第7話 嘘の終焉

 スポットライトが煌々と壇上を照らし、柏木陽斗は、その輝きに包まれながら、新しい連続ドラマの制作発表会に臨んでいた。彼の周りには熱気と期待が満ち溢れ、記者たちのカメラは彼一人を捉えるべく、フラッシュを焚いていた。質問よりも先に、柏木に向けられるのは祝福の言葉だ。


「おめでとうございます!」


「ありがとうございます!」


 何のことを言っているのか分からない、やり取りが続く。さらに高まった彼の人気と、そのドラマへの確かな手応えが、その成功を予感させていた。


 しかし、そんな華やかな舞台裏で、避けられない嵐が、彼を待ち受けていた。十年以上にわたり支えてくれた恋人・沙織の存在を知る人は少ないが、それが公になれば、彼の清廉なイメージは大きく揺らぐだろう。特に、一部で噂されていた女優・綾瀬千晶との浮名を流されている現状では。


 佐藤が書いた記事は、沙織の口から紡がれた真実の物語を世に問うた。柏木と沙織の秘められた愛。長い間、隠されてきた真実。それらが、綿密に綴られていた。しかし、柏木と千晶の恋愛という、フィクションも含まれていた。それは、スキャンダルを更に煽る要素として、読者の興味を引いた。


 記事が公開された、その日。柏木の世界は静かに、しかし確実に変わり始めた。祝福の言葉は、徐々に疑問の声へと変わり、メディアは一斉に、彼の私生活に注目した。沙織との長い関係。それと同時に進行した、綾瀬千晶との関係。これらの要素が交錯する中で、柏木陽斗のキャリアは、新たな局面を迎えることになる。佐藤の記事が生み出した物語は、それを読んだ人々によって、どこまでも広げられていく。



 国民的女優・綾瀬千晶との理想的な恋愛を祝福する声が一転して、怒りと憤りに塗り替えられたとき、柏木陽斗の運命は暗転した。


 柏木と、その所属事務所は、綾瀬千晶との交際を否定し、必死に火消しに努めたが、すでに世間からの信頼は失墜していた。真実を知る綾瀬千晶は、事の真相を語ることなく、突如として活動休止を宣言した。この無言の行動は、国民からの同情を呼び、この騒動の犠牲者、二股男に騙された悲劇のヒロインという位置付けになっていった。


 綾瀬千晶の活動休止は、心の傷からくるものと想像された。彼女の清廉潔白なイメージを台無しにした、柏木陽斗への国民の怒りは、止むことを知らない。彼は、裏表のある偽善者というレッテルを貼られた。


 メディアは、彼の一挙手一投足を糾弾し、かつての栄光は、裏切りという汚点に塗り潰されていった。彼の演じた役柄が、どれほどに人々を感動させたかは、もはや関係ない。柏木陽斗という人物自体が、公の敵となったのだ。記者会見での謝罪も、ソーシャルメディア上での釈明も、すべては逆効果に終わる。彼を待っていたのは厳しい孤立と、かつてないほどの冷徹な審判だった。



 芸能界の頂点に立ち、光り輝く存在であった柏木陽斗は、一つの記事が引き起こした嵐によって、その全てを失った。華やかな表舞台からの突然の転落は、多くの人々に衝撃を与えたが、その中には自らの手で、この事態を引き起こした佐藤も含まれていた。


 確かに柏木は沙織を傷つけたが、ここまでする必要があったのだろうか。嘘の記事を書いて、彼女を苦しめた佐藤も、共犯者のようなものではないか。佐藤は、沙織の心の痛みを売り物にし、柏木陽斗という男をも破滅させてしまったのだ。


 自分が綴った記事が、虚構に満ちたものであることは、認めざるを得ない。しかし、その真実を明かすことはできない。なぜなら、それは彼が、これまで築き上げてきた信頼を根底から覆し、彼を雇用してきた編集部に、計り知れない迷惑をかけることになるからだ。


 心の中で葛藤しながらも佐藤は、ある決断を下した。自らの罪を背負いつつも、その罪を公にはできない彼は、静かに、その場を去ることを選んだ。編集部に辞表を提出し、東京の住居を引き払ったら、彼は故郷へと向かった。静かな田舎町で、何も言わずに迎えてくれた家族の顔を見つめながら、これからのことを考えた。



 大都会の喧噪から離れ、佐藤は故郷の静けさの中で、過去を振り返っていた。かつて大学時代に経験したストーカー行為と、その後の治療は、彼の人生からは削ることのできない、数ページだ。そのときに経験した、正気に戻っていくという感覚を、彼は思い出していた。


 東京でのパパラッチ活動が、その危険な精神状態へと彼を引き戻しかけていたことに、冷静になった頭脳は気づく。それは狂気の再燃であり、彼は、そのことに深い恐怖さえ感じていた。芸能人の私生活を侵害することで生計を立てていた、あの頃。彼は何を追い求め、何を失っていたのか。


 そんな自己反省の日々の中で、佐藤は「人間らしさ」とは何かを再考し始めた。故郷の穏やかな自然、家族の暖かさ、地域社会の絆の中で、彼は本当の意味での平穏を見つけようとしていた。東京での生活では無縁だった農作業を手伝ったり、地域の祭りの準備に参加したりと、普通の日常を一生懸命に生きることに、心地良ささえ感じ始めていた。


 その中で、彼は写真を撮ることに再び情熱を感じ始めた。しかし、今度は人々の秘密を暴くのではなく、自然の美しさ、人々の日常の喜びを捉える写真がいい。カメラを通じて世界を見る彼の目は、以前よりも優しく、愛情を含んでいた。


 故郷での生活は、彼にとって心の浄化であり、再生の場だった。人間としての尊厳を取り戻し、自分という存在を社会にとって有益なものに変えていくこと。それが彼が今、目指している方向だった。



 農作業を手伝って、汗を流す。無心になって身体を使う仕事が、とても心地よい。筋肉の痛みや土の匂いは、彼に地に足がついた実感を与え、都会での騒動から心を遠ざけてくれた。太陽が頭上で照りつけ、風が稲の葉を、そっと揺らす中、彼は静かに時間を過ごしていた。


 その平穏な日々が、突如として揺らいだ。あの綾瀬千晶が、まるで映画の登場人物のように、彼の前に現れたのだ。彼女は怒ったような顔で、彼の前まで歩いてくる。活動休止中の彼女が、なぜこんな田舎町に来たのか。疑問は、佐藤の頭の中を駆け巡った。もしも彼女が幻覚ならば、彼の心の病は、まだ癒えていないのかもしれない。しかし、温もりが感じられる距離にいる彼女は、まごうことなき現実の綾瀬千晶だった。


 声をかけるべきか、沈黙を守るべきか。佐藤の心は葛藤で満ちる。千晶の瞳は、何かを語りかけてくるようだったが、佐藤の罪悪感が、彼の言葉を塞いだ。彼は、ただ立ち尽くし、この予期せぬ訪問者との静かな対峙を続けた。

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