第4話 望まぬ世界


 まさか失敗したのか。

 そんなはずはない。

 魔女の魔術は完璧だった。

 だから魔女は死んだのだ。


「いや、待てよ――」


 アドは死を身近に感じ、恐怖で足がすくんだ。


 誰が壊した、、、、、


 魔女の杖は壊れないようにできていた。

 それこそ、落石でも落雷でも無傷なはず。

 もし傷がつくとすれば、魔女に匹敵する力が必要だ。

 そんな力、自然界にあるか?

 ない。


「これはもう――」


 誰かが人為的に、、、、、、、壊したとしか考えられない、、、、、、、、、、、、


 誰が? 何のために?


 しかし、これだけははっきりとわかる。


「すべての計画が破綻した」


 魔女は無駄死にし、アドは三ヶ月で死ぬ。

 何も果たせないまま。


「………………」


 それで、いいわけが、ない。

 アドは顔から手を下ろし、力強く前を見据えた。

 絶対に死ねない。

 彼女の死に報いるために、最後の一秒まで足掻こう。


 ――アド、私の命をあげる。あなたは生きて。


 それが今のアドにできる、彼女への手向けだ。


 アドはすぐに頭を切り替える。

 予定より早く目覚めたと言っても、時間は300年も流れているのだ。

 300年も経っていれば、文明は進歩しているはずだ。


「〝影の病〟は、どうなってる?」


 アドはすがる想いで少女に尋ねた。


「え?」

「だから〝影の病〟だ。もう治療できるんだよね?」

「何ですか、それ。初めて聞きました」


 彼女の反応がもどかしくて、殴ってやりたい気分になった。


「これだよ!!」


 アドは破れた袖を捲り上げ、己の腕を曝け出した。

 自分の腕を見て反吐が出る。

 醜い腕だ。

 影のような黒色の痣が、指先から脇の下までまだらに浸食していた。この影は夜な夜な範囲を広げ、疼きを増して全身を苛んでくる。眠れないことには慣れたが、全身の悪寒だけは辛くて慣れない。


「その腕、どうしたんですか。それが〝影の病〟ですか……?」


 少女の表情が、醜い腕を見つめたまま凍りついている。


「……知らないんだね」


 彼女の反応に、アドは失望した。


「このままだと、どうなるんです?」

「全身に広がり、ボクは死ぬ」


 アドが端的に答え、リアラが絶句する。


「もうすでに、大部分を影に食われた。体もガキのまま成長しなくなった」

「え……」

「臓器も死んだ。魔力も死んだ。魔術師として人生を捧げた末路がこれだ。だけど、まだ死ねない。死にたくない。ボクにはやることがある。こんな体で、燻ってるわけにはいかないんだ」


 言いようのない怒りが沸き立つ。

 人類に対する怒りだ。


「だからボクは、王国の墓を暴き、預言者マーリンを死から醒こした。ボクは彼に〝影の病〟について占わせた。マーリンは言った。1000年後に、〝影の病〟の治療法が見つかると。だからボクは、1000年の眠りについた」


 はずだった。


 だがどういうわけかアーティファクトが壊れ、目覚めたのは、300年後の世界だった。この300年の間、人間は一体何をしてきたんだ。どうして〝影の病〟の存在を知らないんだ。人間の無能さに、叫びたくなった。1000年眠らせるために、彼女は命を犠牲にしたというのに。


 アドの言葉を聞いて、リアラがおそるおそる口を開く。


「今の話は全部本当なのですか?」

「事実だ」

「あの、落ち着いて聞いてください。わたしも事実をお話します」


 リアラは眉尻を下げて、困ったように言った。


「人間に進歩を期待するのは無駄です。むしろこの300年で、人間は技術の大半を失いました。この時代の人間は……魔族に支配されています」


 アドの脳髄がぶん殴られた。

 人間が魔族に、支配されている?


「どういうこと?」

「あなたが今いるこの世界は、魔王に征服されたあとの世界です」

「は……?」


 魔王に征服された?

 たちの悪い冗談だ。


「信じ難いでしょうが、事実です。今は魔王の子供が魔王を名乗り、身内で争い合っています。その争いに、人間が今、利用されているんです。人間は〝ファーム〟という名の閉鎖空間で、家畜同然に扱われて生きてます。魔王同士の争いが終わらない限り、人間の文明は発展しない……と思います」


 ファーム? 家畜?

 訳のわからない単語が飛び交って、アドは状況が追いつけない。


「ですので、〝影の病〟も……その……治療法が……」


 リアラの言葉尻が弱くなる。


「ないんだね」

「……はい」


 くらりと目眩がして、アドは額を押さえた。


「魔王の親の名は?」

「エトエラ」


 アドの瞳孔がかすかに収縮した。


「どこにいる?」

「隠居しました。子供らを争わせているのは、後継ぎを決定するためです」

「どこかにいるんだね。ならよかった」

「よかった?」

「ボクの目的は、エトエラの死体だ」


 リアラが息を呑む。構わずアドは続けた。


「だから1000年の眠りについた。この病を何とかして、エトエラを殺すために」


 奥の歯を噛み締め、魔晄結晶を握り潰す。


「出てこい、ゴーストリッチ」


 地面の魔法陣から七つの頭蓋骨が浮かび上がり、霊魂の黒い炎をまとってアドの周囲を飛び回る。


「〝影の病〟の情報を集めてくれ。それと、〝クロノスの魔女〟もだ。アイツには妹がいたはずだ。血筋が生きていれば、望みは繋がる」


 カカカカと下顎骨を鳴らして、ゴーストリッチが四方へ飛び去る。


「何をする気ですか」

「生き残る方法を探すんだよ。血眼になって」


 当然の帰結だ。


「こんな体じゃ、エトエラを殺せないだろ」

「あなたなら、魔王に対抗できるというのですか」

「いま見せようか、魔族の死体。何個がいい」

「……」


 リアラが息を呑む。やがて彼女は背を向けて、


「いえ、あなたの力は疑いようがありません。ついてきてください」


 ついてきて?

 リアラは鬱蒼とした道なき道を歩き始める。


「何の因果か知りませんが、〝影〟と〝クロノス〟に心当たりがあります」

「さっき知らないって――」

「〝影の病〟のことは知りません。ですが、〝影の王〟と呼ばれる者のことは知っています。〝影の王〟に、〝クロノスの姫〟が囚われています」


 不意に立ち止まったリアラが、握り締めた拳を静かに震わせた。


「わたしは、その姫を救い出したいんです」

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