saki:せんせ。メッセージでごめんなさい。この前はご飯に来てくれてありがと。今大丈夫?

naho:どうしたの?

saki:約束守ってくれて、ありがとう。あの話のことママに言わないでくれたんだよね?

naho:もちろん、約束したでしょう。

saki:言っちゃうかなーって、正直不安だったけど。

naho:お母さん、すごく怖がってたよ。咲ちゃんの話ってことは黙ってても、作り話ってことは言った方がいいんじゃないかな。

saki:大丈夫だよ。ねえ、せんせーはあの子が見えるようになった? あの子、気づいてくれないって怒ってる。

naho:家鳴りは相変わらず酷いかな? 隙間風も酷いね。見えると言うか、怖い話苦手だからビクビクしてるけど、あの子は……。

saki:ああ、ならよかった。ちゃんとうつせてたんだ。

naho:うつせた?

saki:あれからママもすごいの。家中が一日中明るくて眩しいったら! 家中うるさいし。

naho:咲ちゃん、やっぱり言った方がいいよ。

saki:だめ。あの子はね、選ぶんだよ。連れて行く人と、伝染させるための人ね。私がベクター。

naho:ベクター? ねえ、咲ちゃん、どうしたの?

saki:媒介者だよ。この前小説で読んだんだあ。かっこいい単語だったから覚えてるの!

naho:ちょっと待って。

saki:あのね、あの子は見つけてくれる人がいなくちゃいけない。あの子みたいに、不思議なものはそこらへんにあるものだけど、誰かが見つけて、認識しないと存在しない。皆が話して、いろんな人の認識に根付いて、そうしたらもっと強くなって、連れて行けるようになる。

naho:咲ちゃん、ちょっと待って、これからお部屋で話さない? 先生ちゃんと話に追いつけてなくて。直接お話ししたいな。

saki:あの子は変わったんだよ、せんせー。大丈夫、せんせーは私と同じだから! たくさん、ばら撒かないと。ほら、窓の外にいるよ、あの子。見えるでしょ?

naho:咲ちゃん。(送信に失敗しました)

naho:電話出れる? (送信に失敗しました)



          ■



 スマートフォンから目を背けて奈帆は天井を仰いだ。

 について、確かに噂は加速していた。怪異は人が作るものなのではないだろうかと、知り合いの言葉が蘇る。確かにその通りだった。元々ある怪談を、たまたま咲のものと一致してしまったのかはわからないが、ある程度の像が不特定多数の認識下に存在することは分かった。

 というワードでは普遍的すぎて、それだけの検索では期待通りの結果は得られなかった。けれども、ひっそりと、語られていたのを見つけた。「あの子に誘われて階段から落ちた先輩がいる」と誰かが書けば、「あの子は連れて行く人を探している」と書かれる。「あの子が見てくる、追ってくる」とあれば、「その後事故に遭いました」と綴られる。「あの子は一人」「いいや、あの子はたくさんいる。無数に」と好き勝手に語られる。それが伝言ゲームになって、凝り固まる。

 あの子は見つめ、哄笑する。あの子は人を選び、探し、連れて行く。あの子は己の情報を伝播させる役割の人を作る。あの子は無数の悪意から生まれた……。

 会話の中で次第に転がり、形を変えて行く。しかし「あの子」という元々の大枠は残り、共通認識として伝播していた。


 ぎぃと廊下の板が鳴った。風が通り抜けて、目の端を何か白い影が過ぎる。わざとらしく音楽を垂れ流して、浮かぶ不安を掻き消した。

 メッセージ以降、咲には会っていない。

 家にそれとなく電話をかければ、幸恵からは「体調を崩している」とは聞かされていた。何日か経って、ベランダから出掛けていく背中だけは見ていた。心の中で「咲ちゃん」と呼んだ瞬間、彼女は振り返り、奈帆に笑顔を向けたように見えた。

 黒目をこれでもかと見開いて、口角を歪に吊り上げた笑顔を。それは話に聞いていたによく似ていて、それからだったと思う。


 明確にあの子の気配を感じるようになったのは。


 媒介者ベクターというのも気になる。感染症のように伝染させていくものなのだろうか。何故、奈帆もそうなのか。口が軽いように思われたのか。

 実際、奈帆は知り合いの一人にはこのことを話していた。奇妙な相談を受けた、と。塾でもこの話を知らないかと何人かに確認して、数人から同様の話を聞いたが、がそれだけだった。インターネットの掲示板に書き込みをしたりはしていない。


 それが気に入らないのか、あの子はしょっちゅう纏わりつくようになっていた。

 耳を塞ぐ。目を瞑ると、次に目を開いた時に目の前に現れそうで、可能な限り目を見開くしかなかった。そうすれば人相が変わってくる。勤務先でも体調を心配されてしまった。


 あははははははは!


 笑い声に似たものが聞こえて、釣られて顔を窓に向けた。ほとんど同時に影がかかる。

「あ」

逆さまの幸恵が窓の外を通り過ぎるところだった。

 瞬きのうちに通り過ぎたそれと目が合った。その唇が引き上がっていたのを見た。刹那に「上」と言われた気がした。

 大きく鈍い音──何かが壊滅的に壊れてしまった音。

 奈帆は呆然と、その真っ黒な双眸に囚われて、気がつけばベランダへ出ていた。下は見ない。身を乗り出して、上の階を見上げれば、眩しい真上から視線が刺さった。

 すぐ上のベランダで誰かが笑って、ずるりともうひとつ影が降ってくる。ぶぶぶ、とポケットのスマートフォンが鳴った。


saki:___________


(了)

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「あの子のことをよろしくね」 井田いづ @Idacksoy

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