わかれる

 ゆきちゃんに偶然再会したのは、高校を卒業したあとすぐ開催された同窓会の帰りだった。

 その電話がかかってきたときは、なぜ自分を誘ってくるのか甚だ疑問だったが、なんてことはない、とにかく端から端まで声をかけているのだという。

「片瀬さんの連絡先知ってる人ぜんぜん知らなくて。よかったよ、グループに入ってくれたままで」

 そういえば中学のこと、クラスのグループトークに全員参加だと言われて参加したことがあった。発言をした記憶は一度もない。クラスが変わったとたんに静かになったそのグループから、抜けることすら忘れていた。

 幹事をやっているその男の子は、当時はよく目立っていた。自分の言葉や行為でだれかが傷つくなんてことを想像すらしたことなさそうな、陽気な無神経さを持つような男子だった気がする。

「片瀬さん、よく一人でいたからこういう同窓会とかどうかなーって思ったんだけど、逆にいまあつまれば、友だちもできるかもしれないし、よかったら参加して。ていうか、絶対もっと人があつまると思ってたんだけど、予想よりも少なくてさ、でもこじんまりとしてたほうが孤立はしないだろうし」

 気遣いと心配を重ねあわせた裏側に、こちらを格下にみるような侮りが混ざっていていい気はしなかった。だから断ろうと思った。彼の提案どおりいまさら友人をつくる気もない。ただ、断りを入れる前に頭を掠めた顔はあった。

 雪平秋人。

 彼とは松田美代に隠れて二人で何度か会っていた。その逢瀬は、最初こそ彼の泥棒行為を秘密にするかわりの条件だった。でもたぶん、それだけではなかったと思う。秋人は条件を隠れ蓑にしてこっそりスリルを楽しんでいる節もあった。

 けれどそれも受験前までだった。

中学三年生の夏休み前、初めて秋人から呼び出された。そのとき告げられた言葉を聞いて、自分の身体から熱が引いていった感覚を、いまでも厳密に思い出せる。彼は、「もう会うのはやめたい」と、深く頭を下げた。

「美代と、ちゃんとつきあいたいから。いままでのこと、全部なかったことにしてほしい」

 その言葉に鼻白んだ。誠意をあらわしているような低くなった彼の頭にあるつむじを、ドリルかなんかで突き刺したかった。私たちには私たちにしかわからない、気持ちの共有があったはずだった。それをまるごとなかったことにしようとする、きれいに片付けようとする秋人に、思い出してほしかった。脳みそのなかには記憶がある。頭をひらいて、取り出して、手に持って、みせつけたかった。かたちがないというのはなんて不便なんだろう。

 じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん……。いつまで秋人が頭を下げ続けるのか数えていたら、彼は十六秒ですくっと顔を上げた。たったの十六秒だ。

 いつか彼と初めてキスをしたときのようにみつめあってみたけれど、なにも起こらない。おどろくほど自然に、二人のあいだでほほえみを交わしたあの時間が、まぼろしになっていく。

「言っていいの? 盗んだこと」

 自分の声が予想以上に必死そうに響いたのがいやだった。母を思い出した。だけどそんなつまらないことしか、あのときは言えなかった。

「いいよ。好きにしたらいい」

 秋人がぜんぜんかわいそうな顔をしないから私のほうが傷ついた。

「秋人」と、名前を呼んでみた。彼は一瞬だけ申し訳なさそうな顔をして、「じゃあ」と言って去っていった。

 私はずっと、復讐をしたかったのかもしれない。いともあっさり、私を捨てた秋人に。私をかわいそうにした秋人に。私より不幸になってほしいと願っているのかもしれない。

 同窓会で会ったときの藤崎五月は中学のころからなにも変わっていなかった。秋人のことを中学時代と同じように、いや、あの頃よりもさらに妄信的に、愛していた。

幹事に侮られたことを不快に思ったけれど、私だって同じようなことをしている。私はずっと、藤崎五月の不憫さに救われてきた。


「元気だった?」

 私にたずねてくるのはゆきちゃんだ。いま、私は二十二歳。暑い夏の夕方の隅のほう、母のお見舞いの帰り道にいる。あの同窓会からもう四年近くが経っているのだ。暑さでめまいすらおぼえた。

「うん。……ゆきちゃんは」

「私も元気」

 帰り道の方向が同じだったから、そのままゆきちゃんと、肩を並べて歩いていた。彼女が持つスーパーの袋が、ときおりがさがさと音を立てる。歩いていく方向に、私たちの影が大きく伸びて揺れていた。

 ずっとゆきちゃんに会いたいと思っていた。私はゆきちゃんのことが好きだった。ゆきちゃんに、私が好きだと言ってもらえれば、救われる気がした。

「前にもこんなことなかった?」

 ゆきちゃんの声は軽い。口に出した途端、跳ねて夕焼けのなかへまぎれていく。流行りの音楽みたいなその話しかたが懐かしかった。

「あった。四年前だよ。私が同窓会に行った帰りに、偶然会ったの」

「四年かあ……」

 ゆきちゃんは、いまでも父と会っているのだろうか。聞きたいのに、なんと切り出せばいいのかわからず黙り込んだ。

「よかったら、うちに来ない?」

 提案されて、断る理由はなかった。その誘い文句が、あの日とまったく同じだったから、私は秋人のこと、そして藤崎五月のことを鮮明に思い出したのだろう。

「そういえば四年前もこうやって誘ったよね、思い出した」

 私はゆきちゃんに誘われたことを忘れたことなんてなかったけれど、彼女はもう私と関係ないところで生活しているようだった。もし、話しかけられなかったら私はゆきちゃんに気づけなかったのではないだろうか。

「暑いね」

 ゆきちゃんがつぶやくように言って、私がうなずく。いつの間にか、すっかり日が落ちていて、蝉のかわりに蜩が鳴いていた。

 ゆきちゃんは、いくつになったのだろう。たぶん、四十は超えている。ゆるいパーマがかかった肩まである髪、背筋が伸びているすらりとした身長。ゆきちゃんは、年齢よりもずっと若くみえる。けれど昔よりも、確実に老けていた。

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