第3話 残酷な契約


「……さあ、何でもいいから願い、言いなさいよ」


 もはや素の自分を隠そうともせず、女が投げやりに聞いてくる。


「だから別にないって。そんなのいいから、勝手に持っていけよ。最後にここまで楽しませてくれたんだ、それで十分だ」


「そんなんじゃ契約にならないの! 私にだって、プライドがあるんだから! お情けで譲ってもらうだなんて、認めないんだから!」


「あはははははははっ」


 ついに男が、声を上げて笑った。


「そ……そんなに笑わなくてもいいじゃない……」


「悪い悪い。こんな愉快な気持ち、久しぶりなんでね」


「もう……最悪だよ」


 女が涙目でつぶやく。


「そうだな。差し当たって今、あんたとの長話で喉が渇いた。缶コーヒー、奢ってくれないか? 喉を潤したら契約完了。どうだ?」


「……からかって楽しいのかしら」


「いやいや、真面目に言ったつもりなんだが。駄目なのか?」


「駄目に決まってるでしょ! どこの世界に、缶コーヒーで悪魔と契約する馬鹿がいるのよ!」


「ここに」


「馬鹿っ!」


 女の叫びが、屋上に響き渡る。


「缶コーヒーじゃ駄目なのか。しかし……困ったな、他に思い付かないんだ」


「考えなさい。真面目にね」


「分かった分かった。ここまで来たら俺としても、あんたにくれてやりたいからな。でもな、本当にないんだよ。それがないからこそ、こうして死のうとしてる訳で」


「……本当、変わってるわね、あなた」


「悪いって思ってるよ」


他人事ひとごとみたいに言わないで」


「だな」


「……ひとつ聞きたいんだけど」


「何だ?」


「最初の頃より間違いなく、今のあなたは楽しそうにしてる。もし私が今、この場からいなくなっても、やっぱりあなたは死ぬの?」


 その言葉に、男は真顔で女を見据えた。


「ああ、間違いなく俺は死ぬ。何の躊躇もなくね」


 その目に女はぞっとした。


 男の言葉に嘘はない。

 この男は本当に、何も望んでいない。人生を好転させようという気概も持ってない。

 絶望と諦め。

 男の瞳には、それしか宿っていなかった。

 先程までの軽口は、全て幻なんじゃないか。そう思い、身を震わせた。




 この男は一体、何を見てきたのだろう。




「……それで? 何か思いついた?」


 男への畏怖、恐怖、好奇心。

 それらを胸の奥に封じ込み、女が口を開いた。

 再び砕けた様子で考えていた男だったが、しばらくして何かを思いついたように目を開けた。


「ひとつ……あったかもしれない」


「本当! 何かな、言って頂戴!」


「何でも叶えてくれるんだよな」


「勿論よ。私にはその力がある。どんな願いだって叶えてあげる。あなたがそれを望むなら」


「俺の願いは」


「ええ」


「あんたが俺を愛してくれることだ」


「……」


「あんたが俺に惚れる。それが俺の願いだ」


「……」





 頭が真っ白になった。

 何を言われたのか、理解出来なかった。


「おーい、聞こえてるかー」


 その言葉に我に帰る。


「……き、聞こえたわよ、ちゃんとね……間違いのないようにしたいから、確認させて頂戴。もう一度言ってもらえるかしら」


「あんたが俺に惚れる。心からね」


「私があなたに……」


「勿論、その気持ちに嘘はなしだ。契約の為じゃなく、心から俺のことを愛してくれる。そうすれば契約完了だ」


「……」


「俺はこれまで、誰からも愛されたことがない。愛されるってのがどんなものなのか、ずっと興味があったんだ」


「……親には」


「愛された記憶はないな。実感もない」


「……」


「女と付き合ったことはある。でも多分、愛してくれてはいなかった」


「愛してないのに付き合うなんてこと、あるんだ」


「今考えたら、俺も愛してなかったと思う。まあでも、仕方ないか。愛するってどういうことなのか、分かってないんだからな」


「それで私に、愛してくれと」


「ああ。折角生まれてきたんだ。誰かに愛されてから死ぬのも、悪くないと思ってな」


「……」


「嫌なら別にいいぞ。缶コーヒーで構わない」


 その言葉に嘘はない。女は確信していた。

 恐らく今の願いも、軽い思い付き程度のものなんだろう。

 でも。それでも。

 男の口から唯一出た願いだ。

 それはきっと、魂の叫びに違いない。そう思った。





「……分かったわ」


「いいのか? 俺は別にどっちでも」


「見くびらないでもらえるかな。これでも私、それなりに名前の通った悪魔なの。契約者の願い、これまで全部叶えて来たんだから」


「そうか。でもまあ、無理しないようにな」


「何よそれ、自分で言っておいて」


「いや、でもな……ははっ。俺のことを愛してみろだなんて、自分で言っておいて難易度高すぎだからな」


「もう一度言うわよ、見くびらないで。どんな願いだって叶えてみせる、それが私、ノゾミなんだから」


「ノゾミ……それがあんたの名前か。いいな」


「ありがとう。あなたは?」


「俺は雅司だ、雪城雅司ゆきしろ・まさし


「雅司ね、よろしく」


 そう言うと、ノゾミが手を差し出した。

 雅司がその手を握る。

 すると二人を中心に、地面に青白い魔法陣が現れた。


「これで契約は成立。あなたの魂は、一時的に私の預かりとなった」


「ああ」


「契約完了までよろしくね、雅司」


「ああ、こちらこそよろしく。ノゾミ」





 雑居ビルの屋上に、青白い光の粒が舞っていた。

 契約を交わした二人。

 しかし二人はまだ、待ち受ける未来を理解していなかった。





 ノゾミに愛されると死ぬ雅司。

 雅司を愛した瞬間、魂を奪わなければいけないノゾミ。


 二人の未来には、残酷な結末しか待っていないということを。



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