ハンバーガーとナイフとフォークの話

 マクドナルド、ロッテリア、モスバーガー…などなどハンバーガーのチェーン店は数多くあるが、そのどれもがファーストフードとしての側面を抱えている。そのため、手掴みで食べることが推奨されている。


 だが、個人経営の店や少し大きなアメリカンダイナーをモチーフにしたような店ではハンバーガーの横にはフォークとナイフが添えられている。初めてそれを目にしたとき思ったのは、「えっ、これ何に使うの?」。今まで手掴みで食ってきたものの横に添えられた金属製の食器。さも「これは、フォークとナイフを使って食べる物です。」と、言外メッセージで告げられている。いや現にそうなんだろうけど。


 コミュニケーションとして、そのメッセージを受信しフォークとナイフを使って食事をしてみる。美味い。美味いんだが、俺は今恐らくハンバーガーを食べていない。ハンバーグや野菜をパンで挟んだ別の料理を食べている。そういう感覚だ。友達の知らない側面を見てしまったみたいな。別の知らない人とあんな顔して話すのかみたいな。


 だから同じ店で2回目、テイクアウトをしてみた。家に持って帰り、包み紙を剥がす。そして、例によって手掴みで食ってみる。これだ…これこれ。これが求めていたハンバーガーだ!どれだけ格式が高かろうと、俺にとってはハンバーガーは手掴みで食うもの。フォークとナイフという奴の必要性も分かる。手や口が汚れるし、俺と違う小さい口の人間はそれらを駆使して食べるかもしれない。むしろ、そういう人たちのためのフォークとナイフであり、俺のような野蛮人は素手で食ってもいいと店員さんに聞くのはそこから数回目の来店なのだが。ごめん、顔に出てた?


 とはいえ、決まったことはハンバーガーは素手で食うということだ。素手以外で食えばそれは俺にとってハンバーガーではなくなるのだ。そういう料理が皆さんにもあると思う。寿司は素手で食う。パスタも和風なら箸で食う。からしが入っていないとポテサラではない。ワサビが無いと蕎麦が食えない。平家で無ければ人ではない的な。こういう恣意的でどうしようもない思想を今後は清盛的思想と呼ぼうと思う。もちろん、源氏を鏖殺することはしないが、自分の中のこだわりの軸みたいなものは大事にしたいし面白いと思う。だから今日もハンバーガーを素手で食べるのだ。

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