第40話 流された結果

 俺達はは余韻に浸りながら横浜を後にして、地元へと戻って来た。


 観覧車で告白をして、俺と美月は付き合い始めた。

 改めて言葉にするのは恥ずかしかったけど、言葉にしておいてよかったと思う。

 お互いの気持ちを確認したのに、このまま明確な告白をせず、曖昧なまま過ごしていたら、きっと彼女との距離感を掴めずに過ごす羽目になっただろうから。

 勇気を出して、観覧車で隣に座ってみたら、美月は顔を紅潮させて恥ずかしそうにしていたのがまた可愛らしい。

 けれど、嫌な雰囲気はまるでなく、二人の間にはどこか甘酸っぱい空気感が包み込んでいて、付き合い始めてからこの方、ずっと手を繋いだまま家まで戻って来ていた。

 エントランスをくぐり、俺と美月の部屋がある外廊下に辿り着く。

 二人の家の前に到着して、名残惜しい気持ちがありつつもそっと美月の手を離した。


「今日はありがとう。美月とデートできて楽しかった」


 俺は今思っている気持ちを伝えた。


「もう終わっちゃうの?」

「えっ……?」


 すると、美月が潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。

 その表情は、まだこの余韻に浸っていたいという風に見えた。


「良かったら、私の家でもうちょっとだけ一緒に居ない?」


 美月は恥じらいつつも、とんでもないことを言ってくる。

 今のは聞き間違いだろうか?

 美月が家に来ないかと誘ってきたような気がしたのだけれど……。

 美月さんの家に……俺が⁉


「い、いいの?」


 俺は躊躇いがちに尋ねてしまう。


「うん。斗真君とまだ一緒に居たいから」


 付き合い始めの彼女にそんな可愛いことを言われて、離れられる男がいるだろうか?

 居たら教えて欲しい。


「入って、入って」


 そう言われて、美月は再び俺の手を再び取ると、もう片方の手で器用に玄関の施錠を解除して、扉を開いた。

 心の準備が出来ぬまま、俺は初めて、美月の家へとお邪魔することになってしまう。

 俺、この後どうなっちゃうんだ!?


 玄関の扉が開き、美月がこちらへと振り返る。


「どうぞ」

「お、お邪魔します……」


 俺はガチガチに緊張しながら美月の家へとお邪魔する。

 玄関をくぐり、室内へと入った。

 隣の部屋と言うこともあり、間取りは俺の家とほとんど変わらない。

 それなのに、レイアウトは全く違っていて、家具の配置やカーテンの色だったり、俺が濃い色合いの部屋なのに対して、美月の部屋は暖かみのある色で統一されており、ザ・女の子の部屋という感じだ。

 そしてルームフレグランスか何かなのか、美月の香りが漂っている。


「こっち」


 美月に案内されるがまま、部屋の中へと入って向かったのは、リビングではなく寝室だった。


「どうぞ」

「し、失礼します」


 案内されるがまま、俺は美月の寝室へと入ってしまった。

 どうしてこっちに案内されたのかは分からないけれど、目の前には普段美月が使っているであろうピンクのシーツに包まれたベッドと、そんな部屋に似遣わないスペックの良さそうなPCや配信機材やらが置いてある。

 美月は普段ここでVtuber桜木モモとして活動をしているらしい。


「ごめんね、そんなにきれいな部屋じゃないけど」

「ううん、そんなことないと思うけど……」


 見れば見るほど、美月の私生活を覗き込んでしまっているような気がして、居た堪れない気持ちになってくる。


「お茶入れてくるね」

「あ、ありがとう」


 美月も耐えられなくなってしまったのか、踵を返して俺を置き去りにしたまま部屋を後にして、キッチンへと向かって行ってしまう。

 一人部屋に取り残された俺は、美月の寝室兼作業部屋を見渡した。

 壁には、ハンガーで掛けられた皺のない制服が掛けられており、ベッドの上には自身のグッズが置いてある。

 ピンクが基調となっている部屋はまさに、モモちゃんらしさ全開と言ったテイストになっていた。

 綺麗に整理整頓はされているものの、どこに腰掛ければいいのか分からず、俺はそのまま部屋に立ち尽くしたままおろおろとしてしまう。


「お待たせ……って、どうしたの?」


 お茶の入ったグラスをお盆に載せて、美月が戻ってくる。


「し、失礼します……」


 流石に落ち着きがないのも悪いと思い、俺は適当に地べたに座り込んだ。


「はい、お茶」

「ありがとう」


 俺は彼女にお礼の言葉を口にして、暖かいお茶の入ったマグカップ受け取った。

 グビっと飲むと、お茶は暖かくてとても心が落ち着いてくる。

 美月は自身のベッドへ腰掛けて、お茶を一つ啜った。


 とそこで、美月の変化に気付いてしまう。

 俺が買ってあげたシアーシャツを脱いでいるのだ。

 今はオフショルダのトップスだけという格好で、肩から鎖骨、首筋にかけてが丸見えになってしまっている。

 そんな俺の視線に気づいた美月は、顔を赤らめながら手で自身の顔を扇ぐ。


「今は二人きりだから……いいでしょ?」

「う、うん。そうだね……」


 二人きりの時だけにして欲しいとは言ったけど、流石にこの状況は色々とよからぬことを考えてしまう。


「コッチおいでよ」

「へっ、で、でも……」

「いいから」

「わ、分かったよ……」


 俺も平静を保てず、立ち上がって美月の隣へと腰掛けてしまう。

 ベッドに座り込むと、ふわっと座った部分が沈み込む。


 ヤバイ……これは非常にまずい気がする。

 俺の直感が警戒を鳴らしていた。

 このまま美月のペースに流されたら、間違いなく取り返しのつかないことになると。


 ピト。


 刹那、美月が自身の手を俺の手へ重ねてぎゅっと握りしめてくる。


「斗真君、マグカップの感想はどう?」

「えっ……? あっ……」


 そこで俺はようやく気付いた。

 俺達が飲んでいるお茶の入ったマグカップが、先ほど美月と一緒に購入したペアマグカップであることに。


「早速使ってみたんだけど、使いやすいしかわいいね!」


 俺の手元を見ると、美月と色違いの青いリボンの模様が入ったマグカップだった。


「どうしよっかな。斗真君が家に来た時用に私の家で保管しててもいい?」

「あぁうん、美月に任せるよ」

「ほんとに? じゃあこれは、斗真君が私の家に来た時用って事で」


 これから何度も足を踏み入れる前提で話が進んでいる。

 今二人きりでベッドの上に隣り合わせで座っているだけでもいっぱいいっぱいなのに、これから先の事なんて考えられない。

 完全に美月にペースを握られてしまい、さっきからもうたじたじで、ありきたりな返答しか返すことが出来なくなっていた。

 こういう時、もっとスマートに返せていたらどれだけよかっただろうか?


「ねぇ、記念に写真撮ろう」

「えっ? うん、分かった」


 美月がスマホをかざしてインカメにする。


「ほら、もっとこっち寄って寄って」

「えっ? あっ、ちょっと!?」


 抵抗虚しく、大胆にも美月が俺の腕に抱き着いてくる。

 俺は心臓がひゅっと縮こまってしまう。

 彼女の温もり、シャンプーの香り、押し付けられる柔らかい感触。

 右腕ですべてを感じてしまい、頭が軽くパニック状態になる。


「ほら、マグカップ掲げて?」


 俺は言われるがままに、胸元へマグカップを掲げた。

 そのままインカメで美月がパシャリと一枚写真を撮る。

 撮った写真を二人で確認すると、美月の表情はとても穏やかなのに対して、俺はガチガチに緊張して強張っていて、見ているだけでも恥ずかしい。


「ふふっ、斗真君ガチガチに緊張してる」


 カメラで撮った写真を確認しながら、美月がくすくすと笑いながら肩を揺らす。


「し、仕方ないだろ……こういうの慣れてないんだよ」

「ふぅーん。じゃあもっと慣れてもらわなきゃね」

「勘弁してくれ」


 もうお手上げだ。

 彼女モードになった美月が積極的過ぎて、さっきからドキドキしっぱなしだ。


「ねぇ斗真君!」

「!?」


 とそこで、スマホから視線を離した美月が、俺の方を見上げてきたのだが、互いの吐息が掛かるぐらいの距離になってしまった。

 視線が交わり、何度も瞬きを繰り返す俺と美月。


 美月もあまりの近さに一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐさま恥じらうように身を捩ると、何かを決意したようにとろんとした目をこちらへと向けてきて、すっと目を閉じてくる。


 ……えっ。


 そのまま美月は、ゆっくりと唇をこちらへ近づけてきて――


 ちょ、えっ⁉

 マジで言ってる!?


 まだ付き合って一日も経ってないのにいいのか⁉

 いやでも、美月のキス待ち顔可愛い……じゃなくて!


 やっぱ、向こうから望んできてくれてるって事は、ここでしなかったら男としてダメだよな……。

 俺はごくりと生唾を吞み込んで、彼女の肩へ両手を置いた。

 一瞬ピクっと美月の肩が震える。

 そこで、彼女も緊張しているのだということが分かって、ちょっぴり安心した。

 彼女が勇気を出してくれたからこそ、その期待に応えなければならない。

 俺は覚悟を決めて、ゆっくり美月の唇へと近づいていき――


 ブーッ、ブーッ。


 唇が重なりかけたところで、タイミング悪くスマホのバイブレーションが鳴り響く。

 俺達は目を開き、再び距離を取ってしまう。


「……スマホ鳴ってるみたいだよ」


 俺がそう言うと、美月はスマホの画面を見つめた。

 そして、一つため息を吐いてから俺に向き直る。


「ごめん、ちょっと待っててくれる」


 そう言って、美月はスマホを耳に掲げながら、部屋を出て行く。

 再び部屋に一人きりになり、俺は自身の顔を手で覆ってしまう。

 先ほどキスをしようとしていた自分を思い返し、顔が熱くなってきてしまう。


 俺は一体何をしようとしてたんだ!?

 美月にキスを……キスをしようとしていただと!?

 自分の血迷った行動に焦っていた時である――


 ダンッ。


 無造作に扉が開かれて、美月がスマホを耳に掲げたまま焦った様子で部屋に戻ってくる。


「本当にごめんなさい! 今すぐに用意しますから」


 そう言って、美月は慌てた様子でPC前の椅子に座り込むと、PCを起動させて何やら作業を始めてしまう。


「ど、どうしたの美月?」

「ごめん斗真君! 私今日公式番組の収録があったんだけどすっかり忘れてたの! 今からリモートで急遽参加することになったから、申し訳ないんだけど今日はここまでってことでもいい?」

「えっ⁉ うん分かった」

「本当にごめんね。鍵は後で閉めておくから安心して」


 申し訳なさそうに謝ってからPCに再び向き直ると、美月はカタカタとキーボードを打鍵して配信の準備を進めて行ってしまう。

 俺は荷物を手に持ち、美月の邪魔にならぬようそっと部屋を出て行った。


 どこか心ここにあらずと言った感じで、俺は自分の部屋に戻って来る。

 俺はそのまま脱力するようにソファへと座り込む。

 美月の家にお邪魔してから、常に放心状態で、自分でも何をやっていたのか記憶が曖昧だ。

 クールダウンして、徐々に頭が冷静になって来るにつれ、俺は羞恥に耐えかねてソファへ寝転がってクッションに顔を埋めてしまう。


「あーーーーーーーーっ!!!!!!!!」


 俺は大きな声で叫び散らかした。

 何てことを……俺はなんてことをしようとしてたんだ。

 いくら流されていたとはいえ、美月とキ……キスまでしようとしていたなんて……!


 しかも出来なかったし!

 キスできなかったんですけど!?

 めっちゃ恥ずかしい奴じゃん。

 これ絶対明日以降も美月の唇ばかりに目が行っちゃって気になり過ぎる奴だよこれ……。

 それにしても……。


「美月のキス待ち顔。可愛かったなぁ」


 俺の目線に合わせるようにして顔を上に上げ、すっと目を瞑って唇を軽くすぼめている姿を見て、気づいたらキスをしようとしていた。


 あの顔は色々とまずい。

 俺も完全に平静さを失ってしまっていた。


「あーー!!!!!!」


 再びクッションに顔を埋めて大声で叫ぶ。

 あのまま、美月のスマホに連絡が来て居なかったらと考えるとぞっとしてしまう。


 きっと今頃……。

 頭の中で美月のあられもない姿が出てきてしまい、俺はガッ、ガッと思いきり頭をヘドバンして想像してしまった映像をかき消す。


「落ち着け……まだ俺は何もやってない。やってないんだぞ俺」


 しばらく、美月の家に行くのは止めよう。

 取り返しのつかないことになるから!

 今度から、美月と会うときは、外か俺の家にしようと心に誓うのであった。

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