王都スカサハ

第28話 牢獄生活


 アドは目蓋を開いた。

 ここは、どこだ?

 口の中が血の味でいっぱいで、背中に冷たく固い感触があった。

 どうやら床に寝かされているようだ。


「うっ……!」


 起き上がろうとすると、全身に軋むような痛みが走り、アドは顔をしかめる。

 記憶があやふやだ。

 王都行きの列車に乗って、アルティアと接触したまでは覚えている。それからリアラとウィンターが拘束されて……そうかクソ野郎。この全身の痛みは、あの影のお面のせいだ、ふざけやがって。アルティアが丁重に扱えと言っていたのに、お構いなしで殴る蹴るを続けてきやがった。


「やっと目覚めたか」


 声のしたほうに目を向ける。

 寒々とした鉄格子の向こう側に、角の生えた蜥蜴人間がいた。

 魔族の一種、リザードマンだ。

 鉄格子の向こう側は明るく、鉄格子のこちら側は薄暗い。見渡して確認してみると、鉄格子以外は堅固な灰色の壁で囲まれていた。

 閉じ込められているのだ。牢獄に。


「残念だったな、お前は死刑だとよ」


 ――わたくしが必ず、皆さんの命を守りますから。

 約束が違う。交渉に失敗したのか、あの姫君は。


「影が……」


 どれだけ時間が経ったかはわからないが、この影の侵食を見るに、結構長いあいだ気を失っていたようだ。右の鎖骨から左の鎖骨まで皮膚が黒く変色し、ちりちりと不快な感覚が蝕み苛んでくる。


「ボクはどれくらい眠ってた?」

「さあな」


 リザードマンはどこ吹く風だ。

 王都行きの列車に乗った時点で、残り三日だった。

 残り三日で、ファームは潰される。

 あとどれだけ、時間は残されているのか。

 急いだほうがいい。

 アドは周囲に気を配り、魔力の糸を辿る。

 だが、ウィンターの気配がない。

 ダグラスもサマーも存在を感じなかった。

 気を失っている間に、魔力の供給が絶たれ、死霊術が解けてしまったか。今頃どこかで腐り落ちて、不完全な術式として彷徨っているかもしれない。


 囚人服の上からぽんぽんと確かめるが、当然のことながら、魔晄結晶がすべて奪われていた。魔術を発動して、この場を切り抜けることは難しそうだ。魔晄結晶なしでの魔術は影の病が進行するので避けたかった。臓器が死んでいるので、体内の魔素は雑草程度の残り滓しかない。


「リアラは?」

「さあな」


 希薄ながらも、エンシェントウルフの気配は感じる。

 魔の森の魔素を取り込んで、辛うじて存在できたか。


 ここまで呼び寄せるか?

 だが、魔の森からかなり遠い。

 果たして間に合うのか。


 魔の森から列車を使用するほどの距離にある第一ファーム、そこを始発として、その遥か先に列車を走らせることでこの王都にまで辿り着ける。休まず走ったとしても、半日から一日はかかるのではないだろうか?


 とはいっても、ここが王都の牢獄かどうかも確信は持てていない。

 王都行きの列車に乗っていたのだし、牢獄の門番が影の兵ではなく、魔族であることから、ここが王都である可能性が高いと踏んでいるだけだ。


「アルティアはどうなった?」

「さあな」


 魔晄結晶さえあれば……。


「くくくっ」


 突然、門番が含み笑いを漏らした。


「何がおかしいの?」

「いや、何でもない何でもない。あの二人の状況を思うとな」

「どういうこと?」


 アドが目を細める。


「おっと、いけねえ。デキる門番は、黙って仕事をこなすんだ」

「気になるんだけど」

「…………」


 だんまりか。


「ねえ、教えてよ」

「…………」

「ボク死ぬんでしょ。死ぬ奴に情けをくれよ」

「…………」


 クソ野郎。


「うえっ。不衛生だね、ここ。ネズミの死骸がある」

「…………」

「無視?」


 門番は背を向けて見向きもしない。

 アドは床からネズミの死骸を拾い上げ、門番の背中にぼふっと投げ当てる。


「うわっ、汚えなクソガキ」


 ようやくリザードマンがこっちを向いてくれた。


「ボクの仲間にならない?」


 爬虫類の瞳孔が収縮し、濁り腐った眼とかちあった。


「この国はそんなに長くない。いずれボクが滅ぼす」


 アドに感情はなかった。


「だけどボクに手を貸すっていうなら、アンタに恩を返すつもりだ」


 ただ単に事実を言っているだけだ。


「はんっ」


 門番が馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。


「崇高な魔族の身でありながら、人間の見張りなんかやらされて、悲しくなんないわけ。影の兵にでもやらせればいいのに、どうして魔族のアンタがやってるんだ、こんな下っ端みたいな雑用」


 この時代も、亜人差別は続いているようだ。


「まさか影の兵には任せられないから、アンタに重要な任務が与えられたとでも思ってんの。それは、間違いだよ、おじさん。魔王にとっては、アンタも影もただの雑用だ。言い訳を作って、無理やり自分を肯定するのもいいけど、現実を見たほうがいい」


 地下にある牢獄なのか、それほど大きな声でないのに、アドの声がわんと反響した。


「ここで一生こき使われて生きてくの?」


 アドは問う。


「それともボクに手を貸して、本当にやりたいことをやってみる?」


 爬虫類の眼が、かすかに揺れた。


「おい、こっち見ろよ。目を見て話そう。アンタの本音が聞きたい」


 アドはひたりひたりと近寄り、鉄格子をそっと握り締める。


「どっちみち、この国は終わりなんだ。アンタ、ボクに殺されるよ?」


 別に嘘を言っているつもりはない。

 足元に転がるネズミの死体くらいなら、ネクロマンスしても問題ない。

 ネズミの死体が動くのであれば、この国を転覆させるくらいの策は思いつく。


「ククク……どうやって俺を殺すつもりだ、小僧」


 門番がアドに興味を持ったのがわかる。


「やっと話してくれた」


 話し相手ぐらいにはなってやろう、程度の心変わりだろうが、アドにとってはそれだけで十分だった。


「残念だが、お前に手を貸す気はない。このまま死ぬんだ、お前は」

「それはどうかな?」

「悪あがきは寄せ。命乞いのほうがマシだぞ」

「本当にそう思う?」

「……確かに異様だな、お前は。死刑を前にして、この落ち着きようは」

「やっと興味持ってくれた?」

「この状況を切り抜けられるはずがない」

「ボクは魔術師だ」

「にしては、魔力を感じない」

「命を消費すれば、発動することも可能だ」

「だとしても、牢獄からは抜け出せない。強固な結界が張られてある」


 門番が、こんこんと鉄格子を叩く。

 確かに結界が張られている限り、この牢獄をぶち抜くのは無理だろう。


「そんなの解除できる」


 アドは言ってのける。


「ははっ、そんなのできるわけがないだろ。魔王様の結界だぞ」

「できる」

「はは……」

「ボクの目を見てみろ。できる」

「…………」


 ごくり、と唾を呑み込む音がした。


「魔王の結界を外し、鉄格子を壊し、アンタを殺す。どうせ死ぬなら、できることをやるだけだ。しかもそんなに難しいことじゃない。アリを踏み潰すようなものだ。考えてる時間はあまりないぞ。気は長くない」

「…………」


 門番が横に目を反らした。


「目を背けるな。ボクが怖いか?」

「そんなんじゃない。たかが人間に……」

「じゃあ見てみろ。ボクの目を」

「…………」


 それでも門番は目を合わせようとしない。


「どうした。ボクは嘘はついてないぞ」

「……俺が怖いのは、魔王様だ。俺には、できねェ……」

「わかった。それがアンタの選択なんだな」


 アドは包帯だらけの腕をまくった。


「ひっ……!」


 門番が一歩後ろに引いた。


「末恐ろしいな、家畜。魔族様を口で丸め込もうなど」


 廊下の奥から、別の魔族が姿を現した。

 同じ、リザードマン種の男だった。


「大丈夫か。交代の時間だ」


 怯えるリザードマンの肩に、鱗のはった緑の手が乗っかる。


「あ、ああ……」


 先ほどの門番は、逃げるようにその場を去った。

 地下牢の狭い空間を、冷たい静寂が包んだ。

 アドは部屋の真ん中に座り込み、ゆったりと新しい門番を見上げる。


「ねえ、ボクと話す?」

「いいぜ」

「お?」


 アドは目を丸くする。


「なに驚いてるんだ。見張りは暇なのさ」

「……アンタはなに言っても無駄そうだね」


 アドはすぐに諦めて、後ろ手に突いて座り直す。


「見る目があるな。死なせるのが惜しいくらいだ」


 門番は面白そうにくつくつと笑った。


「死刑ってどんな感じなの?」

「火炙りだそうだ」

「へー。フルカネリと同じとは光栄だね」


 それに加えて、お母様と同じだ。


「見せしめなんて、ボクは魔女か何かなの?」

「魔女より質が悪そうだがな」

「まあいいや。死刑の時間になったら起こして」

「寝るのか?」

「うん。骨が折れてて、熱があるんだよね」


 アドが肋骨をさすってみせる。

 あの影野郎のせいで、全身が炎症を起こしている。


「つまらんな」


 片腕を枕代わりにしてアドは、ごろんと冷たい床に転がった。


「…………」


 馬鹿だなあ、お前。

 ボクに情報を与えすぎだ。

 よりにもよって、火炙りの刑かよ。


「おい、ガキ。いま笑ったか?」

「…………」

「なんだ、もう寝ちまったのか」

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