第9話 悪魔と死神


 ノゾミが戻って来た。

 煙草とビール、そして幼女を連れて。





 メイに向き合う形でソファーに座ると、ノゾミは隣に座り体を密着させてきた。


「……」


 引きつった笑みと赤い顔。無理してるのは明らかだった。


「ノゾミ、その……な、そういうのが苦手なんだったら、無理する必要はないんだぞ。それにほら、俺たちの契約は、俺じゃなく、ノゾミが俺に惚れることなんだから」


「いいの」


「そうなのか?」


「そうなの。確かに私、契約内容を誤解してた。でもね、こうすることで、雅司が私を意識する。その積み重ねがきっと、私の気持ちを変えていくの。今は振りでもいい、嘘でもいい。その嘘が本当になる日が来ると、私は信じてる」


 よくよく考えれば失礼な話。

 だが、自分を好きになる為の努力なんだと感じ、受け入れることにした。


「分かったよ。でもあんまり無理しないようにな。ノゾミには、その辺の免疫がないんだから」


 雅司の笑顔に、ノゾミの顔が更に赤くなった。


「それで本題に入るけど、君、名前は?」


「メイだ」


「メイちゃんね、よろしく。俺は雅司、雪城雅司だ」


「知ってるさ」


 メイがドヤ顔を向ける。

 大仰おおぎょうな物言いの幼女。そのギャップに苦笑する。


「ノゾミが連れてきたってことは、君も悪魔なのか」


「死神だ」


「なるほど。死神ね」


「雪城雅司。お前のことは以前から知っていた。魂を刈る為にな」


「……」


「ノゾミからも聞いていると思うが、お前はある意味、千年に一人の逸材なのだ」


「まあ、聞いてはいるんだけどな。俺の魂、そんなに価値があるのか」


「自分の価値には気付けない物だ。仕方あるまい」


「それで? その死神様が、俺に何の用なんだ」


「お前の魂を刈る為、どれだけ私が待ったか知るまい。今日だろうか、明日だろうか。そう思い、ずっと待っていた。お前、辛抱強いにも程があるぞ」


「そんな説教初めてだな。頑張ったなと褒めてくれるところじゃないのか」


「人間と我々では、価値観が違うのだ。大体お前、なんでそんなに我慢出来たんだ。大した希望も持ってない癖に」


「まあ、だからこそ一昨日、死のうとした訳だが」


「やっと、やっとだったんだ。本当に長かった。でもそれが今、報われる……そう思い安堵したんだ私は!」


「でもそこに、ノゾミが現れて」


「があああああああっ!」


 メイが頭を抱えて叫ぶ。


「……目の前の宝を、みすみす悪魔にかっさらわれたのだ。このまま冥界に帰ったら、私はとんだ笑い者だ」


「で、ここにいると。でもなんで来た? ノゾミの話だと、契約した以上、あんたらは俺に手出し出来ないんじゃないのか」


「ここからは私が。あのね、雅司」


 そう言って、ノゾミが経緯を説明した。





「……なるほどな。要するにあんた……メイは、俺が魂を譲渡するという言質げんちが欲しい訳だ」


「そういうことだ。覚悟するがいい」


「覚悟って……まあいい、好きにすればいいさ。部屋はノゾミと一緒でいいか」


「構わん。向こうの世界でも、よく一緒に寝てたからな」


「そうなのか?」


「うん。私とメイはね、子供の頃から仲が良かったの。お互い魔界と冥界を行き来してね」


「幼馴染ってやつか」


「騒がしくなるけど、ごめんなさい」


「謝ることはないよ。残り少ない余生、賑やかなのも悪くないさ」


「雪城雅司。お前にひとつ、聞きたいことがある」


「雅司でいいよ。ノゾミもそう呼んでくれてる」


「雅司。お前は今、この非日常を楽しんでるように見える。これまでずっと見てきたが、お前はそんなに笑うやつじゃなかった。死んだ目で世界を見つめ、いつ消えようか、そればかりを考えていた」


「そうだな。否定はしない」


「だが今のお前は、まるで別人のようだ。雅司、もしその命、お前の好きにしていいと言われたらどうする? やはり死ぬのか」


 この問い、一昨日私がしたことだ。ノゾミが雅司を見る。

 ひょっとしたら、今なら答えが違うのだろうか。

 そう思えるぐらい、今の雅司は自然体だった。


 しかし答えは同じだった。

 雅司は真顔になり、小さくうなずいた。


「ああ。それが許されるなら、今すぐ俺は死ぬ」


 何の躊躇もない言葉。

 何も信じず、何も期待せず。一切の希望を持たない目。

 この男は心から、消えることを望んでいる。そうメイが思った。


「……そうか」


「まあなんだ、メイも色々疲れただろう。それに何をしてたのか知らんが、二人共えらく汚れてる。風呂に入ってこいよ。その間に布団の用意、しておくから」


「布団ぐらい、私がするから」


「気にしなくていいよ。お客さんなんだから、いらん気遣いは無用だ」


 そう言って立ち上がり、ノゾミの部屋へと向かう。


「じゃあメイ、お風呂に行きましょうか」


「あいつ……お前とのこと、察したようだな」


「そうみたいね。でも聞いてはこない。本当、不思議な人ね」


「確かにな」


 うなずきあい、二人は風呂に向かった。





「さて、寝るか」


 二人は既に休んでいた。何度もあくびをするメイに気付き、ノゾミが部屋に連れていったのだった。


「明日の夜勤が済んだらまた休み。こんなの久しぶりだな」


 そうつぶやき、布団にもぐりこんだ。


「……ん?」


 違和感を感じた雅司が、慌てて電気をつける。





「うぎゃあああああああっ!」


「どうしたの!」


 雅司の叫びに、ノゾミが部屋に駆け込んできた。


「ノ、ノゾミ、これ、これ……」


「……」


 ノゾミが見た物。それは、一糸まとわぬ姿のメイだった。


「メイ! あなた、トイレに行くって言ってたのに、何してるのよ!」


「何をそんなに怒っておるのだ。夜伽よとぎに来ただけではないか」


夜伽よとぎってあなた……いいからベッドから出なさい! 今すぐに!」


「相変わらずだな、お前は。そんなのだから、いつまでたっても生娘きむすめなのだぞ」


「あなただって同じでしょ!」


「私には覚悟がある。これと決めた男には、全てを委ねる覚悟だ。なあ雅司よ、お前がその気なら、私はいつでも受け入れてやるぞ」


 細い足を絡ませ、耳元で甘く囁く。

 腕に当たるやわらかな温もりは、微乳のそれだった。


「ノ、ノゾミ……助け……」


「なんだ雅司、照れておるのか? しかしお前、一昨日も女を抱いていたではないか。初めてでもあるまいし、何をそんなに狼狽うろたえておるのだ」


「いやいや、あの日の女とお前とでは、カテゴリーが違うから! 条令に引っかかる!」


「年齢の話か? 心配無用だ。こう見えてもお前より長く生きておる」


「昨今はそれでも駄目なんだよ! 見た目こそが重要と騒ぐ連中が多いんだ!」


「今は私たちだけなのだ。気にすることもあるまいて」


「いいから離れなさい!」


 ノゾミがメイを引きはがす。


「何だノゾミ、お前もしたかったのか? なら遠慮せずともよい。人間と死神と悪魔、三人でただれた夜を過ごそうではないか」


「いい加減その口、閉じなさい!」


 メイを肩に担ぎ上げ、尻を叩く。


「ふぎゃあっ! ノゾミ、何をするか!」


「いいから黙りなさい、この脳内ビッチ! お仕置きです!」


 もう一発叩く。


「ふぎゃあっ! 分かった、分かったから許してくれ! 今日のところは諦める!」


「いいえ、今から部屋で説教です。覚悟しなさい!」


 もう一発。


「雅司、そういうことだから。ごめんね」


 そう言うと、猛ダッシュで部屋から出て行った。





「……」


 腕にはまだ、胸の感触が残っている。

 甘い香り、やわらかい温もり。

 それらを思い返し、顔を真っ赤にして。


 雅司はそのまま崩れ、ベッドに沈んだのだった。



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