かがやく

 あの中学二年の夏休み、私はアキと恋人同士になれると思っていた。毎朝の逢瀬によって、彼の恋心が遅れて芽生えるのだと。それは数学で解を求めるよりもずっと簡単な方程式だった。私とアキが揃えばイコール。

 アキから誘われる。二人で遊びにいく。告白される。どれも想像に難くなかった。アキと思いが通じ合ったあと、私は私を応援してくれる女の子たちに報告をする。その文面だって、完璧に仕上がっていた。

 だけどアキから連絡がくることはなかった。部活がよほど忙しいのかもしれない、課題が終わっていないのかもしれない、友達とたくさん遊んでいるのかもしれない。夜眠る前まで、アキから誘いがこない理由をいくつも挙げて自分を納得させた。

「今日、夏祭りだね」

 ある朝、そう言った。前に断られていたけれど、あれは校内でのことだったからかもしれなかった。誘うならふたりきりでいるときとアキは考えていた可能性がある。だからアキが誘いやすいように、あくまでさりげなく、私から話題を振った。そうだね、とアキはこたえて、

「行くの?」

 と訊いてきた。ああやっぱり。本当は、私を誘いたかったに違いない。弾みすぎる声をおさえて、

「行くよ」

 笑いながら答えた。じゃあ何時に待ち合せようか。そんな言葉が続くのだと思ったら、アキは「ふうん」と返してきただけだった。私の視線を、アキは簡単にくぐり抜ける。横顔は、まっすぐ前を向いている。私にはない、ごつっと主張する喉仏がいとしかった。さわりたい。私だけのものにするには、どうしたらいいんだろう?

「夏祭り、行かないの?」

 今度は私がたずねた。そもそもアキは、人が集まるところが苦手だった気がする。そうだ、昔私たちは二家族で遊園地に行ったことがある。小学校に上がる前。そのときアキは人混みに寄っていなかっただろうか? すぐに疲れてぐったりしていなかっただろうか? それなら私を夏休みに誘ってこないのにも納得できる。むしろ苦手なところに連れ出そうとしていた私に非があった。

「ううん」

 肯定でも否定でもない、どこか曖昧な返事だった。結局明確な答えを聞けないまま駅について、アキは部活に向かった。否定をしなかったのは、やっぱり私を誘おうとしていたからっだのだろうか? 本心がみえなくてやきもきした。私にできることは、待つことだった。

 その日、誘われたときのために服を決めていた。しっかりメイクもしていた。ヘアアレンジの動画をみて髪もセットした。あとは「夏祭りに行こう」というアキからの連絡があれば完了だった。もしくは直接家まで迎えに来てくれるかもしれない。

 アキが迎えに来る場面を想像して、二人で祭りを楽しむ時間から、新学期にクラスの女の子たちに話すことまで考えた。待つという行為は、苦痛にならない。膨れ上がっていく気持ち、伝えたい言葉、褒めてもらいたい髪型やメイク。私を取り巻くすべてのことが、きらきらと輝く。待てば待つほど、私はきれいになってゆく。

 夜までにクラスの女の子から誘いの電話がきたけれど、断った。

「アキと行くかもしれないから」

 そう返したら、「あ、そっか、そうだよね」と弾んだ声が耳もとに届いた。うん、と返した私の声もどこかに飛んでいきそうなくらい跳ねていた。


 夏祭りでは花火が上がる。連絡を待っているうちに、近くの空で低い轟音が響いた。会場からは少し離れているけれど、二階にある私の部屋からも花火が上がって消えていくのが小さくみえた。煙がのぼって一瞬の静寂、そのあと空気を破裂させて輝く大きな花。全然きれいだと思えなかった。

 結局その日、アキから連絡がくることはなかった。アキはきっと夏祭りに行かなかったのだ。花火が上がる動画を撮って送ってみたけれど、返事はなかった。

 翌朝、いつも通りアキに会いに行くと、彼はいつもと同じ時間に家を出てきた。花火の返事は結局なくて、問い詰めると「ああ、みてなかった」と素っ気なく言った。

「昨日、夏祭り行かなかったの? 部屋からでしょ、この動画」

 私の部屋だとすぐにわかってくれるアキに心が躍ったけれど、心なしか明るいその声に、なんとなく戸惑った。

「まあね。用事がなかなか終わらなくて行くタイミング逃しちゃった」

 昨日は用事なんて一つもなかったけれど、思わず嘘をついてしまった。アキは私の嘘を疑うそぶりをまったくみせない。

「ふうん。おれは行ってきた。本物みたから動画は大丈夫」

 私の誘いは断ったのに、結局行ったんだ。そんな言葉がよぎったけれど、嫌味になりそうでやめた。押しすぎないこと、しつこくしないこと、それから、きもちわるくならないこと。アキのための三か条。

 誰と夏祭りに行ったのかは、なぜか聞けなかった。聞いてはいけないと、本能が感じ取っていたように思う。こんなことなら、夏祭りの会場で待ち伏せでもしておくのだったと後悔した。

「誕生日は家族と過ごすの?」

「……多分ね」

 その日、アキはどこか上機嫌で、いつもより笑顔を多く向けてくれた。うれしかったけれど、機嫌がいい理由がわからなかったから、さみしかった。駅の屋根に止まる鳥たちも、その日は嘴が不気味にうつった。


 八月三十日。アキの誕生日、彼は朝、家から出てこなかった。部活が休みだったのかもしれない。直接伝えたかったけれど、会えずじまいになってしまって、しかたなくメッセージを送った。

 本当は会いたくてしかたがなかった。会いたいと言いたかった。好きだと言ってほしかった。油断すると、沈殿している私の感情をすべて送ってしまいそうだったから、シンプルに誕生日おめでとうとだけ送った。きもちわるくならないこと。大切なこと。

 アキからは、数時間後にありがとう、とだけ返事があった。

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