後の原子核の質量を調べてみると、電子だけが飛び出したはずなのに、原子核の質量は電子の質量以上に減っていたのだ。不思議に思った研究者たちが研究を重ねていくと、とある粒子を発見した。それが「反ニュートリノ」なのである。この非常に軽い粒子の特異な点は、一度ベータ崩壊で飛び出したが最後、あらゆる物体の干渉を受け付けず、すり抜け、無限の彼方まで飛んで行ってしまう、というものだった。だから研究者たちは「反ニュートリノ」を観測できず、その存在に気が付かなかったのだ。彼女はうんちく話を終えると、私の方を向いて言った。「変な物体があるもんだよね」。私は夕日の当たらない廊下側、重い影の差す場所で、ホウキを両手に持ったまま、コクリと頷いた。「すごいね」。

彼女がどうしてあの話を私にしたのかは分からない。しかし、その話はどこか私の心にひっかかり、今こうしてその一部始終を書きつけている。何が私を惹きつけたのだろう?「反ニュートリノ」に何か思うところがあったのだろうか? 意思も持たず、何とも干渉せず、ただ無限を飛んでいくだけの、一粒子に?

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